ナマエたちが床を蹴るたびにゴムの擦れる音が廊下に吸い込まれる。ナマエはコンパスに分がある伏黒を追い越して、誘導していく。両面宿儺の呪力の残穢は観測出来るが、正直他の呪いたちの呪力も見えるため、視界は悪い。
 途中、伏黒が呼び出した玉犬に任せた方が早いのではないかと聞いたところ、宿儺の一部を納めていた箱は虎杖(やはり彼から見えた呪力はただの残穢だったし、虎杖というのは先の青年の名前だった)が持っているらしい。それでは嗅ぎ分けができないため、ナマエの目を頼る他なかった。

 四階まで一気に駆け上がり、自分の心臓の音が脳にまで響きだした。伏黒は疲弊よりも焦燥の色を滲ませて、ナマエの後を追っていた。
 当然だ、学校に入った時に虎杖の友達であろう女の悲鳴がナマエたちの耳をつんずかせたのだから。おそらく封印が解かれてしまったのだろうと推測するのは容易く、そして彼女の安否が危ういのだって明らかだ。
 ナマエだって、死人が出て欲しくない。
 その一心で足を動かした。

「一緒に来たのが伏黒くんでよかった」
「急にどうした」
「いやー、だってさ伏黒くん超強いだもん」ナマエは肩で息をしながら続けた。「万が一、ここの呪霊が宿儺の一部を取り込んだってなんとかなりそ」
「滅多なことをーー」

 廊下を駆けるナマエたちに向かって複数体の呪いが襲いかかって来た。ナマエが反応するまもなく、伏黒の両脇に従えた白と黒の大きな犬ーー彼の式神である玉犬が咆哮を廊下に響かせて、弾丸のように呪いたちに飛びかかった。
 玉犬たちが呪いの急所に当たる部位を食い裂く音と、その痛々しい悲鳴があがるまで僅か数秒だ。ナマエたちが足を止めるいとまも無い。伏黒は一瞥もくれずに「ーー言うな」と続けた。
 ここまでの道のりも二級呪術師である伏黒恵は今のように難なく呪いを祓ってしまったのだ。圧倒的な実力に頼もしさを覚えて、ナマエは思わず「ごめんごめん」と苦笑をもらしてしまう。ーーそして、弾かれたように顔を上げた。

「そこ曲がったところになんかいる!」
「何?」

 曲がり角に差し掛かったところで特急呪物・両面宿儺と、それとは別の呪力の流れが見えた。言いつつ、ナマエは腰に下げていたピストルに手をかけた。

「!!」

 突き当たりの少し広い空間に、トラックほどに膨れ上がった呪いとその上に力なく倒れこんだ男女二人の生徒の姿があった。呪いの皮膚から生えた無数の手が、彼らにまとわりつき、ずぶずぶと取り込もうとしていた。女生徒の方の懐からは両面宿儺の呪力が見えて、ナマエは咄嗟に「食べるな!!」と叫び、銃口を呪いに向けた。
 目の前で人死にが出るかもしれないという焦燥。そして宿儺の一部を取り込んだ呪霊の恐ろしさを思い出し、ナマエは震えた手でトリガーを引いてしまった。放たれたBB弾は吸い込まれるように呪いの向こうの壁に当たってしまい、誰に言うわけでもなくナマエは「ああもう!」と一人怒りの声をあげた。
 その後ろで、「ーーは?」と妙に落ち着いた呼気が聞こえた。

「虎杖!?」
「えっ!?」

 伏黒の声に思わず視線を横にずらせば虎杖が窓ガラスを蹴り破り、取り込まれかけた二人を認めるや否や無理やり引きずりだした。一連の流れにナマエはあっけにとられていた。

 ここ四階なんだけど!?というか力すごくない?察しもよくない?

「虎杖くんやばい」

 渦巻く疑問の中で出てきた素直な感想を述べてしまうと伏黒に「そんな場合か!」と怒られたため反射的に「ごめん!」と謝罪をいれつつナマエはピストルを握り直した。
 しゅるるる、と蛇のような音を上げる呪いにレーザーポインターを合わせて、ナマエは呪力の“ほつれ”にBB弾ー呪力はもちろん込めてあるーを撃ち込んだ。途端に固まりかけのコンクリートにでも突き落とされたかのように呪いの動きは鈍くなる。
 呪いは、おどろおどろしい声で言葉を紡ぎながら虎杖たちーおそらく女子生徒の持つ呪物狙いだろうーに近寄ろうとしたものの伏黒が一撃を与え、完全に沈黙した。
 三級か、準二級か。報告書作成のために適当に見当をつけつつ、ナマエはため息をついた。

 脅威が去った安心感、ナマエの胸に占めるのはそれだけではなかった。
 ナマエは自分にしか聞こえないほどの声量で呟いた。

「……良かった」

 ーー目の前にいて、助けられないかと思った。
 あの一瞬の胸を凍て付かせた恐怖を思い出し、ナマエは身震いした。

 正直虎杖がすぐに引き剥がしてくれなければあのまま二人は呪いにのみこまれ、その一部となっていただろう。
 ナマエはたしかに呪いに対抗するすべは持っているし、ピストルから撃ち出される弾はたしかに速い。だが、一撃必殺ではないのだ。呪力のほつれを針で突くかのように少しずつ広げる、それがナマエのやり方なのだ。それでは間に合わなかったし、それに動揺して狙いが大きく外れてしまった。

 このこと話したらまた先輩たちのしごきを受けることになるだろうなあ、とナマエは苦笑しつつ、伏黒に駆け寄った。

  

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