※名前変換無し


 楽しい時間はぐんぐん過ぎてしまう。甘露寺蜜璃は後ろ髪を引かれる思いだった。
 おもむろに立ち上がって、神妙な面持ちで言った。
「私そろそろ、行かなくっちゃ」
「ええ!」
 異口同音に不満そうな声を上げる妹たち。声は元気だが、くしゃりとした悲しみの滲んだ顔で見上げられるものだから、蜜璃も思わず眉を下げた。
 ――ああ、やっぱり家族と離れちゃう時って寂しいわ。
 蜜璃はみんなまとめて抱きしめて、しみじみとそう思った。

 隊服に着替えた蜜璃は迷いのない足取りで廊下に進む。やがて突き当たった部屋の襖を遠慮がちに開けた。
「兄さん」
「もう時間か」待ち構えていた男――蜜璃の兄が、向かいの座布団を顎で示した。「じゃあお客さん。こちらにどうぞ」
「お願いしまーす!」
 髪紐を兄に預け、蜜璃は背を向けるように正座した。
 背中で慣れた手つきで兄が蜜璃の左右と背中で髪を分けていく。控えめな力でまずは背中の髪束をすくい上げられる。それから頭のてっぺんから髪の端まで丁寧に櫛をとおしていく。頭や背中に走る、このくすぐったさが蜜璃は好きだった。
 しかし、当たり前だがこのむずがゆさも兄が全て編み終わればなくなってしまう。惜しいと思う。それは、兄と居ることができる時間が終わるということなのだから。
 兄はどうだろうか。こうしてくれるぶんには蜜璃との別れに惜しさを感じてくれるのだろうか。蜜璃にはわからなかった。
 兄は、よく言えばこざっぱりとした性格で、悪く言えば……少し、淡白だ。
 例えば、蜜璃が鬼殺の任務に行く時の家族の目だ。母や妹、弟が蜜璃を見送ってくれる目は濡れているのだが、兄は毅然とした様子で見送ってくれる。「行って来い」と彼だけは蜜璃の背中を強く押す。蜜璃の意思を尊重してくれているのだろうと思う反面、もう少し惜しいと思ってくれても良いではないか、なんて、思ったり。
 ――これって私のワガママなのかしら。だって、家族じゃない。兄妹じゃない。もっと、もっと何かあってもいいじゃない。……ワガママなのかなあ、私。
「蜜璃」
「なあに」
「毛先が少し分かれているが、どうする」
「枝毛!?やだ!切って切って」
「分かった。じゃあハサミ持ってくるから」
 兄は恬淡と言って、廊下に出て行った。その足運びはいつも通り。
「普通は切るものでしょ。お兄ちゃん」
 蜜璃は独りごちた。
 兄はいつもそうだ。蜜璃に対してこだわりがない。
 人に引かれないようにと食べる量を減らしたり、黒髪に染めた時も蜜璃がそうしたいならすればよいと、鬼殺隊に入る時もそうか、分かったと。いつもうんうんと顎を引いて、蜜璃の好きにさせるのだ。少し、不安になる。もっとこう……
「ただいま」
「おかえり」
 新聞紙とハサミを持ってきた兄は、先と同じ場所に座る。「切るぞ」と背中からハサミが持ち上げられる音がして、蜜璃は背を伸ばした。

「できた」
「んん、できたの?」
「ああ」
「ありがとう兄さん」
 首を回して、編まれた髪を手に取る。蜜璃自身がするよりも漏れなく綺麗に交差された髪は兄が大事に結ってくれた証だ。思わず頬が緩む。今夜の任務も頑張れそうだ。
 兄が後ろで片付けている間に蜜璃は立ち上がり、――よろめいた。髪を切ってもらっている間、気づかぬうちに足に負担がかかる座り方になっていたようだった。
「蜜璃!」
 前のめりに倒れそうになった蜜璃の肩が力強く掴まれて、そのまま引き寄せられる。
「あっとっ」
 ふわふわとした感覚の足が畳でたたらを踏む。その拍子に何か薄いものを踏みつける感覚と、がさり、と音が立った。視線を下せば、切った髪を収めたはずの新聞紙が広げられていた。
「あら?」
 蜜璃は首をかしげた。
「……兄さん、私の髪を切ったんじゃないの」
 白黒の新聞紙の中には桜色も若葉色もない。畳にだって一本も落ちていたない。
 わざわざハサミや新聞を取りに行った手間はなんだったのだろうか。
「んん、いや、それは……」
 兄は歯切れの悪い返しに、ますます疑問は深まる。兄は気まずそうにハサミを持つ手を後ろに隠して、蜜璃から一、二歩離れた。
「兄さん。どうしたの」
 目を丸くさせる蜜璃に兄は言った。
「こうでもしないと、なあ……お前はすぐに行ってしまうじゃないか」
「へ」
「悪かったな、引き止めて」と兄は目を伏せた。きゅん、と蜜璃の胸が苦しくなる。
「さて、じゃあ行って……」
「―――っ!悪くないわ!もう!全然!ぜんっぜん良いのよ!!」
「うおっ!?」
 蜜璃は兄の腕の中に子供のように飛び込んで、力いっぱいに抱きすくめる。
「蜜璃だってお兄ちゃんたちと一緒にいたいんだから!!言ってよ!言わないと!蜜璃わかんないもん!!」
 精一杯の蜜璃の叫びだった。謝罪の代わりに背中にそろりと腕がまわされる感覚に、また胸が痛いくらいにときめいた。


「とうとう泣かれたんだって?」
 ――蜜璃に。
 母さんがおかしそうに俺を見た。
「……『お兄ちゃんは分かりにくい』と散々言われた。耳が痛い」
 物理的な意味でも。耳たぶを揉んでいると、母が吹き出した。
「言ってあげようか。アンタが見合い相手に殴りこんだってこととか、色々」
 正確には蜜璃に関してあれやこれやと言った輩に対してだ。見合い相手以外にも、色々。母は全て知っているような顔で、さもそれらを武勇伝のように吹聴したがった。多分親戚や近所のーーさんだのには既に言ってそうだ。
「いいよ。恥ずかしい」
 妹のために殴りこんだと言えば美談として大衆受けする話が一本できそうだが、そうではない。殴り方を間違えてしまってぽっきりと拳の骨が折れたなんて言えない。あまりにも格好悪い。
 他の場合だって似たような失敗をやらかしている。言えない。そんなのが兄だって分かれば、とてもいやじゃないか。さっきだってやらかしてしまったのだから。
 思い出せばだすほど恥ずかしくなって頬に熱がたまっていく。そんな俺の肩を母さんが「締まらないねえ」と呆れ顔で叩いた。

  

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