「うそ」
夜蛾の言葉に、ナマエの口からすべり出たのはその一言だった。そうであってほしいという望みが篭ったそれを、呪骸を紡ぐ手を休めないまま、夜蛾は「本当だ」と打ち砕いた。
突っ立ったままの足元が一気に輪郭を失ったような錯覚に陥る。ナマエはキャスケットのつばで影を落とされた瞳をぎゅうとつむって、絞り出すように言った。
そんな、まさか、だって。
「――“昨日、虎杖くんが死んだ“って……、信じられません……」
7月、西東京市の任務にて虎杖悠仁の死亡が確認された。
ナマエがその報告を受けたのは、今朝任務から帰還した時だった。任務には、ナマエを除く呪専の一年生が派遣されていたはずだ。他の二人は無傷ではないが、深手は負っていないらしい。さらに詳細な情報は、今は聞く気になれなかった。
ナマエが現状を咀嚼する間、夜蛾はうんともすんとも言わなかった。「繰り返さなくとも、わかるだろう」と暗に示されているのはわかった。
もういない彼を悼むような沈黙が重く、心臓が軋んで壊れてしまいそうだった。
「………そっ、かぁ……」
二人だけの空間に溶け込んだ音は、低く、湿っていた。
ひたすらどうして、という疑問が渦巻いて、ぐらぐらと頭の中が煮えてしまいそうだった。ナマエの脳裏では、まだ彼の人好きのするような笑みがちらつていた。
もしかすれば、嘘だよ、冗談だよ、そう言ってひょっこりと扉から現れるのではないかーーナマエは後ろを振り向いたが、歪みだした視界の中ではもはや何にも識別できなかった。
「……ナマエ」
背中に投げられた、ことさら優しく自分を呼ぶ声は、ナマエをさらに苦しめた。それだけで一層、虎杖の死を叩きつけられるのだ。ナマエは「大丈夫です」とつぶやいた。
「こういうの、よくあることでしょうから」ナマエはそのまま扉に向かって歩き出した。「とりあえず、概ね事情は理解しました。私はこれで失礼します」
「ナマエ」
ナマエはドアノブに手をかけたまま息を呑んだ。教師が生徒を呼び咎めるような、声に忍んだ剣呑な響きが、その場を離れることを許さなかった。
「はい」とナマエは平坦に返事をした。
「こういうことは、よくあることだがー」夜蛾は続けた。「―慣れる必要はどこにも無い」
気づけば表に出ていたナマエは、そのまま背中に扉を擦り付けながら座り込んだ。「あー……」と篭った声を出し、鼻をすすった。
多分、今はとてもみっともない顔をしている。
鼻の頭に熱がたまっているようだし、目の奥もじんじんと痺れてきた。息をするたびに肩が大げさなほど弾んで、引き結んだ唇を緩めた瞬間、そのまま悲しいこの気持ちに耐えきれなくなりそうだった。
あずかり知らぬところで友人がなくなることは、こんなに苦しいのだとナマエは改めて理解させられた。散々噛んだ辛酸よりもよっぽど胸を抉ってきた。
「ナマエじゃねえか」
「梅」
「ん、ん、うぇ?」
降りかかった声にナマエは顔を上げた。二年生のパンダと狗巻棘だった。ナマエがきょとんとしたまま見上げていると、パンダは体ごと首をこてりと傾げた。
「不景気な顔してどうしたのよ。学長(パパ)と喧嘩しちゃったか?」
「あー……」
ナマエはキャスケットのつばを下げた。「友達が死んじゃった」
「……伏黒か?」
「違う、今年入ってきた男の子」
きつくなってしまった口調にごめん、と謝罪を挟みながらナマエは続けた。
「昨日の任務で、私が別の任務行ってる間にって。さっきそのこと知ったの、私」
「そうか」
かけるべき言葉を探しているのだろう、ただ、そのつかの間の沈黙も耐えきれなかった。「あ"ーーー………」とナマエは喉を震わせながら体育座りになってそのまま膝に顔を埋めた。
「やっぱこういうのキツイねぇ……」
胸の底からすくい上げた言葉だった。言葉や表情を取り繕うともお構いなし巣食う己への無力感といなくなった彼への感傷はナマエの心に深く大きな穴を開けていく。
虎杖悠仁というおおらかな青年はナマエの新たな同級生であったし、間違いなく信用できる友人の一人だった。
「高菜」
「そうだな。俺たちに何かできることはあるか?」
口に出したおかげか、だいぶ気持ちはましになってきた。ナマエは普段よりも幾分かぶっきらぼうな物言いで「あのね」と言った。
「あんま、気持ちの整理できてないから、ちょっとほっといて欲しい」
「わかった」パンダはすぐに頷いて、巨躯を屈ませてナマエの頭を揺すぶった。「俺たちは先に鍛錬しとくから、落ち着いたら練習場に来てくれ」
「ん、」
「すじこ」
「棘さんも、ありがとうございます」
パンダと代わるように棘もナマエの頭を撫でた。彼の語彙はしゃけしかないが、その雪にでも触れるような手つきや細められたまなざしは柔らかく優しいものだった。
でこぼこな二人の背を見送って、ナマエはようやく立ち上がった。おそらく、野薔薇も伏黒もナマエのように現実に打ちひしがれているはずだ。むしろ虎杖と任務を共にして、その死に立ち会ったのだから、ナマエよりも重いものが彼らの胸中で暴れているだろう。
それなのに自分だけくよくよしたって、何の解決にもならないのだ。むしろもっと力をつけて、彼の二の舞にならないようにしないといけない。
とりあえず、鍛錬するべくまずはジャージに着替えないと。
そう意気込むナマエのポケットで、携帯が振動した。宛先を見て、ナマエは目を丸くした。
「五条先生?」