※「オリアスと同級生」の数年後


 教師陣の飲み会に、オリアスは初めて自分から参加を申し込んだ。


 一口飲むと、つんとしたものがオリアスの鼻を通る。
 それだけで、オリアスは酒の入ったグラスをテーブルに置いた。頬がみるみるうちに熱帯びていく。自分の顔が、何杯もジョッキを空けている、他の教師らと同じように赤くなっているだろうと、すぐに分かった。
 オリアスは二口目もなんとか胃に流した。グラスを持つ指が、わずかに脈打ち、耳の中では心臓の音が響いている。そして体のところどころがマグマが湧いて出たように、どっと熱くなり始めた。
 熱を含むため息を吐いて、冷水をあおぐ。オリアスはこのひどい酩酊感を楽しめるわけもなく、ただ、それが落ち着くのを待つことしかできなかった。

 ふと、自分が今回の飲み会に参加すると言ったときの、ダリの顔を思い出す。確か、彼は嬉しそうだったが、オリアスが「酒は飲めない」と公言していることを知っていたのでちょっと不安そうな顔をしていた。
 オリアスは口の端を上げた。自身の愚かさに対する嘲笑だった。
 本当、何してんだろうなぁ、俺。

 新任歓迎会以来、こういった集まりには参加しなかった。先にも言った通り、酒が飲めないためだ。別に飲まされることはないだろうが、一人だけソフトドリンクというのも気が引ける。
 オリアスが満を持してここにきたのは、ひとえにナマエがこの場に居るからだ。

 ナマエとは既に数年の付き合いになる。それはもちろん、恋人としてでなく、良きクラスメイト、良き団員、良き友人、そして良き同僚としてだ。オリアスは多少、他の女子に目をむけつつも、結局ナマエへの気持ちは変わらなかった。……とても残念なことに、ナマエのガードの固さも相変わらずだった。

 だからこそ、酒の力で何か変わるものがあるのではないかと、期待していたのだ。彼女の気持ちだとか、自分のへたれた気持ちだとか。
 しかし、現実は非情なものだ。参加者は飲んでいくほどだいたい好きずきに動き始めるし、オリアスは珍しい顔が来たと他の教師らに引っ張りだこ。気がつけば、ナマエはすでに女性陣と寄り集まっていた。そこへ分け入る勇気はさすがにない。
 やけ酒だと飲んだものの、いい加減頭の痛みが辛くなり、己の行動に後悔しつつあった。

 背後からわっと、大きな声が上がった。モモノキや、スージー、そしてナマエが座るテーブルからだ。はっきりと耳に入った声はそれっきりで、後は三人でひそひそと、どこか浮かれたように話しているようだった。
 すげー、きになる。ナマエちゃんもなんか楽しそうだし……。
 すっかり丸まったオリアスの背を、力強く誰かが叩いた。

「や!楽しんでる?顔真っ赤だね!」

 オリアスは目を丸くした。ジョッキ片手に壊滅的な呂律で声をかけてきたのは上司のダリだった。
 何か気の利いたことを言おうにも、酔っている感覚に苛まれているオリアスは会釈することしかできなかった。

「その様子だともう何も食べない方がいいね」

 ヤキトリもらい、とダリはゆるい調子でオリアスの皿からひょいと串物を取り上げた。

「ねえ、さっきの話し聞いてた?」
「さっき……?」
「ほら、ナマエ先生たちの席の!」

 首を振ると、ダリが笑みを深めた。

「ナマエ先生さ、好きなヒト居るってよ」

 オリアスは、あんなに熱かった指先から血の気がさっと引いていくのを感じた。冗談かと、気軽に聞く気も起こらず、ダリの顔をしばし見つめる形となる。しかし、オリアスは彼の表情を正しく認識できていなかった、

 まぶたの裏に星ができたのかと思うほど、視界も思考も明滅していた。
 胸の内では、なぜか、ナマエに裏切られたという大きな衝撃があった。どうやら自分は、ナマエが恋をしないと、心の底で勘違いと期待をしていたらしい。
 ナマエだって、悪魔だ。欲深さが他人に向けられることもあるだろう。それが、今だった、という話しなのだ。
 急速に乾いた喉を潤すために、オリアスは手近なグラスを一気に口に傾ける。ダリが、大きく口を開いた。

「――それ酒だよ!?」


 頬をぐに、と揉まれて、オリアスの意識は間もなく浮上した。目を開けば、ナマエがさらにオリアスの頬をつねる。

「解散だって。帰るよ」
「ナマエちゃん?なんで?」
「幹事の子が手一杯なのと、飲み会シーズンで今空いてる車両なんもないって」

 目の奥にわだかまる眠気に苛まれながら、オリアスはやっとの思いで立ち上がった。

「珍しく顔を出したと思えば、そんなんなっちゃって」

 ナマエはにやにやと笑った。

「気持ち悪い……」
「飲めないのに飲むからだよ。水もらう?吐いてから帰る?」

 オリアスは首を振って、苦笑した。好きな子に世話を焼かれるのがこんなに気恥ずかしいとは、思わなかった。

 二人で店を出て、翼を広げる。地を蹴って空へ滑りでれば、オリアスはナマエに家はどこかときかれた。どうやら彼女は、酔っ払ったオリアスに危機感を抱いたらしく、家まで送っていくと決めたらしい。
 この厚意は、バビルスで出会ったばかりの、険悪な関係性だったらまずなかっただろう。クラスメイトとして、同じ団員として数年を共に過ごしたことで、彼女なりにオリアスには同級生として友情を感じているのだ。……それが余計に切なくなってしまうのだが。

「ね、間違ってお酒飲んだの?」
「いや、自分の意思さ」
「なんか嫌なことあったとか」

 オリアスは薄く口を開けて、空っ風のような唸りをこぼした。いつもならば、すぐに否定の言葉が出るはずだ。しかし今夜は酒のせいか、鈍った思考は嘘をつくという行為を億劫にさせた。
 ナマエはナマエで、面食らった様子だった。オリアスがこうも気弱なところをみせたこともない。

 つかの間の沈黙が、夜の闇に広がった。
 ちらり、と視界に映った白に、オリアスの視線は吸い込まれた。ナマエの白い翼である。染めたものでなく、元から白いらしい。
 オリアスが彼女を最初に好きになったのは、この翼の、空で映えるこうこうとした白さだった。一等星を思わせる輝きに、感動すらしていたのを強く覚えている。
 好きだなぁ、と蜂蜜のような甘い気持ちがじわりと胸に広がる。

「俺さぁ、ナマエちゃんから離れた方が本当はいいかもしれんのよ」
「はぁ?」

 オリアスの一言に、ナマエは目を丸くさせた。

「ナマエちゃんは本当に、俺にとって星なんだよ。星みたいに綺麗な羽を持ってて、クールなところも良くて、笑顔が可愛くて。もう見ているだけでふわふわしてさ、あー幸せだなって、思えて……安心できる。だからお星様。俺の一番好きなモチーフ」

 オリアスは低く、とうとうと語った。

「一回好きになるとどんどん、君のことならなんでも好きになっちゃって。止まらないんだよね。だって、人の字の書き方なんて気にならなかったのに、君が書いてるってだけで、俺、何時間も見惚れてたし。まあ、俺の能力でいっぱい迷惑をかけちゃったのは、申し訳ないと思うけど。
多分、君は俺のこと好きになってくれたけど、君と俺の好きは違うんだよ。だから、遠くで君を見守るようにした方が、お互い、良いかもって、思って……」

 君だって、好きなヒトできたのだろう、と締める勇気はなかった。
 ナマエは、しばらく口を閉ざしていた。オリアスにはナマエの様子を伺う精神の余裕はなく、返事を待つ間、固唾を飲んで耐え忍んだ。

「オリアスくん」
「はい」

 思わず敬語になったが、オリアスをからかうのを好むナマエはそれに気づいていない様子だった。むしろ、自分のことでいっぱいいっぱいといった、硬い表情だった。

「あの、星って、見上げてるだけだと、……その、くすんじゃう、かもよ」

 オリアスは瞬きを一つして、「え?」とナマエの横顔を凝視した。柔らかそうな頬はチークというには厳しい、鮮やかなピンク色に染まりつつあった。

「待っ、も、もっかい聞いていい?くすんじゃうって!!?」
「もう言わない!」

 ナマエは白い翼をはためかせて、オリアスから大きく距離をとってしまう。オリアスは思い切り息を吸い込んだ。

「同じ気持ちってこと!?俺と!」

 夜空をついた叫びに、返事はなかった。しかし、彼女の真っ赤になっていた耳が答えを示していた。



 ――ナマエ先生は好きなひといる?

 モモノキの問いに、思わず頷いたのは、あたまの中ですでに答えがあったからだ。
 何度も何度も優しくされて、一緒にバカをやったせいで、ナマエには、もう彼が隣にいない時間を考えられなかった。いい加減、答えを出すべき時が来たのだ。

「それにしたって、急にあんなこと言わなくても良いのに……」

 もう少し、時間をかけて応えるつもりだったのに。
 帰り道の星空の下、ナマエは愚痴っぽく、それでいてどこかすっきりした心地でつぶやいた。

  

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