三人連れ立って、硝子のもとに行くと、ナマエに対して何も言わずとも彼女の呆れ顔がまた君かぁと語っていた。伏黒とは行き違いになったようで、彼はすでに部屋に帰っているのだという。ナマエは治療のついでに目の洗浄をしておいた。
 洗浄後に軽く硝子から検診を受けるときには、野薔薇たちも部屋に戻っているようだった。

「硝子先生、今日もありがとうございます」
「うん」硝子が自分の目元をちょんとつついた。「あと、明日くらいには眼帯(ソレ)とっていいから」
「はーい」

 袋ごと渡された湿布を持ち、キャスケットをかぶり直してから、扉を開くとなんでもないような顔をした野薔薇が向かいの壁に寄りかかっていた。

「ん、終わった?案外早かったのね」

 と、野薔薇は数歩歩くと、ナマエを振り向いて首をかしげた。「ほら、行かないの?」

 寮に戻る道中でナマエは覗き込むようにしてー眼帯をつけている方に野薔薇はいたのだー、野薔薇のジャージを確認した。真依の呪具によって野薔薇の買ったばかりのジャージは穴が数カ所開けられていたし、野薔薇自体も怪我と呪いにかかっていた。

「野薔薇ちゃん、お腹の傷は?」
「へーき、あんなもんちょろいわ」野薔薇はぽすぽすと腹まわりを触れてみせた。「そっちはどうなの」
「ぎりヒビ入ってなかった、眼帯は明日取れるって」
「そ、良かったじゃない。……てかあの夏服マジで欲しかったわ」
「真依さんの?袖がなくて涼しそうだもんね」

 途端に野薔薇が苦虫を噛んだような表情になった。

「ノースリーブって言いなさいよ。あんた絶対オフショルのことを肩出し服とか言いそうね」
「ぐ」
「図星ね、東京民のくせに」

 ナマエはしたり顔をする野薔薇にうりうりとほおに円を描くように突かれた。

「図星です……、そういうのって学長の方が詳しいと思う」
「あー、あの」
「あのってどういう意味よ」

 成人なんてとっくに過ぎており、年を重ねるごとに厳しさが増している夜蛾の、個性的―虎杖曰く、きも可愛いーな人形に囲まれる姿は確かにシュールだ。野薔薇の人を評価するときの表現は案外面白いので、聞いていて飽きないーこっそりとナマエに耳打ちすることがよくあるのだーので、ナマエは含み笑いをしつつ思わずそうたずねた。

 野薔薇が口を開く前に、ポケットの携帯が震えた。真希から一年生全員に向けたメッセージが来ていたのだ。今日の鍛錬が休みで、明日の集合時間が書かれていた。文面には絵文字も顔文字もなく、言い方もそっけなかったが、いつもより遅めの集合時間にしてあるあたり、ナマエたちの体調を考えてくれているような気がした。
 ナマエの携帯の画面を覗き込んでいた野薔薇は両手を挙げて「風呂!買い物!ジャージ!ヨッシャ!」と嬉しそうに跳ねていた。確かにまだ日がてっぺんを通ったくらいの時間帯だから、風呂に入っても、買い物に行く余裕はあるだろう。他人事のように聞き流していると、野薔薇が訝しげな顔をした。「何しょっぱい顔してんの、あんたも行くでしょ?風呂」「うん」

 この寮には生理や体調不良の生徒が使えるようにシャワー室があるが、(多分)ロッカーよりも窮屈で息苦しいので皆だいたい広い湯船のある共同風呂を利用する。もちろんナマエたちだってそうだ。
 部屋に戻ってから部屋着になり、ビニールバックに先ほどもらった湿布やバスタオルや下着を詰めてから、サンダルを引っ掛けて表に出た。ひと気がない廊下はさみしいくらいにしーんとしていた。隣の部屋から扉越しに物音がするので、まだ野薔薇は準備中なのだろう。向かい壁に背を預けて、先の野薔薇のようにナマエも彼女を待つことにした。
 手持ち無沙汰だったのでバックの中身を確認していると、「お待たせ」とナマエより少し膨らんだバックを抱えた野薔薇が出てきた(寮のシャンプーなどが気に食わないらしく、毎回自前のものを持ち込んでいるのだ)。
「さっき出たとこだよ」と言いつつナマエが身を翻して歩き出すと、左側までまわりこんで野薔薇も足を進めた。

「野薔薇ちゃん」
「ん?」
「あー……私の目のことなんだけど」
「目?あぁ……何かあったの?」

 抽象的な問いにナマエは苦笑しつつ首を横に振った。

「うーん、さっきのことも合わせて私が話したいだけ。聞いてくれる?」
「ダッツ一つ」
「仕方なし」

 シリアスめな話をするつもりが、少し気の抜けた空間になった。これはこれでいいか、とうっすらと笑みを浮かべたままナマエは続けた。

「私はこの目を見られるのも、この目で人を見るのもあんまり得意じゃないんだ。」
「見られるのはなんとなくわかるけど……見るのも嫌なの?」

 野薔薇の問いにナマエは「うん」と頷いた。

「ほら、呪力って、人の歪んだ気持ちでしょ?皆ふつーに笑ってるけど、それが息をするように流れ出てるんだ。そりゃ人間だから、コミュニケーションのために気持ちを押し隠すことは当たり前っちゃ当たり前なんだろうけど、その様子が目の前で起こると、さすがに怖いし、気持ちのいいものじゃないからね」
「そういうもんか」

 ナマエはまた頷いた。
 人は息をするのと等しく思考もする。だからそこからは必ず多種多様の感情が浮かび上がり、それらはどこかへと吹き溜まる。夜蛾も、伏黒も、五条も、ナマエ自身にだってそういう現象は起こる。
 当たり前のことだとはナマエも理解していた。
 しかし、普通の小、中学校に、通っている間でも、街中、あるいは校内に渦巻く嫉妬や辛酸などの歪んだ感情の温床が出来上がる様をナマエは何度もリアルタイムで観測する羽目になったので、さすがにナマエも参っているのだ。たまに呪いよりも人間怖いなと思わされるときもあった。
 そりゃあ奇異的な目で見られるのももちろん嫌だが、この目で過ごすうちに見るのも嫌になってしまった。このキャスケットはあらゆる意味でナマエを守るためにかぶっていた。

「だから、隠したいとか隠さなきゃって強く思っちゃってたから、さっき固まっちゃったのはキャスケットがなくてびっくりしただけ。野薔薇ちゃんがなんとかっていうのは、もうないから」
「今まであったみたいな言い方してるわね」
「も、もうないし!」ナマエは慌てて首を振った。「初めのうちは、ほら、初対面のときの野薔薇ちゃんがなんか怖かったから、その印象が強くて……」
「こいつ」

 いよいよ半目になって、じっとりとした視線を送ってくる野薔薇にナマエは「でもでも!」と続けた。

「今は違う、マジで。むしろもっと仲良くなりたい」

 先日のドラッグストアの時からナマエは野薔薇に対しての苦手意識は薄れていたし、さっきからわざわざ眼帯で隠れている方に立ってくれているのも余計にナマエのそういった願望を強めていた。
 わざわざこの話を持ちかけてのも、先の出来事で野薔薇に自分が彼女を拒否していると思われたくなかったからだ。
 興奮や自分でも少しひくほど必死に言葉を連ねている恥ずかしさから顔を赤らめているナマエとは対照的に、野薔薇はきょとんとしていた顔をやや呆れたものにして「アンタね」と小さくため息をついた。

「……あの時は、初めてアンタに会った時は、ただたんにこっち住みのアンタが羨ましかっただけよ」
「こっち?」
「東京よ、東京!どーせこちとら新幹線で半日必要など田舎出身ですよ!!」
「えっ!?あっ、そっち!?あ、あーー……ごめんて、すねないでよ」

 まさかの田舎コンプレックスだったとは。
 思うだけにとどめておいて、ナマエは思わず野薔薇の肩を軽くゆする。

「ま、結果的にこっちに出てこれたからいいけど」野薔薇は構わず続けた。「というか、別にそんなに慌てなくてもよかったのに」
「え?」
「こっちの話。というかアンタも買い物についてきなさいよ、で、ダッツね」
「はいはい、じゃあ野薔薇ちゃんがジャージ買った帰りにね」
「わかってるじゃない」

 にこりと笑った野薔薇も、なぜだかナマエと同じようにつきものが落ちたかのような、晴れやかな面差しだった。疑問を呈する間も無く「競争!」と彼女が走り出すものだから、ナマエは慌てて追うように駆け出した。

  

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