まるで綿菓子のように切り裂かれた呪いの肉が、宙に散らばった。ばらばらと視界に広がる屍、ナマエの瞳はその向こうに佇む虎杖ーーいや、虎杖悠仁という肉の器を得た両面宿儺を捉えた。

 それは、嵐の前のような静けさだった。びゅうびゅうと風の切る音が耳を通る。まばたきをして、唾を飲み込み、唇を引き結んで、ひたすら沈黙を保つ。過ぎ行く一秒一秒が気の遠くなりそうなほど長く感じられた。

 ナマエと伏黒は強張った面立ちのまま宿儺の出方を伺った。

「ケヒッ、ヒヒッ……」

 呪いの顔面を吹き飛ばした宿儺は肩を弾ませ、空を仰いだ。そしてゲラゲラゲラ、とおおよそ彼のものとは思えないほどの、ムカデの足音のようなおぞましい笑い声をあたり一面に轟かせた。

「ああ、やはり!!光は生で感じるに限るな!!」

 宿儺が無理やり裂いて脱いだ上着の下から、何かの模様が張り巡った虎杖の体が現れた。

 ーーああ、やっぱり受肉している。
 想定していた最悪な事象が目の前に現れ、ナマエは一気に血の気が引いていくのを感じた。

「呪霊の肉などつまらん!人は!!女はどこだ!」

 宿儺の視線が外に向けられた。何かに気づいたのか、宿儺は口に裂けそうなほどしなやかな弧を描き、ゆったりとした足取りで街を展望できる位置に向かった。

「いい時代になったのだな、女も子供も蛆のように湧いている。素晴らしい」

 宿儺を取り巻く呪力が強まった。

「ーー鏖殺(おうさつ)だ」

 本能的に、ナマエは足をずり動かして後退した。そして、足元からざり、と風の音ではかき消されない音が上がってしまい、ナマエの肩が跳ね上がった。
 宿儺の捕食者めいた視線がナマエたちに向けられる。ナマエの体は勝手に小刻みに震えだし、喉がねじ曲がりそうなほどの息苦しさを覚えた。「ふむ」と宿儺は何か考えるような仕草を見せて、ナマエを鋭い爪で指した。

「とりあえず手始めに、オマエから殺るとしよう」
「!!」

 その一言でナマエの胸中に警鐘が鳴り響く。
 逃げないと、いけない。
 それは分かっていた。しかしナマエは一歩一歩こちらに来る宿儺を見つめたままだった。

 ナマエには、今ここで少しでもみじろげば、頭と胴がすっぱりと離れてしまうような、そんな予感があった。

 どう思考を巡らせても、現状の打開が出来るヴィジョンが見えなかった。

 呪いの王を前にしたナマエは、矮小で、下等で、貧弱な、ただの人間だ。
 どうあがいても自分は殺されてしまう。ナマエは這い寄る最期を憂い、怯えて、小動物のように震える体を落ち着かせることもできずに、ひぃひぃと浅く呼吸をするので関の山だ。

ーー死ぬならせめて、痛くないようにしてほしい。いや、嫌だ、死にたくない。怖い。誰か助けてほしい。なんで、私、ここに来ちゃったんだろう。


「ーーあ?」


 ナマエを嬲らんと上がった腕はーーそのまま宿儺自身の首を掴んだ。

「人の体で何してんだよ、返せ」

 まごうことなき虎杖の口調だ。ナマエは目を凝らした。

「混ざってる……」

 一つの体に、虎杖と宿儺の呪力が同時に存在していた。
 乗っ取られていない?
 宿儺と虎杖、どちらの自我も消されていないようで、そのまま続く二人の会話をナマエはあっけに取られたまま聞いていた。
「――動くな」と、それを中断させたのは伏黒だった。

「オマエはもう人間じゃない」術式に呪力を流しながら、伏黒は続けた。「呪術規定に基づき、虎杖悠仁、オマエをーー"呪い"として祓う(ころす)」

 宿儺、いや、虎杖は伏黒の言葉に目を丸くさせて、両腕を上げた。(ナマエとしては、信じられないが)宿儺が完全に彼の中で抑え込まれたのか、体に張り巡っていた模様が消失していく。

「いやなんともねーって。それより俺も伏黒もミョウジもボロボロじゃん。はやく病院いこうぜ」

 伏黒がナマエに目配せをして、確認を取ろうとしてきたがーー「ごめん」と口パクして、ナマエは力なく頭(かぶり)を振った。ナマエもわからなかった。なんせ呪力だけみれば、彼の中に宿儺と、彼自身の呪力が見えるのだ。今、どちらが主人格かなんて、ナマエは無責任に断定できなかった。
 本当に抑え込まれたのか?
 ナマエたちの様子に、不思議そうに首をかしげる姿は虎杖だが、果たしてーー

「今これどういう状況?」
「へっ!?」

 緊迫した空間にひょっこりと現れたのは黒づくめの長身の男――我らが担任、五条悟だった。

  

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