ミョウジナマエが生まれた時にはすでに上に兄が二人ほどいた。父は自分を空気のように扱った。この家では、ナマエは何もしなくてよかった。大人たちに混じって道楽者としてその生を過ごすのもよかったが、退屈そうだった。ナマエは仕方なしに母の方に寄った。

 母は自分を頼りにするナマエを宝物のように扱った。地弾きの師匠である彼女は、他の弟子と同じくナマエにその技術を伝えた。息子可愛さに、というのもあったのだろうが、母の瞳の奥はよくないもので濁っていた。

 ナマエは、ひどく物覚えが良かったのだ。技術の骨をつかむまでの時間が短く、失敗も少なかった。それだけでなく、一人で三味線を弾くたびに彼はその技巧を仕上げていくのだ。母は食い扶持のあてができたと、濁った目で喜んだ。それから母の知り合いー大抵は何かの楽器の師匠だったーのもとにやられて、ナマエは同じようにその技術を吸い込んだ。

 俊國に話したことが起きたのは、ナマエが十五の時だった。


 深夜にやってきた盗人たちは家中の家財を奪うだけで留まらず、両親と兄と、仲働き達を殺していた。耳をつんざく悲鳴と鼻につく血のにおい。廊下は見知らぬ人間が足音を立てて歩き回っていた。
 部屋に出るわけにはいかないし、かといって悠長に彼らを待つわけにもいかない。にわかに焦燥感がナマエを襲い、額に脂汗が滲んだ。不安ごと汗を拭ってしまい、ナマエは押入れの布団をかきわけて、書物やら陶器やらでひっそりと天井を何度か殴ってみた。あいにくと穴が爪先ほども開きそうになかった。
 ならば見つからないように、ここに隠れておくしかないーーナマエがそう決めたと同時に、部屋に荒々しい足音が飛び込んできた。ナマエが動揺する間に押入れの隙間から誰かに足をひっ捕まれた。ナマエを引きずり出した、その侵入者は知らぬ人間だった。彼は瞳孔を大きくして、肩で息をしていた。呆然としていたせいでナマエは、男の手元に注意が回っていたなかった。男とにらみ合っていた両目に、経験したこともない激痛が走った。

 部屋の中はナマエの悲鳴であふれたが、廊下からの声も様子が変わってきた。助けが来たのだった。
「捕まりたくねえ!」と侵入者は悲鳴をあげた。大の男が、それも人殺しをする男があげるようなものではない情けない声だった。ナマエは痛みをこらえながら隠れていた押入れにその男を押し込んだ。それから出していた布団も一緒に詰め込んで、完全に男を隠した。

 それから彼の仲間が鬼のような目をした大人たちに捕まって、状況を問いただされるとナマエは沈黙を保っていた。目から涙と血と、割られた目の汁で頬を汚す子供に大人たちはそれ以上掘り下げようとしなかった。


「俺を仲間にしてください」

 処置が間に合わなかったせいか、ナマエがそういったときにはすでに侵入者の男の顔は見えなかった。きっと色のいいものではなかったが、憔悴しきっていた男はナマエの申し出を受け入れた。

 理由は簡単だった。ナマエはすでに母からいいように仕込まれる生活に飽きていたのだ。彼は特別楽器に触れるのが好きというわけではなかった。しかし、どう望んでも、それ以外のものを誰も彼に与えてくれなかったのだ。この侵入者の仲間入りさえしておけば、また新しく、面白いものでも得られるのではないかとナマエは期待していた。

 ナマエはそれから男の仲間と一緒になって、自分の屋敷にされたのと同じようなことを何度も行った。ナマエは母の名を後ろ盾にして標的とした家に師匠としてやってきて、家の者を懐柔して、その間取りや生活時間などの下調べをしておくのがナマエの主な役割だった。

 ナマエは、騙すのも脅すのも盗むのも、そして殺すことも躊躇しなかった。ひたすら淡々と、全てを作業のように行うナマエに、

「ナマエは長生きできるだろうな」

 と、しゃがれた声になった男がポツリと言った。

「どうしてです」
「お前みたいないかれたやつの魂なんか、誰ももらいたくねえから引き延ばされるんだ」
「閻魔様にも仏様にも嫌われちゃうんですかい」
「そういうこった」

 ナマエは困ったように眉を下げた。

「じゃあ、俺は誰に拾っていただけるんでしょうね」
「へっ」男はナマエの疑問を一笑にふした。「お前はそういう柄じゃねぇだろ」

 そう言われた時に、ナマエは内心で途方に暮れた。まだ心から楽しいと思えることに出会えていなかった。酒や煙草、博打などといった一時的に高揚感を与えてくれるものに手を染めたことがあったが、結局のところ自分が完全に満たされたことはなかったのだ。

 生きている間も楽しくない、死んでからもぽいと捨てられてしまうなんて、きっと楽しくない。なんて、寂しいもんだ。

 ナマエは心の中でそう呟き、濁った眼差しをする仲間たちへ今回の分け前を与えてだした。


 ちょうどナマエが俊國と交流を持ち出したのはその後だった。その屋敷の主人から息子は日に当たることができないと聞いていたが、自分の腕を引く彼は想像よりも溌剌としていた。それに、その振る舞いはなんというか、子供らしからぬ堂々としたものだった。
 俊國は、この曲が弾けるかと一回だけ箏を扱ってみせた。知らない曲だった。昔暇つぶしにと実家の蔵をひっくり返して譜面を全て覚えておいたのだが、どれにも引っかからなかった。
 そんなナマエの心情を予期していたように彼の口調はなんとなく挑発的な態度だったが、ナマエにそこまで期待を抱いていないようだった。それに気づいてから、ナマエに雷に打たれたかのような衝撃が走った。
 ナマエは臆病者ではない。自分の指針は自分で決めていたし、それを決行するのだってそこまで恐れというものは抱いたことはなかった。ただ、その場にいて弦を弾く指先が初めて凍ったような感覚に陥った。
 ナマエの中を支配していたのはこの息子に、幻滅されてしまったらどうしよう、という恐怖。それと彼に自分を見てもらいたいという。子供のような承認欲求だった。

 俊國へ沸き立った情動を、ナマエは忘れられなかった。日を跨いでも、仲間といる時でも、屋敷の主人との晩酌に付き合っているときにだって、気づけば何度もあの息子のやりとりを反芻していた。
 それほどまでに衝撃を覚えさせられたのは、あの息子のナマエへの態度だ。
 彼は純粋に、ナマエを見定めんといった風態だった。ナマエの音を聞いていたあの瞳が見えたのならば、そこには感動の雫すらも浮かべずにただただ無機質な鋭い光しか宿っていなかっただろう。そんな、あの母とは違うーむしろ比べることすらおこがましい!ー、気高い面差しだったに違いない。
 ああ、この人ならば自分を見て欲しい、とナマエは思えた。
 それからあの息子に、手を引いてもらい、言葉を交わすたびに、酔っているような心地よさを覚えた。この人の言いつけにひたすら添いたいという気持ちばかりがナマエの中で育っていった。
 母に褒められて、喜んだ兄弟子たちの表情を思い出して、ナマエはようやくあのしまりのない顔の意味を知った。生き甲斐を得たという顔ーーつまりあれと同じなのだろうな、とナマエは一人で納得した。

 そうしていつもの自分の役割はすでに終えていたのに、あれやこれやと口三味線で仲間を言いくるめて決行する日を一年ほど延ばした。ナマエは自分の思っている以上にあの息子との交流を気に入ってたのだ。

 俊國はナマエの思う以上に聡明な人だった。だからこそ話しておいた人殺し、あるいは泥坊が来た時は逃げた方が良いというのは、思い出でなく知識として蓄えていると思っていた。

 ――いたのだが。

 その屋敷の息子以外を殺したという話しを聞いてから、奥の、日当たりの悪いだろう部屋から、鋭敏になっているナマエの耳が紙のすれるような音を捉えた。

 ああ、そこにいる。そう思った瞬間に、ナマエの頭に、全身に血が逆巻きだした。ほとんど衝動的に仲間だった男達を止めに入っていた。腹に小刀が刺されて倒れ伏すまでナマエの思考はその部屋の向こうの主のことで隙間なく埋め尽くされていた。

 興奮しているせいか、おかげなのか痛みはなかった。しかし腹からは血が流れ出しており、体の力が徐々に抜けていった。指先から感覚がなくなってきた。徐々に自分が抜け殻になってしまうのを、ナマエは直に感じる。
 男たちの足音が横切っていき、ナマエは額を床板に押し付けて歯噛みした。神にでも祈りたくなった。今すぐにでもこの男たちを殺してくれ、と。


 突然、風を切る音が耳に入った。蔓延する血の臭いと肉が床に思い切り叩きつけられたかのような、鈍い音。沈黙を破るように小さな足音が近寄ってきて、そしてこれまた小さい手に頬を包まれる。上から降ってくる声に、ナマエはただただ困惑した。それらは全て俊國のものだったからだ。


 ――鬼となり、視界を取り戻したナマエの前で俊國――鬼舞辻無惨は当たり前のように命じた。

「お前はその全身全霊をもって私の役に立つんだ」

 いつかの会話を思い出した。この男は、人の皮を被っているというのに、ナマエのしていたことを察しただろうに、ナマエを生かした。閻魔にも仏にも嫌われた自分だったが、この鬼のお眼鏡にはかなったのだ。
 自分が生きても死んでもこの男のためになるのならば、それでよかった。
 それがどうにも胸の中をくすぐって、ナマエの口に笑みが浮かんだ。

  

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