「……お前はミョウジだったか?」
「えへ、そーです。ミョウジナマエです」

 東堂の目の前に来たミョウジナマエはキャスケットの庇(ひさし)を下げて、にこりと口で弧を描いた。びっくりするぐらい無害そうな彼女に、東堂は困惑した表情をして、結い上げた髪を音がするくらい乱暴にかいた。

「お前は、あー……薄っぺらくてうっかり殺しちまいそうだから、さっきのでぶっ倒れさせたつもりだったんだがなぁ……」

 実際、外に投げ出された彼女は一緒に投げ出された伏黒に全体重をその矮躯に預けられたせいで、苦しそうにしていた。

 東堂にとって、ナマエはそのくらいかよわい存在だった。小さいし、細っこいし、薄い。風が吹けば飛んでしまいそうだったし、なにより任務か何かでダメにされたのであろう左目の眼帯が、彼女を弱者たらしめている。目の前にいても、なんの圧迫感も感じさせないし、むしろ子犬一匹で何をしようというのか、という微笑ましさもあった。

 東堂としては、東京高専三年の秤、そして二年の乙骨、強者である両方出て欲しい。なので眼前のナマエと、その後ろの伏黒には潰れてもらわなくてはいけない(もう一人の女子は、真依にまかせてある)。殺すのは、いけない。骨の一本くらいでも折ってしまえば彼女は約一月後の交流会に出場不可になって都合が良いだろうか。

 ナマエはまた無害そうな顔つきのまま、頷いた。

「先輩の攻撃、キきましたよ。ばっちり」

 背後の伏黒は東堂に殺気を向けつつも静観を決めているようだった。不審に思いつつも、東堂は再びナマエに視線をやった。呪術師は体術か呪術が優れていれば案外、なんとかなるものだ。案外この娘が後者なのだろうかーー東堂が構えを取る前に、目の前で独楽(こま)のようにふわりと黒いスカートが広がった。それからすぐに、何かが破裂したような音が周囲に響いた。

「――愚の骨頂だ」東堂は首にかけられた、ナマエの足を受け止めた。呪力すらもこもっていない、非力な攻撃だった。「俺みたいなタイプとはまず距離を取るべきだろ?ここはそんなことも教えてくれんのか?死ぬぞ、オマエ」

 まだ伏黒の方がマシだったな、と内心失望した。彼女の蹴りの軸となっている片足をはらえば小さな悲鳴とともに彼女は呆気なく地面に転んだ。「っ、ぐゥ……」

 そのまま地面に押し付けるように黒の襟首を掴むと、先の弾みでキャスケットが脱げてしまったのだろう、ナマエの怯えの含んだ青い目――呪眼と視線が交わった。


 ナマエは、昔から対人戦が苦手だ。
 鍛錬――例えば、手合わせをするときに味わう人を殴る感触は好きではないし、そのせいで相手が取り返しのつかない傷でも負ってしまったらどうしようという不安もあった。実際、自分の拳が当たったときにわずかに顔をしかめた相手の表情をみて、模擬戦だというのに手を止めて謝ったことがある。ナマエの中で、どうしても拭いきれぬ罪悪感が生じてしまうのだ。
 だから、自分が下さなければならない手数を減らすためにナマエは相手の挙動を観察し続けた。
 簡単にいえば、相手の動線を見極めて、隙ができる間を探したのだ。
 例えば相手が興奮しきって視界が狭まった瞬間、こちらを仕留め切れると確信した瞬間、そしてーー今のように、東堂がナマエを見下ろしてどこを攻撃するか照準を定めている瞬間だったり。

 ナマエの襟元を掴む太い腕に、滑らかな長い赤が巻きついた。視界に広がる、東堂が一瞬瞠目して、覇気のない声を出した。

「ああ、ーーそうか」
「うそ」

 完全に、隙をついたと思った。
 瞬く間にで腕の赤――伏黒の式神、蝦蟇(がま)の舌を引きちぎった東堂は、そのままナマエをすぐ近くの花壇に向かって薙ぎ払った。ぶつけた左腕と頭の側面を中心に、肉がはちきれてしまったかのような痛みが広がる。頭に響き渡る何かのエラー音のような耳鳴り、点滅を繰り返す視界の中で、思い切りレンガにぶつかった左腕をかばうようにナマエは喘いだ。「イっ、たい……!!」

「女を囮に使うとはな、そこまで退屈な男とは思わなかったよ。伏黒」

 東堂が軽蔑するように言った。
 痛みが引かないナマエは、顔をしかめながら花壇のレンガの列に手を添えながら立ち上がろうとした。即座に伏黒がナマエにはむけたことのないような鋭い目つきで、ナマエを射るように言った。「動くな」
「伏黒君――」とナマエは紡ぐ口を閉ざして、ナマエは腰を下ろした。体が軋み、満足に動きそうになかった。ずくずくとした痛みが巡ろうとするナマエの思考を邪魔する。今、間に入っても足手まといにしかならない。

「……アンタ、術式使わないんだってな」
「ん?あぁ、あの噂はガセだ。特級相手には使ったぞ」
「安心したよ!!」

 伏黒はすぐに影絵で鵺の翼が生えたヒキガエルーー不知井底(せいていしらず)が彼の周りに三体、そしてナマエの傍に一体呼びだした。東堂は冷めた眼差しでその様子を見届けると、すぐに体内の呪力を膨らました。「薄っぺらいんだよ、体も、女の好みも」

 伏黒の周囲にいる二体の不知井底を蹴り、伏黒に足に張り付いた一体も引き剥がした東堂は、伏黒の腰を抱え込んで、そのままブリッジする要領で体を勢いよく反り返した。伏黒の頭は地面にぶつけられた。思わず逸らした視界の端で、赤い液体がみえた。
 ――誰か!
 傍の不知井底の背に伏せって思わずそうすがりたくなったナマエは、はっとして、ポケットから携帯を取り出した。名簿からここにいそうなものをすぐに見つけ出して、ナマエは電話をかけた。コールが一つ過ぎるたびに痛ましい打撃音が背後で聞こえてくる。

「ーーナマエ?」

 電話の向こう、耳朶を打った声に、どうしようもなく救われた思いになった。

「パンダ、た、助けて、はやく、助けて!」
「さっきからすごい音してるけどどうした!?」

 心臓はうるさかったし、口からひ、ひ、と息苦しい声がこぼれ出して、過呼吸にでもなりそうだった。「玄関自販機と中庭!」とナマエは悲鳴帯びた声でまくし立てた。

  

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