ヴィオレッタは腹から生えた三対の脚を本物のようになめらかに動かし、柔らかな絨毯の上を歩いていた。彼女がいつもよりゆっくりと廊下を進めるのは、今日はゲームに参加する予定が無いためだ。

 自由な時間があるのは良いことだと、ヴィオレッタは思っている。他のハンターと談笑できる時間が増えるし、この素晴らしい蜘蛛の外殻をより自分の手足のように扱えるための練習を重ねられる。

 ただ、今日に限って言えば前者の方は難しいかもしれない。同じ女性ハンターの美智子は先ほどヴィオレッタの見送りを受けつつゲームへ向かってしまったし、他のハンターは部屋に篭ったり、カスタムに行ってみたりと思い思いの時間を過ごしているようだった。
 ヴィオレッタは暇を持て余したからといって男性の部屋を渡り歩くなんてことはしたくない。そんな真似をすれば、女性なのにはしたない!と自分への罵声が止まなくなるのだ。……自分以外は、きっとそんなことを言ってはくれないが。

「ヴィオレッタ!」

 長い長い廊下の向こうで知った男の声が聞こえてきた。続いてバタバタとせわしない歩みが、絨毯を介してヴィオレッタのつま先を震わせた。

「やあヴィオレッタ!」ヴィオレッタと同じくハンターである、ナマエ・ミョウジは満面の笑みを浮かべた。「今日も貴方は麗しいな!」
「ご機嫌ようミョウジさん。貴方も今日はお休みかしら?」
「その通り!や、本当はベインと協力狩りの予定だったのだが貴方がお休みだと聞いてリッパーに押し付けて飛んできたよ」
「あらそうなの?」
「ああそうさ……」

 ミョウジは太く息をついた。

「先客が居なくて良かった。こんなに可愛らしいお嬢さんが壁の花となっていれば誰も放っておかないだろうから」
「お上手ね」
「本心だよヴィオレッタ。俺の目を見て」

 ミョウジは絨毯に膝をつくと、ヴィオレッタと視線を合わせた。ヴィオレッタを見つめる彼の瞳は、彼女と会えて感激だと言わんばかりに輝いている。照明の灯りを反射しているだけのはずなのに、どうしてそんなに感情を乗せられるのか不思議でたまらなかった。

 ミョウジの、そんな眩いくらいの好意はヴィオレッタをいつも困惑させる。
 ヴィオレッタはわざと目をぎょろりとしたり、頬をこけさせたりしていた。それらはショーのグロテスクな怪物の演出としてのもので、ヴィオレッタは観客の濁った嘲笑をより得られていた。
 なのにミョウジは醜い彼女を可愛いだの美しいだのと形容してくるのだ。正直、ヴィオレッタとしてはどう応えるべきかわからない。

 熱烈な視線から逃げるようにヴィオレッタは体を傾けようと試みた。しかしミョウジがまたヴィオレッタの名を呼び、捨てられた犬のような表情をするものだからいよいよ身動きがとれなくなってしまった。

「なあヴィオレッタ」
「……なあに?」
「今日も糸の調子は良いかな」

 ミョウジはヴィオレッタの背のボビンを指差した。
 「えっ?」とヴィオレッタは思わず聞き返しそうになる。
 大真面目な顔をする彼には悪いが、彼女にとってそれはとてもおかしな質問だった。彼には自分の糸の事情なんて関係ないし、体調のことを聞くならばもっと直接的に聞くはずだ。それに褒めるつもりならさっきみたいに笑ってくれるにちがいなかった。

「ええ、もちろん……」

 一体どうしたのかと内心で頭を傾げながらヴィオレッタは頷いた。

「今からショーに来てくれと頼まれても大丈夫なくらいにはちゃんと動くわ」
「ああ、さすがだ。素晴らしい演出家なだけはあるね」
「ねえ、私の糸に何か用事?」
「実はお願いがあるんだ」

 ミョウジの頬が少し赤らんだ。

「俺を……その、貴方の糸でぐるぐる巻きにしてくれないか?ほら、君がいつもサバイバーにしているみたいに……」
「えっ?」

 今度こそ声に出てしまったが、仕方がない。いつも以上に困惑させられたヴィオレッタはミョウジから顔をそらした。無論、廊下は沈黙を保ったままで、ヴィオレッタに助け舟の気配は無い。
 対してミョウジははにかんで、ヴィオレッタが口を開くのを今かまだかと体を揺らして待っている。

 どうして、そんなことを――と理由をか細く問えば「簡単なことだ」とミョウジは拳を作り、ヴィオレッタに熱弁して見せた。

「貴方は人間離れした可愛らしさをしている。雨垂れのような声につぶらな瞳、そして小さな顔。まるで天使様だ」
「え、ええ……?」

 眼前で目を丸くさせるヴィオレッタにミョウジは構わず続けた。

「だから、俺が瞬きをする間に消えてしまいそうでとても心配で。俺を縛って捕まえていて欲しいんだ。そうすれば俺は貴方と居られるし……」

 ヴィオレッタは言葉に詰まった。
 きっと彼は他の獲物と違って自らヴィオレッタの巣に絡みつき、歌でも歌いながら繭にされていくだろう。ヴィオレッタだって繭にした彼を離さず大事に大事にするに違いなかった。

「……駄目、そんなこと絶対にしないわ」

 ヴィオレッタのはっきりとした拒絶に、ミョウジは眉を下げた。

「駄目かな?」
「駄目。そうすれば……貴方とお話しできなくなってしまうもの」

 ヴィオレッタは上目遣いでミョウジを見やった。

「私、今日も貴方が来てくださると思って、此処をゆっくりと歩いていたのよ……」

 ヴィオレッタはミョウジの発言に心を乱され続けているが、別段嫌ではなかったのだ。
 彼は自分と話すときには膝が泥で汚れるのだって厭わず必ず目線を合わせたり、ヴィオレッタを懸命に探してみたり、見つければ何度も呼んでくれる。
 これが熱烈なファンへの愛情に似たものなのか、ナマエ・ミョウジ個人への恋慕なのかはヴィオレッタ自身にも判別できなかったが、そこに嫌悪なんてものはない。
 だからそんな日々を繭に包んで永遠に失うのはヴィオレッタには惜しかった。

「えっと……驚いたな、その……」

 ミョウジは珍しくうつむきがちとなったが、彼よりもずっと視線の低いヴィオレッタにはその赤に染まった顔がよくみえる。

「そういうつもりだったのか……」
「そうよ。もう貴方が居なくなったら別の方のところに行ってしまおうかしら。ちょうど今日部屋にいるのは……」
「そ、それは勘弁してくれよ。貴方は女性なんだから」
「冗談よ。貴方って可愛い人なのね」

 ヴィオレッタがくすりと笑みをこぼせば、ミョウジはがっくりと、糸が切れたように頭を下げてしまった。

「貴方には敵わないよ……」

 いろんな意味でね、とミョウジは恥ずかしそうに緩んだ口元を隠してしまった。

  

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