呪術高専の学長たる夜蛾正道には、呪術師が派遣された事件の委細を副監督から伝えられる。呪いが確実に祓われたのであればそこまで重要視する内容もない(発生した場所の確認などはするが)ので、それらは書面のみのやりとりで終わることが多かった。
 だからこそ派遣された副監督から、とある案件ー先日の、終わったはずのものだーに関して話があるのでとにかく応接室前まできてくださいとおざなりな連絡を受けたのは初めてだった。あらゆる可能性が脳裏によぎって「事後処理はお前たちの仕事だろう」とまず返してやれば、神妙な声で「多分コレはそちらの領分です」と言い切るので、夜蛾は仕方なく指定された場所へと赴いた。

「それでー」夜蛾は扉を一瞥した。「ー説明してもらおうか」

 待ち構えていた副監督の男が申し訳なさそうに眉を下げた。ここに来る前に改めて件の事件の報告書を読み直したが、やはり特筆することは何もない。ーー古いマンションに現れたという二級の呪霊を祓った、ただそれだけだ。なおかつ死者はゼロで、呪術師の負傷もない。

「報告書はお読みになられましたか?」
「読んだが」
「被害者の詳細も?」
「呪いに怪我を負わされたのが二人いたな。なんだ、クレームか?」

 それこそ自分の領分ではない。サングラス越しに睨みつければ男は「そうではなく」と肩をすぼめた。

「初めから説明させていただきます。呪術師が現場に着いた時に、負傷した男女一名ずつ、そして子供が一人保護されました。彼らは約半日ほど、呪術師が着くまでそのマンション内で過ごしていたのです」

 怪異に巻き込まれた親子を保護。報告書の通りである。夜蛾は無言で続きを促した。

「えー、それで……その男女が怪我を負わされたのは呪いと会った、初めの頃だと言いました。つまり彼らは手負いの状態で二級の呪霊からずっと逃げて“られ”ていたのです」
「運が良かった、では片付きそうにないのか」

 なにやら含みのある言い方に引っかかり、思わずそう尋ねると、男はその問いを待っていたと言わんばかりに大きく頷いた。

「私共もそう思っておりました。が、子供が妙なことを言ったのです」
「妙なこと?」
「なんでも、彼女は呪いから紐が伸びているように見えているのだとか」
「……なるほど。それでずっと逃げおおせていたと」
「はい」

 得心したように頷く夜蛾に、男は少し安心したような表情を見せた。すでに関係者は応接間に通されているようなので、襟を整えてから夜蛾はドアノブに手をかけた。


 ソファに腰掛けていた男女が部屋に入ってきた夜蛾の姿を認めると、慣れた風に立ち上がって挨拶とともに深々と礼をした。その真ん中には子供ーキャップを深めに被っているが、服装からして少女だーがソファに座り込み、床を一心に見つめていた。

 何から話すべきかーー逡巡する、束の間の沈黙。それを破ったのは真向かいの男だった。

「呪いとは何ですか」

 意外な言葉に面食らいつつも夜蛾は言葉を隠さずに答えた。男はアレらはどこにでもいるのかとも尋ねてきた。
 そうやって質問を重ねられて、夜蛾が答えていくうちに呪専の生徒たちに聞かせるような講義のようなものになり、少し不思議な心地となる。場が落ち着いたところで混乱を招かぬよう口外しないようにと話をしめた。
 フィクションのようだが、現実の話だ。呪いと合間見えた一般人は血の気を引かせた顔で夜蛾の説明に何度も頷いていたが、その引きむすんだ唇からは未知のものを理解せねばという気概を感じさせた。

「では、私からも質問をさせてもらいますが……」

 夜蛾が腰を上げて、やはり俯いたままでいる子供のキャップを取り上げた。

「あ、」

 か細い声はきっと彼女のものだ。顔を驚愕に染めた少女と、サングラス越しに目が合った。夜蛾を映すその瞳ー普通なら美しい円を作るはずのその瞳孔は、窓枠のような四角を描いていた。夜蛾を認識した途端にその四角は何重にも中で増え、そしてまた一つの四角に戻る。
 これは、呪印だ。
 一定の時間見つめ合い、己の体に異変がないことを確かめる。どうやら視認した相手を呪うとか、魅了するだとかそういったタイプではないらしい。ある程度の検討をつけつつ、キャップを返してやる。少女はすぐさま目元が隠れるよう、つばを下ろした。

「そちらのお宅は普通の家系で?」
「普通?」
「先祖が超常的な力を持ってるだとか、そういう話は聞きませんでした?魔術師、呪術師、呪咀師だったりだとか、まあエクソシストなんかも似たようなものですがね」

 気の抜けた顔で男女が顔を合わせて、互いに首を振った。夜蛾は質問を重ねた。

「なるほど。娘さんの瞳は先天的なものですか?」
「はい。生まれた時からです。…病院に行っても突然変異だのなんだの言われて全く取り合ってもらえませんでした」父がうつむく娘の顔に指を寄せて、優しく頬を撫でた。「だけど、大きくなってから視力も普通だって分かって、ならそれでいいやって」
「おかしなものが見えると言っていませんでしたか?」
「それは……ただの空想上の友達だとばかり、思っていたので……」
「それが普通の認識ですがね。まあ、ご両親も見たでしょう?先日」

 呪いを見ることができる人間はそういないが、彼らから傷を受けたものはその姿を認識できるケースがある。この夫婦の順応性を見ればおそらくそうだったのだろう。夜蛾は先の瞳を思い出しながら続けた。

「彼女は先天的に奴らが見える。おそらく他のものも」
「治らないんですか?」
「既に瞳には呪いが定着し、一つの器官として成り立っている以上、難しいでしょう。良くて視力の著しい低下か失明、悪くて脳に障害が残る」

 母親が小さく悲鳴をあげて口元に手を当てた。父親の方も一瞬いたわるのような視線を彼女にやったが、解しがたい現実に顔を歪めた。

「……娘は呪いを恐れています。出来るだけ見ないで済む方法はありませんか」
「扱い方が分かれば、多少は楽になるでしょう。呪術……呪いの力を心得ている我々に預けてもらえれば、教育しますが」

 絶句し、再び顔を合わせた男女はアイコンタクトで会話を交わす。一人娘を胡散臭い、あるいは物騒なこの場所に預ける。さまざまな思惑が二人の間で交差しているのか、お互い表情が険しい。
 夜蛾が両膝にきっちりと並んだ小さな手を軽く叩いた。弾かれるようにキャップが上がり、四角の瞳と視線が合わさる。

「お前はどうしたい」
「……私、ですか?」

 困惑と不安が入り混じった声色だった。夜蛾は視線を外さないまま続けた。

「お前の安全は約束しよう。ただしここでの暮らしは楽ではない。特に気持ちの問題だ。親とは不定期でしか会えないし、ここはお前の知らない大人がたくさん行ったり来たりする。どうするかは自分で決めろ」
「娘はまだ九才ですよ!?」

 母の方がたまらず立ち上がって抗議をする。その細腕でがっちりと娘をホールドして、このまま二人で逃げ出すことも辞さないといった態度だった。
 夜蛾は母と向き合い、「そうです。まだ九才です」と首肯して、一呼吸置いた。

「だがこの子には呪いから逃げ出さずにあなた方を守りとおしたほどの判断力も意思もある。あなた方は、そのことをよくわかっているのでは?」

 頼りとすべき母や父は怪我を負い、呪霊というおぞましい化け物が徘徊するマンション。自分は身軽で、一人なら逃げられる。
 そんな状況で子供である彼女がとった行動は、逃げではない。
 彼女は、傷ついた親の手を引き、ひたすらその化け物を観測しながらどう隠れるべきか、ずっと考えていたのだ。
 その様子を間近で見ていたのなら、娘のことをよく知る親ならば、その押し殺した恐怖心の大きさがわかっているはずだ。
 まだ九才である彼女は我を通さず、親のために自分のなせる行動を取った。

 だからこそ彼女にも相応の選択権を持たせるべきだと夜蛾は思う。

「子供は守るだけでは育ちません。この選択は本人の自主性に委ねるのが一番良いと私は判断します」

 夜蛾の言葉に父母は歯噛みをして、俯いた。
 彼らもまた自分が取るべき選択を悩んでいるのだ。

 呪いというフィクションでしかありえないような存在。夜蛾から詳細を聞くことにより認めざるを得ないその化け物。自分たちの娘はその存在に悩み苦しんでいる。
 自分たちは一般人だ。呪いに関する知識もない。娘の心身の癒しも守りも絶対になせるとは言い切れない。ここに預けるのが彼女のためとなる。
 しかし親元を離れさせるのは、あまりにも酷であるし、娘の待遇だって本当にいいものなのか?
 そんな親である彼らの思考を想像してしまう。

 人は変化を恐れる。あれやこれやと理由を考えて、変化をさせまいと悩む反面、変化しなければいけないこともあると理解している。そんな不合理な生き物だ。

 夜蛾はこれ以上言葉を重ねる気は無かった。重要な選択だ。日を改めてもいいーーそう言い出そうとした矢先、小さな頭が視界の端に入った。

「わ、私は……」

 おそるおそるキャップを外して、四角の瞳が夜蛾に向けられた。喋り慣れてない口調だったが、彼女の眼差しには強い意思が感じられた。

「この、この目の使い方、習いたいです」
「……だ、そうですが」

「ナマエ!!」というや否や、両脇の両親が娘に抱きついて、その華奢な肩に頭を埋める。本人は握っていたキャップを歪ませていたものの、戸惑っていた表情で、むしろ親の方が泣きそうで、苦しそうだった。

  

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