耳鳴りがようやくおさまったが、相変わらず体のぶつけた箇所はずきずきと痛む。人に遠慮なく暴力を振るわれるとこうなるのか、とナマエは実感させられる。
すっかり静かになった中庭の片隅で、まだ顕現するに不知井底(せいていしらず)の背に半ばしがみつきながら顔を伏せった。

「実戦でもそうするつもりか」

 降りかかった声に、ナマエの肩は大げさに跳ねた。振り仰げば伏黒と交戦していたはずの東堂葵が見下ろしていた。何を考えているかわからないスカーフェイスはナマエの不安を煽らせた。「あ、えっと……」
 蛇に睨まれた蛙がごとく固まってしまったナマエの前に、不知井底がのそり出た。東堂と向き合うと、翼をばさりと広げて、げこ、と首元を風船みたいに膨らませた。その様子にどこか安心感を覚えつつ、ナマエは口を開いた。

「……伏黒くんは?」
「ん?ああ、アイツはパンダたちに運ばれていったぞ」
「え」
「面白くなりそうだったんだがな」

 さも惜しそうに言う東堂にすっかり毒気を抜かれたナマエは「そうですか」とつぶやいた。東堂は巨躯を屈ませて、怖気づくナマエと目を合わせると二本指を立てた。

「ミョウジ、ふたつ質問がある。手短にな。もしお前は俺とサシで戦わなければならないとき、どう対応する?逃げ場はやらんぞ」

 東堂の鋭い目つきに射抜かれたナマエは、引きつった口元に手を当てて、機嫌を伺うようにそっと見上げた。

「……東堂さんを」
「俺を?」
「呪術をしばらく使えない体にします」
「できるのか?」
「東堂さんが私を殺す気なら、やります」

 ナマエを見下ろす東堂の眼差しと雰囲気が、一瞬柔らかくなったような気がし。しかし同時に彼の中で呪力が膨らむのが見えて、ひやりとしたものがナマエの背中を伝った。

「なるほどな。じゃあ二つ目、本命だ」東堂は続けた。「どんな男がタイプだ?」
「げ、それ私にも聞くんですか!?」
「はやくしろ。女でもいいし、年齢も問わん」

 タイプの男と言われても、とナマエは眉間に皺が寄っていくのを感じた。
 身近にいて好ましい人間を適当に当てはめればいいだろうかーー

「背が高くて、優しくて、強い人……?」

 ふ、と頭に思い浮かんだ人の特徴を子供みたいに端的に連ねると、東堂は面食らったように言った。

「なんだ、俺か。悪いがーー」
「全然違いますけど!」


 上着を持った東堂はアイドルの握手会があるのだと言って玄関に足を進めた。そして機を見計らったかのように、不知井底が地面に溶け込むように消えた。つまり使用者の伏黒に何か起こったか、もしくは呪術を解いたかだ。多分後者だろう。
 あと、何か、忘れている気がした。

「――あっ!っ痛!」

 勢いよく立ち上がると、痛む腕を押さえながらナマエも玄関に向かった。

「野薔薇ちゃん!真希さん!」
「ナマエ!」
「無事――じゃ、なさそうだけど良かった!」ナマエは野薔薇に笑いかけた。「大丈夫そうだね」
「アンタボロボロすぎない?痛いでしょ」
「いやー、多分伏黒くんの方がひど、む“」

 ナマエの両頬を下からすくい上げるように掴んだ野薔薇はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「アイツの話は今してませーん」
「なんかもう体全体とっても痛いでしゅ」
「よろしい」

 鷹揚に頷いた野薔薇はナマエを解放すると、今度は訝しげな視線をナマエにやった。なにかついているのだろうか。

「どうかしたの?」
「いや、アンタの目って本当に青いなって思って」
「急にどうしたの」

 ナマエはいつも通りキャスケットの庇(ひさし)を下げようと手を伸ばしーーそのまま空をかいた。「――あれ?」



 禪院真希は中庭と玄関口のはざまに転がったキャスケットの砂をはらった。そして少し叩いて何も出ないことを確認して、野薔薇達の元へと向かった。

「この帽子は何のために被るのか」と、真希はナマエに尋ねたことがなかった。ただ、用途は分かる。あの呪われた眼を隠すためだ。

 ナマエしかり、棘しかり、呪印持ちの人間が日常的にその部位を隠すのは、周囲からの視線を浴びないようにしたり、呪い(敵)から自分の能力を察知されないようにするためだ。家柄によっては積年の恨みつらみなんかをぶつけられたりしないように敢えて見せないなんてところもある。どれに比重を置いてるかは人によって違う。

 一般家庭の出であるナマエは、やはり最初に言ったものが主な理由だろうと真希は推測する。だって、キャスケットが無いことに気づいたナマエは、野薔薇を前にして今にも倒れるのではないかと疑うほど顔から血の気が引いていた。

「ったく、自分の持ちもんくらい自分で管理しろよな」と悪態をつきながらナマエに帽子を被せてやって、その右腕を引いた。「おい、お前も行くぞ、野薔薇」
「あ、うっす」

  

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