「オレさぁ、胡蝶先輩好きみたいなのよ」
「は?」

 昼休みになって飯を食べた後に、善逸は廊下に引きずり出された。そして呪詛を連ねる間も無く己の友人がそんな珍奇なことを言いだすものだから、聞き落とすことなんてそうそうない我が耳を疑った。

「ごめん。もう一回言ってくれない?」
「いやだから」
「やっぱいいわ」
「なんだよ、聞いてけよ」窓辺に肘をかけたナマエは口を尖らせた。「この前も冨岡からかばってやったじゃん?」
「竈門君に押し付けただけだよね?」

 善逸がそう言うと、ナマエは「いやぁ」と乾いた笑い声をあげて目を逸らした。
 ナマエがしれっと呼び捨てにする冨岡とは、体育の教師であり風紀委員会の顧問の冨岡義勇だ。校則違反者には暴力で制裁を下し、後輩の竈門が形見だとつけていたピアスでも外せと竹刀片手に追いかけ回す程度には血も涙もない。当然善逸も金髪をさっさと黒染めしろと、たまに怒られるときもある(だけどこの色は地毛なんだよ!)。そんな時、たまにナマエがーたぶん、いや絶対気まぐれでー助け舟を出してくれるので、竈門や他の生徒には申し訳ないがありがたく乗らせてもらっている。

「というか急にどうしたんだよ。この前俺が胡蝶先輩と同じ部活良いなー!良い雰囲気なったりとかしねえのー!?とか言ったら『ナイ。どっちかっていうと姉ちゃんみてえだわ』って言ってたじゃん。脈全然なかったじゃん」
「いやお前一回先輩とファイティングやってみ?あのひと踏み出しからして怖ぇから」
「イヤだよ……」
「もう剣の出し方もすげぇから、肘の張り方がちがう」

 こう!こうな!軽やかだけど絶対に殺すという意思を持ってるかんじの!と実際に構えてみせるナマエは真顔だったし、心臓の音も嘘をついていなさそうだ。善逸の中の胡蝶は大きな蝶の髪飾りがよく似合う、箸より重たいものは持てませんよと言わんばかりに上品で綺麗な顔立ちの先輩だったので、若干イメージを修正する必要が出てきた。
 彼女がフェンシング部で、大会優勝経験有りっていうのは大概の生徒は知っているが、実際どういう風に戦っているのかは部員のナマエがよく知っているのだろう。

「きっかけは何さ」
「そんな大したことじゃないけど……」
「何?なんかあったの?なんかあっちゃったの?」
「まぁ……」
「ウワァ」

 いざ話すとなると照れが出てきたのか、ナマエの心音が早まってきた。

 ――ガチなやつじゃん。

 耳を通して人の気持ちを察することに関しては海千山千の善逸は、ナマエが緊張して、わずかにセンチになっていることに気づいて、内心衝撃を受けた。そして少し気まずかった。友人が現在進行形で恋している場面を面と見せられるこっちの身にもなってほしい。わりとガチらしいナマエを茶化す勇気が出なかったし、かといって親身に聞いて他人のでろっでろの甘い話で砂糖吐かされるのも勘弁だった。
 善逸も一緒になって窓辺に寄りかかって催促をすると、ようやく話す気になったのか、ナマエは声を潜めて話し出した。

「この前廊下で会ってね?」
「うん」
「人にぶつかって、先輩がこけたから、起き上がる時に手を貸したんだよ」
「うん」
「その手がすっげぇ小さくてさぁ……」ナマエは含み笑いをしながら続けた。「……なんか、この人かわいいなって」
「それだけ?」
「うん」
「……空が青いなぁ」
「おい!」
「いや、だって……」

 なんだそのーー、なんだその少女漫画みたいなの。
 溶けた飴みたいにでれでれした顔をしたナマエは、おそらく触れたのであろう手をぐーぱーとして「まじで小さかったんだよぉ、すげーかわいいの」とつぶやいた。砂糖回避したはいいものの、これはこれでショックだ。
 ナマエとは中学からの付き合いではあるが、この男は基本的に淡白で、自己主張が少ない。家に上にも下にもきょうだいがいるため、なんでもかんでも取り上げられるのが常らしく、物にも物事にも入れ込むことは滅多になかった。だけど「経験は取り上げられないから」と、部活には熱を上げているのをクラスの中で善逸だけは知っていた。

「付き合いたいの?」
「難しいだろぉ、絶対先輩俺のこと弟扱いしてるもん」
「いけるって。仲良いんだろ?」
「そりゃ部内の中じゃ俺が一番だと言えるけどー」

 善逸はナマエを横目でねめつけた。

「お前そういうとこ直せよ」
「そういうとこって?」
「消極的なところ」
「オレけっこう積極的な方だと思うけど」
「こういうとこ自覚ないもんなぁコイツ……」

 困った奴だ、と呆れつつもどうにかしてやろうと考え出す人のよい自分もいた。犬みたいに唸りながら、ずるずると思考の深みにハマりだしているナマエに「まぁ対策は放課後にも考えようぜ」と肩を叩いて体を反転させると、――三年である胡蝶しのぶが、なぜかいた。

「ヒッ!!?」
「なんだ、って胡蝶先輩!?」
「どうしたんですか?二人してそんな反応して」
「ええと、なんでもないす……ちょっとびっくりしただけで、はい」

 しどろもどろと言葉を紡ぎ、小さくなってゆくナマエににっこりとしつつ、「どうしたんですか?私に何か隠し事でも?」と尋ねる胡蝶は妙に気迫のある。
 あ、なんか姉ちゃんに叱られてる弟みたいだ、と思ってしまい、善逸は内心ナマエに謝った。悪いことをしたわけではないのに、なぜか青ざめている善逸とナマエの顔を交互に見やって、「まぁ、男の子同士積もる話しもあるでしょうしね」と納得した様子だった。

「先輩はどうしてここに?」
「あ、そうでした。ミョウジ君、今週の部活のことなのですが」

 胡蝶と目があったナマエの心音はごんごんと、そりゃあ寺の鐘のようにうるさくなっていく。好きな人の前だもんなぁ、と事情を知る善逸は二人のやりとりを見つめながら、妙な心地でいた。一通り連絡事項を終えるのを待ってから、善逸は言った。

「胡蝶先輩はいつからいました?」
「さっき通りかかったんですよ」
「え」
「あ、そうなんすね」

 「じゃあ、これで失礼しますね」としのぶは言い終えて、去っていった。その背中を見つめて、「なんかすっげぇ緊張した」とナマエは小動物みたいにはやくなっている心音を落ち着かせるように胸をなで下ろしていたが、その横の善逸はやや間を空けてから口をおさえた。

「善逸?大丈夫か?」

 先ほどの質問で、善逸がとらえた胡蝶の心音は嘘をついていた。彼女はさっき通りかかったわけではないのだ。じゃあいつから?最初から聞いちゃってた?途中から?どこから聞いてもナマエが彼女に好意を持っているのはわかるだろう。
 それにさっき目を合わせた時に聞こえたのは彼女の心音だったのか。そりゃあそうだ。胡蝶先輩は鐘の音みたいな心音と一緒に教室に帰ったんだから。あの話しを聞いた上でナマエへの不快感0な音ってことは、たどり着くのは一つの答えなわけで。「さとうでそう……」「なに?」

  

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