「鬼殺隊って、なんですか」
炭治郎の疑問に「名前の通りだ」と鱗滝が答える。鬼を斬ること、それが鬼殺隊の仕事。
「鬼殺隊の歴史は戦国時代から始まり、鬼の資料も多い。今でも研究を進めている者もいる。妹を治すための解決の糸口が見つけられるようにと、義勇は儂のもとにお前を送ったのだろう」
「なるほど……」
炭治郎がしみじみとした声で言った。きっと姿が見えたら、彼はうんうんと深く頷いているに違いない。
「ーーだが、炭治郎、忘れてはいけないことがある。お前は妹だからとつい甘くみてしまうようだが、その子は鬼には変わりない。時にはお前の行動を受け入れない者も出てくるだろう」
頭に、大きな掌が乗っかるのを感じた。ナマエの髪の毛をすくように、鱗滝はナマエの頭を撫でた。ナマエは瞼を下ろしたままその優しい感触を甘んじて受けた。炭治郎に向けて、暗にナマエもその一人だと示しているのだ。
背中越しの視線を受けて、先日のことを思い出しナマエは一人居心地悪さを感じた。布団をかぶりなおしてしまいたかった。
「……嫌悪や恐怖は簡単には拭い去れない。何かされた相手なら尚更だ。だから、お前はそれを受け入れて、自分の行動にきちんと覚悟と責任を持つんだ」
鱗滝の言葉に、炭治郎の息遣いが一瞬乱れた。はっとした、何かを思い出したかのような様子だった。
「禰豆子が、……禰豆子が人を襲えば、俺は禰豆子を殺して、腹を切ります」
「ああ」
ーーえ?
ナマエは起き上がりそうになった身を、無理やり布団に縫いつけた。鬼の妹が狼藉をはたらいた場合の己の処遇について、当の炭治郎があっさりとそう言いのけた。そして、鱗滝もとくに否定もせず、むしろそうするのが当たり前だろうという空気だった。
ーーそうまでして、生かしたいの?なんで?
ナマエが深く考える間も無く、あっさりと答えは見つかる。禰豆子は炭治郎にとって、妹だ。そうまでできるほどに、大事な家族なのだ。
気づいた途端に、先日の、彼の妹へ言った己の言葉を思い出して、ナマエの口の中で苦いものが広がるような感覚に陥る。
「これ以上起きていても油が勿体無いし、明日に障る。もう寝よう」
瞼を透かしていた赤い灯火が消えて、沈黙が落ちる。鱗滝はナマエの隣の布団に入ると、「おやすみ」とまたナマエの頭を撫でた。
炭治郎と同じく嗅覚の鋭い彼が、ナマエの狸寝入りにきづかないはずがないことに気がついたのは次の日のことだ
炭治郎の筆が、その日記に文字を落としていく。あまり見ないようにしていたのだが、今日の炭治郎は渋い顔をしていて、どこか辛そうに腹のあたりをさすっていた。
「ちょっと、あんた。どっか悪いの?」
降ってきた声に、炭治郎は目を丸くさせていたが日記を慌てて隠すことはなかった。ただ「悪いところはないんだけど……」と困ったように眉を下げた。
「鱗滝さんから鍛錬中に腹に力が入ってないとバンバン叩かれるんだ。俺、結構意識してるつもりなんだけど、うまくいかないんだ」
「……あ、そう」
病気の類ではないようだ。無駄に気を張ってしまって損した気分になった。ナマエが傍に座ると、炭治郎は慣れたように自分の座布団を使ってくれと差し出した。当たり前のように親切する姿に、また口の中で苦いものが広がる。
「……あんた、呼吸の型、どんなのかあるか覚えてる?」
炭治郎が目をぱちくりとさせた。それから質問の内容をようやく認識したようで、「ええと、壱の型が……」と指を立てながら答えていく。一通り言えたところで、ナマエは質問を重ねた。
「じゃあ水車、流流舞い、ねじれ渦、水流飛沫の共通点、何かわかる?」
とまた質問を重ねる。
「体の捩って、回転させてる」
「うん」
「あとは、……跳ねてる、というか空を駆ける?」
「そう」
いずれも体を捩り具合で威力が変わり、そして使用中に空にとどまる時間が長い。ナマエは炭治郎に立ち上がらせた。
「ちょっとここで跳ねてみて」
ナマエの言葉に炭治郎が一瞬虚をつかれたような面差しだったが、すぐに「わかった」と頷いた。とんとん、と軽い音を立てて、炭治郎がその場で跳ねる。数回跳んだところで、ナマエが唐突に炭治郎の腹を平手で叩いた。
「ぐえ!?」
「へ、そんなに痛かった?」
「いや!ちょっとびっくりしただけだ!大丈夫!」炭治郎が慌てて訂正を入れた。「ーーで、なにかわかったのか?」
ナマエは横に向いて、自分の腹に手を当てた。
「地上で息をするって、こう、普通にできるでしょ」
ナマエが大きく息を吸って、吐いた。それに合わせて手を乗せた腹が大きく上下する。
「で、なにも意識しないで跳ねるときはこう、なって、る」
数回跳んだ。今度は小さく手が上下する。
「こんな風にね、跳んでるうちって、呼吸を止めてたり、浅くなってきてる。跳ぶために、お腹の筋肉つかってるから、息を吸わなきゃって思えても、その後の吐き具合が甘くなってるの」炭治郎と向き合って、ナマエは続けた。「……でもそうなってくると、体の捻りが甘くなったりして技の威力が落ちる。だから空中にいるうちでも地上にいる時みたいな呼吸ができなきゃ鱗滝さんは認めない」
「助言おわり」とナマエは締めた。炭治郎はといえば、赤みの入った黒目をきらきらとさせて、「なるほど!」と大きな声を上げた。
「ありがとうナマエ!すごくわかりやすかった!」
とナマエの両手を持ってぶんぶんと上下させた。面と向かって礼を言われると、ナマエはわずかに頬に熱がたまるのを感じた。だけれども、そんなまっすぐな瞳で見つめられるとやはり居心地悪さを感じた。
ナマエの挙動におかしさを感じたのか、炭治郎が首をかしげた。
「どうしたんだ?」
「いや、あの……」ナマエは張り付いた喉を潤して、言った。「ね、禰豆子のこと、あそこまでいって、ごめん」
「!……俺は良いよ!怒ってない。だけど、それは、禰豆子に直接言ってほしい」
炭治郎の視線が、部屋の隅で眠っている禰豆子に向けられる。ナマエは「うん」と低くつぶやいた。
「大丈夫だ。ナマエが優しいっていうのは、禰豆子も分かるよ」
「ど、どうして」
ナマエは思わずたずねていた。鉄火肌であると人に評されたことがある程度には自分は人当たりが強いという認識はあったため、“優しい”と言われたのはあまりなく、鱗滝や兄弟子にしか言われたことがなかった。
「ナマエは、言い方は厳しいけど基本的に人を見放さないじゃないか。今みたいに助言をくれたのだってそうだし、俺がいない間に禰豆子の世話をしてくれてただろ?ずっとお礼を言いたかった。ありがとう!」
また眩しい笑みを向けられて、ナマエは顔中熱くなっていくのを感じた。
胸の中にあったかい空気が溜まっていくような、そんな心地よさが広がった。
「ナマエ?」
「は、恥ずかしいからいちいち言わないでよ……」
「なんでだ?感謝の気持ちを伝えるのは当然……あ、照れてるのか」
「うるさい」
包まれた手も熱くってたまらなかったが、不思議と不快な感覚ではなかった。
表の扉に打たれた釘に、香り袋を下げた。ナマエは家へと戻り、布団に近寄った。
すうすうと、穏やかな寝息をたてる禰豆子はここ数日、その桃色の瞳をみせてくれない。なにも口にしてはいなかった。ナマエが口元に水を運んでも、飲もうとしなかったし、なんども呼んで体を揺すっても起きなかった。
体温は正常で、肉つきも変わりがない。鬼の頑丈さを抜きにしても、食べずにこのままであれるのは、奇っ怪なことだった。
しかし医師でもないナマエには、それ以上細かいことはわからない。
強いてできることと言えば、彼女の体と服と、布団とを清潔にしてやることだった。
炭治郎が鍛錬をしている間に、鱗滝に手伝ってもらいつつー熟睡している彼女の体を支えるのは、ナマエ一人では一苦労なのだー体を拭き、着替えを終えて、布団に再び寝かせた。
あとはナマエだけの仕事だ。鱗滝に見守られつつ、ナマエは湯を溜めた桶に禰豆子の髪を広げた。つやつやとした黒髪が水を含み、よりまっすぐとしたものになる。
一通り洗ってやったところで、手ぬぐいで濡れた髪をぬぐっていく。ナマエは改めて禰豆子を見下ろした。彼女は眠ったままだった。炭治郎が毎朝この顔を覗いては、不安そうな面差しでいることを思い出し、ナマエは針で刺されたかのように胸が痛んだ。鬼は鬼だが、炭治郎にとってこの子は大事な家族なのだ。
「ごめんね、禰豆子」
小さくそうつぶやくと、白い瞼がぴくりと動いた。え、と驚いていると、そのまなこが開かれた。体をゆっくりと起こし、ぼんやりとした眼差しのまま、禰豆子はナマエを見据えた。
「ひっ!?」
首にその細腕を回されて、そのまま抱き寄せられた。体格差をものともしない力強さにナマエは本能的な恐怖を覚えた。引きはがそうとすれば、むしろ力は強くなり、禰豆子の体は大人のようにどんどん大きくなった。
「うろこだきさ、た、たすけ……」
もつれる舌でかろうじて名を紡ぎ、助けを求めたナマエは横目で、いつの間にか日輪刀を持っていた鱗滝の姿を確認した。しかし、彼はその柄を握ったままナマエらを見下ろして、しげしげと様子を伺っているだけだった。
「こ、殺さないで……う、ぅう……」
喉元から吐き出される、すっかり萎縮した自分の声がやけに耳につく。禰豆子はぎゅうと上体をくっつけるようにナマエを抱き寄せると、「むー」とナマエの首筋に二、三度頬をすり寄せた。それから、背中にまわした腕の片方で何度もナマエの背を優しく叩いた。
まるで、まるで子供をあやす母のようだとナマエは思った。懐かしい。その反面、むずがゆい。ちょうど炭治郎に礼を言われた時の心地だった。
ナマエはおとなしく、禰豆子の腕の中におさまった。背中をとんとんと叩いていた腕が、今度はナマエの頭を撫でた。時折耳元にきこえる「がぅ」という唸りが怖いが、その手つきは存外優しく、安心できた。
「お前を、」
鱗滝が口を開いた。
「許しているつもりなのだろうと、思う。その謝罪の意味をわかっているかどうかは、わからないが」
「私を?」
鱗滝が言うのならば、そうなのだろう。顔を合わせようと身をよじらせていると、禰豆子はどんどん小さくなっていき、今度はナマエの腕の中に収まった。彼女は再び眠りについていた。ナマエは小さく「ありがとう」と呟いた。
禰豆子の茫洋とした意識の中で、ナマエがバツの悪そうに謝る姿が妹や弟と重なって見えていたことは、彼女自身しか知らない。
「ん?」と帰ってきた炭治郎が訝しげな声をあげた。炭火のような眼差しがナマエに向けられる。
「ナマエ、香り袋は空っぽにしたのか?」
「そう。別のにしようと思って」
ナマエはちらりと禰豆子に視線をやった。その健やかに眠る姿に自然と口角が上がった。