−−真希ちゃん、ほんとに行くつもり?

 首をかしげるナマエに「別にいいだろ」と言って、視線を逸らした。
 呪力も術式もない真希が呪術高専に行くことを家族に宣言してから、まだ一日ほどしか経っていなかった。なのに分家筋の末であるナマエにいきつくまではやすぎやしないか。
 答えは簡単に出てくる。この家の連中が、落ちこぼれである真希が呪術師を志すことを吹聴しまくったのだろう。本当にヤな家だ、と内心唾棄する。だからこそ、ぶち壊しがいがあるのだが。
 ナマエは小さい子をあやすように言った。

ーーそんな急いで呪術師にならなくたっていーじゃん。俺なんて大学出るまで待ってくださいなんて言っちゃったもん。なんならさ、真希ちゃんも俺と同じ学校受験しよ?説得手伝うよ。

 きっと、いま顔を上げればいつものようへらりとした笑みを浮かべているナマエがいるのだろう。

 オマエ、ほんと私のことわかってねぇな。

 この男の、いっそ羨ましいくらいの察しの悪さと陽気さにだんだん腹が立ってきた。しかし真希は「帰れ」と台詞を地面に吐いてから、根負けしたナマエが去るまでずっとだんまりを決め込んでいた。


 沼から引きずり出されるような、嫌な目覚めだった。自室の天井を眠たげな目で見つめつつ、真希はあくびをした。
 昨日の百鬼夜行での疲労がまだ尾を引いているのだろう、意識は霧がかったようにぼんやりしていたし、体は酔ったような脱力感で包まれていた。まだ休みを求める体に従おうと、再び瞼を下ろしたところで、「真希ちゃん?」と声をかけられた。

「あ?」

 真希は耳を疑った。
 一瞬、夢かとも思った。しかしまどろんでいた頭は今の声ではっきりと、一人の人物を思い浮かべた。"真希ちゃん"だなんて気持ち悪い呼び方する男なんて、アイツしかいない。でもアイツはいま此処にはいないはずだーー布団を突き飛ばす勢いで身を起こすと、真希の目は弾かれたように開いた。
 ベッドに沿うように置かれた椅子に、予想した通り、先の声の主――ナマエが座っていたのだ。

「なんでオマエがいんだよ、ここに」
「真希ちゃんがここにいるって聞いたからだけど……」
「誰だよコイツを通したやつ……」
「あっ、なんかパンダがここまで連れてきてくれたんだ」

「親切な呪骸くんだった」とナマエはニコニコしながら言った。
 真希は舌打ちして、乱暴に頭をかいた。
 ーーああそうだ。この男が馬鹿正直に「真希ちゃんの婚約者です」だなんて告げれば、あのパンダが意気揚々とこの部屋まで案内してやるに決まってるじゃないか。最後にサムズアップなんてキメてそうだ。あとであのパンダ殺す。絶対殺す。

 一人むかっぱらを立てる真希を他所に、ナマエは機嫌良さそうに言った。

「百鬼夜行の主謀者がここに来たらしいけど、君に大きな怪我がなくて良かった」
「見ての通りだ。満足したならとっとと帰れ」
「真希ちゃん……」

 ナマエは困ったように眉尻を下げた。言葉を重ねる気はなさそうだが、このまま動きそうにもない。さて、どうしたものかーーと思考を巡らせるうちに、ナマエの肩越しに扉が見えて、ふっと嫌な予感がした。これはきっと気のせいではない。真希は足音を殺して、扉に向かった。後ろから「どうしたの?」とナマエの声が投げられるが、この際スルーだ。
 真希は勢いよく扉を開いた。

「うおおっ!!?」

 扉から大きく仰け反ったパンダが、大声をあげた。

「バレちまったか」
「バレちまったかじゃねぇ!聞くな!つか人の部屋に勝手に連れこむなや!」

 こめかみに青筋を立てながら、真希は親指で背後のナマエを示した。パンダはしまりのない顔をしつつ、「えー?」と不満げに言った。

「フィアンセだろ?大事にしろよ」
「気持ちの悪ィ言い方すんな。婚約者っていうのはアイツが勝手に言い出しただけだし、私は受け入れる気は毛頭ねえよ」



 真希とナマエは同い年で幼い頃から関わりがあった。関わりがあった、というかナマエから一方的に絡まれていただけだが。

 ナマエは、昔から家の集まりがあるたびに、真希と遊びたがっていた。家の、日の光が入りにくい北部屋に一人でいても真希ちゃん見つけた、なんて無邪気に言って、真希を外に連れ出した。ナマエの手の力強さと暖かさは悪いものではなかったが、そのたびに家の連中の奇異的な視線にさらされて、居心地悪かったのを覚えている。

 ナマエは禪院家の分家筋の中でも呪術の才に恵まれている。だからなぜ呪術が使えず、ましてや呪力もない自分と仲良くしたがっていたのか、真希自身よくわからなかった。普通ならば、才のある者同士手を結んで、格下などを相手にしないものだ。それを聞くとナマエは決まって、「一目惚れってやつなんだ」と笑っていたが、真希は本気にしていなかった。
 ーーいや、本気にできなかった。
 真希ははっきりと覚えている。真希と、ナマエの両親らが行っていた会話を。「ナマエは真希さんを気に入ってるようで」「まさか!アレは、……真希は禪院家の恥ですよ。好きだなんてありえません。きっと一緒にいて優越感に浸りたいのでしょう」明確な日付も季節も思い出せないが、ナマエから逃げた先の縁側で、そんな会話が障子の向こうから飛び込んできたのだ。呆然としたままその白を眺めながら、ああ、だろうな、やっぱりなという納得。そして真希が自分自身ですら気づかないうちに失望をさせられたことなぞナマエは知らないのだ。

 それから突然、先方から将来真希を婚約者として迎えたいと言われたのだ。パンダに言った通り、ナマエが言い出したのだという。家の連中は手を叩いて喜んでいたが、真希の中ではナマエは自称・婚約者だ。
 調子づいたナマエはますます真希に会いに来た。ナマエは聞き飽きるくらい真希のことを「好き」だと言った。笑って、真希をよく褒めた。しかしこの男は真希が呪術師を志すことに関しては、一転してその表情を険しくさせた。

「俺は君に呪術師になって欲しくない」
「なんで」
「そりゃ、君が大事だから」
「オマエ、私のことわかってねぇな」

 ああ、わかってない。全然わかってない。
 オマエが近くにいるだけで、私は疲れるのだ。
 オマエが私といる間に呪いを見つけると、こっそりと奴らを祓っていたのは知っている。それに気づくたびに、オマエの呪術の才を見せつけられるたびに、周りから否定され続けた私のほんのちょっとだけ残っている自信が削れていくのだ。
 それにオマエから言葉をかけられると、それがどんなものだって空っぽのものとしか受け止めきれないのだ。私はオマエに好きだ、綺麗だ、可愛いだのと言われたって本当はそう思ってねえだろと悪態づくことしか出来ない。本当、いろんな意味で嫌になってしまうのだ。オマエが私を大事だと思ってるなら、さっさと離れて欲しい。

「私は私のために呪術師になるんだよ。オマエに口出しされる筋合いはねぇ」

 ナマエはそれから真希に直接的に呪術師になるのをやめろとは言わなくなった。



「――受け入れる気ないって、マジで言ってる?」

 パンダがその太い首をことりと傾げた。

「大マジだ。あんな自分勝手野郎……」
「あのさぁ、真希……ちょっとナマエの足元見てみ」

 治ったばかりであろう右腕で、パンダは椅子に座り込んだままのナマエを示した。一瞬、このパンダが何を言いたいのかわからずにいたが、真希が視線を下げると同時に、その口から「え」と空虚な音がこぼれた。

「オマエ、足どこやった?」

 椅子に腰掛けるナマエの右足の膝から下がなかった。布が余って揺れるズボンの裾を、真希はあっけに取られたようにただ見つめることしかできなかった。ナマエはまた困ったように笑って、首筋をさすった。

「なんか……昨日ここに来ようとしたら、途中で戦闘に巻き込まれた」
「は!?なんで来てんだよ!オマエ!百鬼夜行があるってわかってただろ!?」

 少なくとも御三家とも言われており、なおかつ高専とのパイプを持つ禪院家ならば、百鬼夜行の協力を要請されるだろう。それにその分家筋であるナマエの家にだって連絡がまわっていたはずだ。
 ナマエは呪術師でないため、普通は待機するよう家の者に言われているはずだ。なのにどうして来てしまったんだ。

「聞いた。主謀者のやつが千の呪いを各地にばらまけるほどヤバい奴だってことも、取り巻きも殺人を厭わないって話も」
「知ってて来たんなら、オマエはただの命知らずの馬鹿だな。ぬくぬくとあったけえ家にいりゃよかったんだ」

 ナマエは目を見開いた。

「なにがいいんだ!」

 突然の怒号に真希の肩が跳ね上がった。ナマエは片足で立ち上がって、椅子に腕で体重を預けつつ真希をねめつけた。

「つまりそんな危ないとこのど真ん中に君がいるってことだ!なんで行かないと思うんだ!そっちの方が馬鹿だろッ!!君のためなら俺は足だって命だって惜しくはない!」

 ナマエは半ば叫ぶように言った。

「俺は!大事な子が命の危険にさらされるのなんてすっげぇイヤなんだよ!呪術師なんてもってのほかだ!今だって真希ちゃんをここから連れ出したいんだよ!!」

 オマエのそんな大声を聞くのも、そんな顔されんのも初めてだな、と真希は他人事のように思った。同時に、そんなことを必死に主張されてしまい、顔が別の意味で赤くなりつつある自分がいた。胸の内はふわふわとおかしな感覚なのに、体は首元からどんどん熱くなっていき、汗ばんできた。

 ――アイツは少々他人を理解した気になる所がある。
 いつの日にかパンダが真希をそう評したことがあった。それは案外、的を射ていたらしい。

「馬鹿じゃねぇの……」

 私のために足ぶっとんでも良しとしたオマエも、そこでようやくオマエのそれが本音だって気づいた私も。どっちも馬鹿だ。

 さっきまで気色ばんでいたナマエは、そう呟いた真希を見て、また困った顔で慌てていた。ああ、せわしねぇやつ。それがなんだかおかしくなって、じわりじわりと目頭があつくなっているのに、真希の口にはぶっきらぼうな笑みが浮かんだ。

  

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