呪いにとどめを刺した伏黒も安堵したように一息ついた。ナマエがピストルごと手を振って「お疲れ」と労うと、伏黒もひらひらと手を振り返し、「ん」と少し疲れたような顔でいった。
 そのまま視線を落とし、傍にいる玉犬たちー心なしか、少し不服そうにナマエに視線を向けていたーに「ああ、食べて良いぞ」と言えば、待ち兼ねたように呪いの屍を遠慮なく貪っていった(あとからわかったのだが、不満顔の原因は、先のナマエの「食べるな」という発言によるものらしい)。
 伏黒は、ここまで来てしまった虎杖に棘のある言葉をかけたが、次いでよくやったと彼を褒めた。その横顔は心なしか晴れやかだ。
 虎杖はといえば、そんな伏黒に「なんで偉そうなの」と苦い顔をしつつ、それから不思議そうに玉犬たちを見つめて、首を傾げた。「因みにあっちで呪いバクバク喰ってんのは?」

 ナマエは目を丸くした。彼は呪いも、玉犬――式神も認識できるようだ。同世代でみえる人間がここにもいたとは、妙な心地だった。ちょっとした親近感も湧いてきた。
 玉犬たちや呪いの説明をする伏黒にふんふんと頷きつつ、虎杖は女子生徒を横抱きにした。ナマエは近寄って、彼女の体を軽く検分していく。呪いから受けた大きな損傷もない。呪いに驚いて、失神しただけだろう。

「なあ、井口先輩もみてやってくれよ」
「井口?」
「そこにいる」
「あっ、オッケー」

 ナマエは一瞬、床に投げ出されたように横たわる男子生徒ーー井口に怯んだ。顔の上半分が血まみれだったのだ。
 ナマエは膝をついて、少し血に触れた。わずかに粘着性を有するものと、ところどころ固まっているものがあった。現れた肌は蝋のように白く、頬には小さな穴が横一列に横断していた。均等な間隔だったので、呪いに噛みつかれでもしたのだろうな、とナマエは見当をつけた。
 毒か何か注入されたかどうか疑ったが、今のところ脈は正常だ。
 ただ、先の彼女とは様子が違う。ナマエの瞳には何かの呪力が彼の体を巣食うように流れているのも見えていた。彼は呪いにかかってしまっている。専門家――術師の治療を受けなければこのままでは目覚めることはない。
 せめて消毒をしたかったが、今は武器以外荷物がない。かさばるからと横着して救急セットを持ってこなかったことをわずかに悔やんだ。

「これさ、治んの?」
「うーん……井口さんの方は、普通の医者じゃあ、無理かな……」とナマエが振り仰ぐと、凍りついた虎杖の顔がうつった。

 そしてナマエは咄嗟に「――でも!大丈夫!」と大袈裟に声を張り上げて、安心させるように親指を立てて笑った。

「うちの凄腕お医者様が治してくれるよ!」
「な、なんだよ!治るのか!……よかった」

 井口の傷を見下ろしていると、傷口が深いところがあるのだろう、ところどころ血が滲みだしてきたため、ナマエはハンカチで押さえた。ぴくり、と井口の腕が震えた。痛いのか、反射的なものかわからない。ひとまず腕をさすってやりつつ、ナマエは口を開いた。

「……虎杖くんも下手したらこうなってたかもしれないよ」そして座ったまま虎杖と向き合い、首を傾げた。「伏黒くんが止めた理由、分かった?」

 もっとも、最たる理由はこれだけではないが、彼には関係ないだろう。ナマエをしばし見つめた虎杖は唇を尖らせて、うなだれた。

「……うん」

 あ、想像以上にしょぼくれてしまった。
 ナマエは内心焦りを覚えたが、表に出さないようつとめつつ「これは私個人の話なんだけどね」と続けた。

「虎杖くんが来なかったら、きっとこの二人とも死んじゃってた。それを回避してくれた貴方に、私は感謝の気持ちでいっぱい。来てくれてありがとうね」
「おっ、おう……そっか……」

 何だか、照れるな、と虎杖は赤らんだ頬をかいてぽつりと呟いた。ナマエも気恥ずかしさはあったが、伝えたかったのだから仕方がない。それから「よしっ」と意気込んで、抱えていた女子生徒を持ち直した。

「次があったら呪い蹴り倒して、先輩たち連れて全力で逃げるわ」
「それが良いかも」

 当たり前のように笑ってそう言うので、ナマエはいつもの調子で頷いた。「オマエ」と沈黙を守っていた伏黒が口火を切った。

「怖くないんだな」
「……いやまあ、怖かったんだけどさ」

 伏黒が一瞬、何を言っているのか分からなかった。しかし虎杖が渋い顔で答えるのを聞いて、ナマエはようやく得心した。
 ナマエは昔から呪いと触れていたが、虎杖は違う。虎杖はきっと、先程まで呪いとは無縁の男の子だったはずだ。
 呪いのような、ずれた世界の生物を簡単に受け入れられるのは難しいはずだーーはずなのだ。
 それなのに先のように明るく笑って、次に呪いと会ったら「蹴り倒して逃げる」だなんて言い切るのだから、ナマエの方の感覚が麻痺してしまった。

 ――怖かった、そう答えた虎杖には恐怖よりも何か悟ってしまったかのような表情をしていた。

「知ってた?人ってマジで死ぬんだよ」

 は?という伏黒とナマエの訝しげな声が重なった。虎杖は腕の中にいる女子生徒を見下ろして、目を細めた。

「だったらせめて自分が知っている人くらいは、正しく死んでほしいって思うんだ」

 どこか意味深な言葉に、ナマエは思わず閉口してしまう。
 虎杖は清々しい顔から一転して、「ん"ーー」とまた渋い顔で唸ってから、肩をすくめた。「まあでも自分でもよく分からん」

 虎杖君の言う、正しくって、どういうことだろう。口にしようとした疑問はーー女子生徒のポケットからぽろりと飛び出たそれにより「ぎっ」と引きつった悲鳴に変わった。「これが」「ああ」
 なんなくそれを拾い上げる虎杖に冷静に頷く伏黒。ナマエはますます口を引きつらせた。

 特級呪物、“両面宿儺”の一部。今回は二十本ある指ー両面宿儺には腕が四本あるのだーのうちの一つが、この杉沢第三高校におさめられていた。
 伏黒が虎杖にその説明する間もナマエはキャスケットを深く被って、しっしっと腕を振った。ついでにやだやだやだと首もふる。

「早くそれしまって!!」
「なんでそんなに……ミョウジはこれ嫌なの?」
「好きな奴なんていねえよ。危ねえからさっさと渡せ」

 耳に入る二人の会話を聞き流すナマエは帰りたいという思考で染まっていたーーそして、背中に走ったぞわりとした感覚に弾かれたように顔を上げた。

「!!」

 ぬるりと天井が歪み、腕の形となったそれが虎杖に迫っていた。伏黒や玉犬が動くのを視界の端で捉えつつ、ナマエは井口の上体を抱き上げて、彼ごと壁に張り付いた。

「逃げろ」と伏黒の淡々とした声が耳に入ったのと同時に頭上から轟音が響き渡った。

  

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