後輩の悟曰く、ナマエの術式は威力こそあれど一回につかう呪力が多いのだという(ついでにはかいこうせんだ!と面白そうにしていた後輩に、なんとなく腹が立ちチョークスリーパーをかました)。
 つまりナマエの呪術は飛び抜けて燃費が悪いのだ。しかも出力だってコントロールできない。そういう術式なのだ。
 一回だけ上限破ったときには体が木のように動かなくなり、ナマエの尊い高校生活は数ヶ月ほど病院のベッドで過ごす羽目になった。またついでにいえば、その際には後輩の硝子の反転術式の実験体にされた(「可愛い後輩のためだと思って」と動けないナマエを気にかける風もなくのたまえた彼女は、ある意味呪術師向きのよい性格をしている)。
 愉快な後輩とともにナマエは己の呪術の性質を理解して、上手く付き合ってきた。例えば、上限まで使いきった後や逆に温存したい時にも戦えるように呪具を携帯するだとか。
 今はどちらの状況で呪具を手に取ったかといえば、前者だ。

「動かないでいただきたい」

 降ってきた穏やかな声にホルダーの留め具を緩める手が止まった。「相席で」と店員に告げたのは最後に見たときよりも少しだけ背が伸びた傑。僧衣やその温厚な面差しも相まって、見てくれだけは仏のようだ。

「ちょうどよかった。“上限”までお使いになられてたんですね」
「ここで呪術使ったら店が壊れんだろ」
「怖いなぁ」

 ナマエはそっと鉈型の呪具を見下ろした。ホルダーからわずかに覗く鈍色が、ややかたい表情のナマエを映していた。
 ナマエは呪術連盟に帰属する呪術師なのだ。今すぐにこの男の首を落とさなくてはいけない。
 傑は言った。

「別に私はアナタと戦いたいわけではありません」

 虫唾の走るほどの優しい声に、ナマエは眉間にシワを寄せた。
 午後の任務を終えたナマエを出迎えたのは、従業員も客もそこそこいる喫茶店だ。ほどよく落ち着いた雰囲気やメニューの写真付きで紹介されているケーキセットはナマエ好みで、彼女に安堵と食欲を覚えさせたはずなのだ。――目の前にこの男や、店内のそこかしこに呪霊がいなければ。

「全部オマエのか」
「……」傑は肯定だと言わんばかりに沈黙と微笑みを返すと、テーブルに置いていた両手を広げた。「ついでに両手は机の上にお願いします。携帯は此方に」

 ナマエは舌打ちをして、携帯を投げた。顔面を狙ったのだが傑は軽々とキャッチすると「どうも」と嫌味ったらしく頭を下げた

「ま、楽にしてくださいよ。私たちはたまたま飯を食べる場所が被っただけなのだから」
「素直じゃないな。下手に動いたら一般人を殺すって言えよ」
「ははは、しらみや蚊を潰すなんてわざわざ宣言はしないでしょ。普通」
「サイアク……」

 傑はナマエにメニューを差し出した。

「適当に頼んでください。ここは私が持ちますから」
「……じゃあこれ」
「一番高いの頼みましたね」
「いや、慎ましぃく二番目のやつにしておいた」
「それはどうも」

 注文を受けた従業員が他のテーブルに向かう。ナマエの目はその肩にぴったりと張り付く呪霊をとらえる。三級程度か、そう見せかけたものなのか。
 どちらにせよナマエが呪具を振るえば、瞬く間に祓えるだろう。しかしその隙に傑が呪霊を操作して一瞬で他の人間の命を刈り取る。
 それは嫌だ。
 ナマエは人死にだけは出したくなかった。
 コイツ、わかっててやってんだろうな。

「先輩」

 ナマエと距離を詰めるように傑は行儀悪く肘をついた。

「そんなに強く噛むと唇が切れてしまいますよ」
「うっざ。話しかけんな」
「まぁまぁ」

 ナマエはグラスの冷水を一気に仰いだ。緊張のほとぼりが少しだけマシになった気がした。

「本当にお久しぶりです。服も仕立て直したんですね。よく似合ってます」
「……」
「いつ以来ですか」
「……さあ」
「私が学校を辞める前の校門でちょっと話しましたよね」
「そーだっけ」
「そうですよ。あれから何級に上がりましたか。一級ぐらい?」
「二級止まりだよ」

「おっと」と誤魔化すように傑がぺろりと舌をだした。そうだろう。ナマエが高校時代から階級が変わっていないことに気づいたのだ。
 よく悟と馬鹿をやらかした時は二人してそんなふざけた顔してたなぁ、と懐かしさを覚える。
 ……いや、なに思っているのだ私は。
 じわりと湧いてきた呵責に、ナマエは内心舌打ちをする。
 傑はうっすらと口の端をつりあげたまま「まあ、」と続けた。

「ナマエ先輩は人付き合いが下手でしたからね。私が高専にいればうまいこと斡旋したんですけど……」
「なあ」
「……はい」
「もう先輩後輩って間柄じゃないだろ。私ら」

 傑の唇が無愛想な一線を描いた。その不満顔は彼の瞬き一つで打ち消される。ナマエの言動が気に入らない時には、その子供のようで、大人らしい表情の移り変わりは何度も見た。その度にナマエは指摘せず、ふてぶてしく続けたものだった。

「良いじゃないですか」
「良くねえ」

 テーブルで組んだ手に爪が食い込んだ。

「なんで?」

 狐みたいな賢しい面立ちで、子供っぽく傑は首をかしげた。
 郷愁とは恐ろしいものだとしみじみと感じた。
 角のある石がコロコロと川の底を転がっていき、丸まっていくように、ナマエに渦巻く殺意も目の前の男と話すことで、先輩だなんてまた呼ばれるたびにどんどん柔らかいものになっていく。とても気味の悪い感覚だった。

「私に人殺しの後輩なんていねえよ」

 傑の所業は到底止められるはずがなく、ナマエが手を下さなければもっと人死にが出るのは明らかなのだ。
 傑は肩をすくめた。

「私は呪術師の保護活動をしているんです。それは過程の話でしょ」
「イカれてんなぁ」
「興味ありませんか?私の活動に」
「そんな顔してるやつの話なんか聞きたくない」
「どんな顔ですか」
「あることないことつかませて、内部を混乱させようって顔」
「うーん。手厳しい」

 眉を下げてさもそう思っているように見せるが、全然そんなことを思っていないだろう。人を丸め込もうとする傑は感情の機微が鼻につくくらい露骨だ。

「それに私じゃなくてもオマエを追ってるやつは居る」
「へえ」
「二ヶ月前に片田舎の一般人が全員殺されたらしい。それでそこにいたっていう、妄想癖持ちの子供二人そこから消えてたって話だ」ナマエは傑をねめつけた。「ずいぶん派手なことをしてくれたな?」
「いやぁ、情報がまわるのが早い。呪術連なめてました」
「全部予想通りって顔だな」
「ははは、まさかぁ」

 数秒の睨み合いの末に注文しておいた料理が並べられていく。ナマエの行動一つで首が落ちるとも思っていない従業員は相変わらず不思議そうに傑の僧衣を見つめていた。
「食べないんですか?」とチキングリルを頬張り出した傑にナマエはため息をつく。昔のままの仲であれば、そのアンバランスさを笑いの種にしていたのに。

「私ね、先輩にはとても感謝してるんですよ」
「あ?」
「私が今みたいに五体満足で活動できてるのも先輩のおかげですから」
「そんなたいしたことしてたっけ」
「お忘れになったんですか。ほら、二年生のときの姉妹校交流……」
「ああ、呪霊退治」
「はい、それです」

 傑たちが二年の時、ナマエも参加していた。より多くの呪霊を退治した方が勝ちという内容だったか。その際に京都校の生徒と交戦したナマエは辛くも勝利を掴んで、それからまた別の生徒と交戦中だった傑の援護に向かった。上限まで使い切ったが、体は動いた。

「先輩、すごくかっこよかったですよ」
「かっこよかねえ」ナマエはふてくされたように言った。「別に私が居なくても、オマエ一人でもどうにかなったろ。あのぐらい」

 ……戦いに夢中だったのだろう傑は、背後からの呪霊に遅れをとった。少なくともその時のナマエにはそう見えた。だから無我夢中でナマエは呪術を使ってしまった。

 今思えば余計なお節介だったと思う。傑の階級はその時点で特級なのだ。ナマエの援護がなくとも勝てただろうし、怪我をしたって治せる範囲に収まったにちがいない。

「動けないときに散々悟にもダサいって馬鹿にされたしな」
「……少なくとも、私にとっては貴いことでした」

 皿をからにした傑は口元を拭いた。

「あっそ」
「あっそ、て」
「特にコメントが思いつかなくて……へーそうなんだーみたいな……」ナマエはドリンクで喉を潤しながら、肘をついた。「ていうか、悟のことは聞かないんだな?」

 傑は自分とズッ友だとかなんとか、悟が騒いでいたのをナマエはよく覚えている。ナマエの問いを傑は鼻で笑う。

「……別に。何をしているかは概ね予想がついてますから」
「仲がよろしいねえ、オマエたちは。いっそ高専にもどって一緒に働けばどうだ?オマエの仲間ともども手厚くもてなしてやるけど」
「いえいえ、そうはいきません。私は弱者には罰、そして死を与えなければならない」傑は背筋を伸ばすとまっすぐな視線でナマエを貫いた「そして強者には愛を。これが私の信条。……ナマエ先輩、見ていてください。貴方が救われる世界をきちんと作りますから」

 つるりとした瞳は純度の高いものだった。自分のことを信じて疑わず、そして変える必要などないと物語っている。
 説得なんて無理だ。こんなヤツ。
 やきもきしていた自分が急に馬鹿らしくなってきた。

「オマエの口からそれを聞けてよかったよ」

 ナマエは不敵に微笑んで見せた。

「傑」
「はい」
「私はオマエをかわいい後輩だと思ってたが」
「が?」
「……もう、嫌いだ。次は躊躇なくオマエを殺せる」
「やっと名前を呼んだと思えば……」傑はがっくり、と言わんばかりに肩を落とした。「まあ、そう言われるのも仕方ないです。実現したあかつきにはこれで良かったと、言わせてあげますよ」

 傑はそう言って、席から立ち上がった。振り返らずに、その背は遠ざかっていく。呪霊らもそれに前後して店を出て行った。
 ナマエはソファの上で脱力した。

「アイツ……」

 視界の端に入った伝票に太くため息をついた。

「……奢るんじゃなかったのかよ。たこ」

 オマエが自分から離れたくせにな。なんでそんなに動揺すんだよ。名前呼ばれてちょっと嬉しそうにすんなよ。
 次は絶対殺してやるからな。
 ナマエは悪態をつくと、使いどころを見失った呪具を見下ろした。
 ホルダーから覗く鈍色に反射されるは薄暗い女の顔。躊躇と戸惑いに染まったそれからナマエはすぐに目を逸らした。

  

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