五条に指定された部屋が近づいてきたと思った瞬間、何かが爆発した音が聞こえてきてナマエは瞠目した。
 が、衝撃も揺れもない。遠目で確認すると、それがその部屋に据え置かれたテレビから流れたものだと分かり、ナマエはほっと胸をなでおろした。

「こんばんは」
「や!来てくれたね!」

 ナイスタイミング!と溌剌と言いのける五条のテンションについていけず、ナマエは閉口してしまう。校長お手製であろうボクサーなクマの呪骸に呪力を流したまま、虎杖はソファ越しに「よっす」と空いた手を振った。
 テレビには、がさついた音声の、ナマエからすればちょっと古い映画が映っていた。

「虎杖君は……呪力のコントロール練習?」
「正解!ナマエは昔やったことあるもんね」
「一応、ありますね」

 呪力の源は人が発する負の、あるいは歪んだ感情だ。呪術師はその力を利用して呪いを祓う。だからといって、呪いを相手にするときは毎回激しい感情に苛まれているわけではないし、その必要は無い。
 呪術師は小さな感情の機微から一定の呪力を捻出して、戦うのが一般的なのだ。一定出なければならないのはそれが普段時の自分のできる攻撃の指標となるし、呪力の無駄遣いを避けられるからだ。

 虎杖が抱いているのはきっと一定の量呪力を流さなければ何かしらのアクションを起こすタイプの呪骸だろう(ナマエはそのような呪骸を使ったことがあった。それに虎杖が持っていたものは、学長が築いた対学生用の呪骸の山にいたのを、見かけたことがあった)。
 映画は、作り物だがそのストーリーに感情は揺り動く。呪骸を使って、どんな感情においても、一定の呪力が出せるように練習をしているのだろう。

「それで、私は何を?」

 ナマエは五条に呼ばれてきた。ということは、なにかの役割があるはずだ。

「それなんだけどさ、ちょっと耳貸して」

 おいでおいでと猫でも呼ぶかのような気楽さに誘われて、ナマエは耳を寄せた。

「今から出かけるなきゃいけないから、彼を見ていて欲しい。具体的には宿儺が表に出そうになったら僕に連絡して」
「……!」
「多分、ここじゃあ無意味に出ることはないけど、一応ね」硬質さを帯びた声で、五条は続けた。「危険な状況になりそうだと思ったらなりふり構わず逃げろ。良いね?」

 ナマエは視線をひっそりと出入り口に向けて、ポケットの中を漁った。呪いの力を抑える札も、対宿儺に耐えうるような呪具も無いことに頼りなさを覚えた。

「ここに降りてくる時に、入り口があっただろ?そこまで逃げたら、扉を閉めてこの霊符を貼ればいい」

 どうやって用意したのか、災難や天災、凶事を除けるような護符を持たされて、ナマエは「うへぇ……」と口を引きつらせた。ちらりと五条を覗き見ると、期待のこもっているような表情をしている(ような気がした)。張り付きかけた喉を潤してから、ナマエはまっすぐ頷いた。

「……わかりました」
「ありがとう。じゃあ行ってきます」

 五条の背中を見送って、ナマエは視線をソファに戻した。いつの間にかクマの呪骸と格闘していた虎杖に近寄って、ナマエはクマの頭部に触れて、呪力を流した。一分もしないうちに糸が切れたようにダウンしたクマに虎杖は瞠目した。

「虎杖君、調子どう?」
「ん、快調!」
「よかった」
「ってかこれすっげえ動かないんだけど、ミョウジの呪術?」
「呪力の流れをちょっと崩しただけ」
「崩したぁ?」

 虎杖はクマを持ち上げて、ためつすがめつ眺めて、力なく投げ出された四肢を不思議そうにふにふにと握っていた。ナマエが来る前に散々殴られたのか、少し頬が腫れていたり、口元が血で滲んでいた

「呪力の源は負の感情から来るという話は聞いた?」
「一応」
「術式が体に刻まれてるってことも?」
「うん」
「私はここに術式があるの。呪印、ともいうかな」

 ナマエは少しだけキャスケットごと前髪をあげて、瞳を見せた。ナマエの瞳には、呪印が刻まれている。瞳は青。中の瞳孔は窓枠のように四角くくて、しかもナマエの意思に関係なく伸縮したり増えたり減ったりする、薄気味悪いものだ。
 虎杖に確認させてから、すぐに下ろした。

「これで私にはそれが糸とか、縄みたいに見えるの。そのほつれをちょっと解いただけ。すぐに戻るよ」
「あー、呪印って?」
「術式と違ってコントロールが難しいのと、他のものに組み込みにくいとかかな」

 呪印の持ち主といえば、二年生の狗巻棘がそうだ。呪言師、と呼ばれる彼の口から零れる言葉は否応なしで対象を呪ってしまう。ナマエの瞳も勝手に呪力の流れを見てしまう。
 虎杖は面白いくらい目を丸くさせた。

「それって大変じゃねえの」
「ちょっと大変だったよ」

 ナマエは笑って、肩をすくめた。

「でもここにはいい人が多いから、なんとかなった」
「そっか」

 ナマエの視線が虎杖の手元に落ちた。「あ、虎杖くん」

「なに?」

 虎杖が上体を背もたれに預けると、目を覚ましたクマの鮮やかなストレートパンチが炸裂した。

  

×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -