実は、この司帝国以外にも人の集落があるらしい。そこにはナマエたちのような三千七百年ごしに目覚めた人間でなく、現地で今を生きている『現代人』がいるのだと。

「私たちはそこへ向かい、武力を持って制圧する、と言うのが今回のミッションです」

 ナマエを含む数人の戦士は司の元に呼び出されたかと思えば、そう言いつけられた。

「ゲンさんは?」

 ナマエはまずゲンの所在を聞いた。
 メンタリストである彼は非常に人心掌握術に長けており、司が統治する上で彼の手腕をよく頼りにしているところを見かけた。村とこの帝国の間を取り持つには彼の存在は必須のはずだ。
 ーー正直に言えば、ナマエは彼に事実どうするつもりか聞く腹づもりだった。武力の行使、制圧。頭を巡る単語は随分と暴力的な響きがあり、妙な胸騒ぎに、「そんなことしないよ〜」だとか一言安心させて欲しかったのだ。

「彼には先に潜入して、後から手引きしてもらう手筈ですからいません」

 さっくりと切り捨てた兄は、槍の点検はしておくように、とさらにナマエへ重ねた。


 闇に紛れて、ナマエたちは村を目指した。
 その村は前後する二つの孤島からなっており、地上と孤島、そして島同士を精巧な吊り橋で繋いでいた。目印は必要なかった。なんせ今現在、奥の島では絶え間なく火の明かりがチラついているのだ。
 何かの、宴でもしているのだろうか。
 ナマエたちの視線は当然のように、その手前、橋の入り口の両端に佇む、槍を持った二人組に集まった。
 どうもリラックスした様子だ。今ならば、円滑にゲンに取り次いでもらえるのではないか。

「門番か!どっちもヒョロッちくて弱そうじゃねえか!」
「どけッ!俺がやる!」

 我先にとおおわらわになって他の戦士が門番に向かっていく。ナマエは慌てて樹上の兄に振り仰げば、兄は小さく首を振った。「お前は動くな」と言うことらしい。

 橋の足場は人一人がようやく通れるほどに狭く、そしてあの門番らは槍の使い手。となれば、あの一本道で一対一は明らかにこちらが不利だ。なんせ戦士の武器は石斧や棍棒と言った近接戦闘向きのもので、リーチで勝っているのはナマエと兄ぐらいだ。
 案の定、門番側もそれを承知しているらしい。一人が応援を呼ぶべく向こうの島目掛けて走りだして、残ったもう一人は腰を低く落とし、こちらに矛先を向けてつつ、橋へと後退した。

「こいつ逃げようとしてるぜ!」明らかに誘っている動きに応じた猛者が一人、橋へと身を躍り出した。「ビビってんのか原始人!」

 門番の矛先が、真っ直ぐにその顔面に突き立てられる。その骨を砕かん勢いで殴りつけられた猛者は、草むらへと大きく薙ぎ払われる。重たい水音と呻き声が耳を突き抜けていき、ナマエは眉間が歪むのを感じた。決して、気持ちの良い音ではない。

「原始人のがちゃんとしてるじゃないですか」

 ーー先走った戦士を嘲笑った兄の手には、いつの間にか管槍が握られていた。

「兄さん」
「どうした」

 ナマエは駆け寄ると、管槍を握る兄の手に自分の手を重ねて、そのまま下へ押し込んだ。さくり、と刃が地面に軽く埋まる。

「話し合いを、しないの?最初から武力で制圧するなんて、後が怖いと思うけど」

 確認するように言い連ねて、睨み上げた。兄は片目だけ開くと、静かな眼差しでナマエを見下ろした。
 話し合いを勧めた理由は口から出任せが九割だ。ナマエは単純に、鍛錬でもないただの暴力が嫌いで、それを避けたかった。

「あー〜ー……」兄の青い眼差しが、横たわる半月状に細められた。「……そのつもりだ。もちろん。ただ交渉が決裂すれば、その限りではない。仕方のない時だってある。そうだろう?」


 ナマエの期待に反して、すぐに戦端が開かれた。
 結果は目に見えている。ナマエと兄が修める管槍は、連射数と突きの速さが普通の槍よりも段違いなのだ。『現代人』にはまず馴染みがないだろうそれは、着実に門番の彼を追い込んでいく。
 なるべく、穏便に済ませる方法がないのだろうかーーナマエは、次の光景に「ぇ」と喉が絞られたような声をこぼした。

 兄の槍が、門番の彼の腹を突いた。

 門番は、口元を歪めて、眉間にシワを深く刻んだ。どろりと、腹のあたりが黒く滲み始める。槍の勢いはそのまま死ななかった。ふわりと、彼の体が橋から宙へと飛び出ていく。
 海に落ちてしまう!ーー誰もが想像していた悲惨な結末は、意外なことに起こらな勝った。相当な苦痛だっただろうにも関わらず、彼は落ち駆けた拍子に橋の足場と、兄の足首を掴んでひとまずことなきを得ていた。

 ナマエは手のひらが痛くなるほど強く握った。怒りだろうか、焦りだろうか、何かナマエの中で大きく突き動かすような、形容し難い感情で脳が煮えていく。

 兄は、人の腹を刺したのだ。
 何年も共に鍛錬していた仲のナマエには、ブレのない刃先がよく見えた。あれは、まるでいつもの稽古のような、人さえ刺していなければ手を叩いて称賛されそうな手際だった。そこに躊躇なんてものは滲んでいない。ただ、殺すと言う意思しかなかった。

 橋のさきに集まっていた、村の住民が二人ごと橋を落とせと言い始めている。そうだろう、兄をまともに相手にできるのは獅子王司ぐらいのものだ。腹に血をにじませた彼だって、もう一人の門番にそうしろと叫んでいた。言葉に従えば、丸くおさまるのかもしれない。

「できないよぅ」冷たい風が、もう一人の門番の声を運んでき。「できるわけないよう、だってそんなの、金狼が死んじゃう」ナマエは、次の言葉に身を凍らせた。「ーーやだよぅ、兄ちゃん……!」
「……!」

 ナマエにとって、彼の嘆きと泣き声は暴力に近かった。聞こえるたびに、目尻に熱いものが火花のように弾けた。

「ごめん、ごめんなさい……」

 言葉にして、ナマエは膝から崩れ落ちそうになった。膨らんでいく罪悪感が、胸の中を重くする。

 話し合いをしないのかと聞いたところで、兄に同行すれば良かった。どうして、見送ってしまったのか。そりゃあ、そうだ。だって、ナマエは、普通の女の子だ。
 小さい頃は、兄によく懐いて、くっついて、その流れで槍を修めてしまったが、それ以外はごく普通の暮らしをしてきた。朝は眠た目で制服を着て、暖かいご飯を食べて、学校に行き、帰れば鍛錬をして。時間が空けば好きな芸能人が出ているテレビを見たり、友達と通話したり、たまに兄とくだらない口喧嘩もした。
 人を傷つけるなんて、殺すだなんて遠い話だ。
 当然兄だって自分と同じだと信じて疑わなかった。安寧のために、司と話を合わせているだけだと思っていた。
 洗濯の畳み方が雑だとか、自分はこの番組が見たいだとか、ちゃっちいことで楽しそうに喧嘩をしていたあの兄が、ナマエの涙に対しては厳しい言葉と甘いココアで答えたあの兄が、ーーまさか人が殺すことを厭わない男だと、誰が信じられるだろうか?

 金髪の門番は、持っている槍の矛先が大きく揺れるほどに、全身で泣いていた。わかっているのだ。そうしなければ、彼の村はナマエたちに蹂躙される定めとなる、しかし、かと言って、たった一人の家族を見捨てられるほどの非情さなんて持ち合わせていないはずだ。
 ナマエは歯がみした。今自分が介入してしまえば、兄の足を掴んだ門番は振り落とされてしまう。だって、兄はあの戦闘で全く息を切らしていない。力の差は歴然だ。

 戦士たちが兄を見つめていたが、ナマエは一心に金髪の門番、そしてその向こうの村人たちの様子を見ていた。篝火の向こうで、誰かが、素早く動きだしたのを氷月の陣営ではナマエだけが気づいた。
 その誰かは大きな筒に何かを詰め始めて、火の近くに寄っていく。この状況を打開できるのは……飛び道具?
 ナマエは、村人が何かをしていると、兄に声をかけられなかった。むしろ、兄の凶行を止められるのならば、そうして欲しいとさえ願っていた。

 ナマエの願いは、肌を奮わせるほどの大きな爆発音の形となって、叶うことになる。
 悲鳴が沸いたように上がる中、知った声が向こうから聞こえてきた。

「一旦引いて氷月ちゃんたち!」予定通り村に侵入していたらしい、ゲンが怒鳴りつけるように叫んだ。おおげさな動きで筒の先、つまり銃口に当たるらしいところを押し上げている。「この村ね、ーー銃が完成しちゃってる……!!」

 銃、と聞いて戦士たち、そしてこっちへ逃げ出してきたゲンが一目散に森の中へと駆けていく。
 その脅威は旧世界の人間ならば誰だって知っていた。

「石神千空は生きてる!!科学の力で銃を百億丁ほど完成させたってな……!!」

 ナマエに希望を見せたその誰か、ーー千空は高らかな宣言は、その場に残されたナマエとその兄、氷月だけが聞いていた。


 引き返している道すがら、兄の背を見つめながら、ナマエは黙念と足を動かした。

「やれやれ、うちの戦士は逃げ足だけは随分と早いようだ」
「銃、だもの。生身じゃ敵わないし」
「銃が量産できているならどうしてとっとと仕掛けてこない?」兄は苛立った様子で、発した。「いずれにしても、情報が足りない。また行かなければ」
「また?」

 思わず、ナマエは疑問を口にした。兄は「おや」と片眉を跳ね上げた。

「他に何か良い案でも?」

 ないだろう、と言いたげな口調だった。
 ナマエは自分の不利さをすでに悟っている。今、兄に歯向かってもいいことは無い。

「次来るときには警備が強化されているだろうし、ーーほむらちゃんを呼んだ方がいいんじゃないかなって」
「それはもちろん。今すぐにでも」

 ほむら。兄が信用を置いている右腕の名前を出せば、彼は目に見えて機嫌が良くなった。

「そう、だから私が呼びに行こうかって」

 ナマエの提案に、彼は首を振った。呆れの滲んだため息をひとつ。
 人を小馬鹿にするような態度は、いつもの、兄だ。ここだけ切り取ると、先ほどのことは悪い夢じゃないかと錯覚してしまうほどに、いや、信じたくなるほどに、兄はいつも通りだった。

「ナマエ、君は僕が育て上げた、とびっきり強い戦士だ。それに、ちゃんとしている。君は自分の仕事に集中するように」
「……うん」

 ナマエは頷いて、それから視界から兄を外した。

 兄さん、私の仕事って何。
 人を傷つけること?

  

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -