昨夜のパーキンソンの顔を思い出すと、僕はどうしようもなくそれを掻き消したくなる衝動に駆られるのだ。
あの期待に満ちた視線。
彼女を見るや否や自分の部屋に駆けこんだ僕に、ザビニは「どうして誘わないんだ、何かあった?」とか鬱陶しく聞いて来て、僕は本当に嫌な気分になっていた。
パーキンソンを見るとついボーバトンの彼女のことが思い出されて引き合いに出してしまうのだ。
これを世間一般には一目惚れというのかもしれない、初めての体験だから何とも言えないが。
だいたいが一目見ただけで恋心を抱くなんて馬鹿げているし、そんなのは恋とは呼ばないと思っている。
しかし、僕の今の状態は、一目惚れをしたと認めざるを得ないのではないか。
馬鹿げている。
一度顔を合わせただけの彼女にこんな気持ちを抱いている僕は馬鹿だし、そんな彼女をパートナーにしたいと思っていた(今も思ってしまっている)僕は馬鹿だ。
パーキンソンの顔は見たくないし、ザビニに会うと面倒、パートナーの決まっているゴイルといるのも癪だから、僕は一人で行動していた。
もんもんと、パートナーをどうしようかと考えながら。
廊下を抜けると、そこには階段から絵画を眺める例の彼女の姿があった。
手すりに手をかけて、凝視している。
すると階段が動き、僕のいる床に接続された。
考えるよりも先に足が動き、僕は彼女のいる方へ階段を下っていた。
「こんにちは」
僕が声をかけると、彼女は驚いたようにこちらを見て、僕の顔を見てもっと驚いた顔になった。
そして笑顔を作って「こんにちは」と返した。
見るたびに一緒にいる友人がいないところを見ると、はぐれてしまったのだろうか。
何も考えていなかった僕は戸惑った。
挨拶をしたはいいが、次に何をしたらいいのか。
口の中が渇いてきた僕は一呼吸置いてから言葉を発した。
「絵画が好きなんですか」
「ええ、まあ…なんだかホグワーツで飾られている絵画は親しみやすいですね」
そう言って彼女が壁に目を向けて、僕も同じように見れば絵画の中から二組の男女がこちらに向かって手を振っていた。
悪いが僕は生まれてこの方、一度も絵画に対して親しみやすいとか親しみにくいとか、何も感じたことがなかった。
興味が湧いたことさえない。
答えに詰まってしまった僕を見て彼女は不思議そうな顔をしたかと思うと、今度は眉を下げた。
「この間はすみませんでした」
「いや、こちらこそ我が校の生徒が申し訳ない。あんなは失礼な事を」
僕は口が裂けても、苛立っているときに八つ当たりでわざと人にぶつかるなどということは言えない。
だいたいがこの発言を誰かに聞かれていたなら、あっという間に噂となって学校中に広まるだろうと考えたりしたが、どう考えてもそれが最適な返答だった。
英国紳士らしい切り返しだったと我ながら上出来だと思った。
彼女はいえいえ、と首を横に振った。
私がぼうっとしていたのも悪いんですと答える彼女はあまりボーバトンらしくない。
そこで会話が途切れた。
話すことは特にない。
いや、話したいことはたくさんある。
ただ話すことができないでいるだけなのだ。
先ほどの上出来な返答のように、また上手く話をできないだろうか。
考えろ、英国紳士らしい行動はなんだ?
「あー…よければ、案内、しましょうか」
考えた末に出てきた言葉がそれだった。
途切れ途切れになってしまった、なんでこう格好がつかないんだ、情けない。
こんな姿を父上に見られたら何と言われるだろう。
自己嫌悪に陥りそうになりながら、それでも視線は下に落としてはいけないと思い、顎をぐっと上げた。
しかし僕の心配をよそに、彼女は一瞬驚きつつも笑顔で頷いてくれた。
「名前を、聞いてもいいですか」
「ええ。ナマエ・ミョウジといいます。ボーバトンの四年生で」
「僕も四年生だ。同い年なんだから、かしこまらなくていい」
「ありがとう…あなたは」
「僕はドラコ・マルフォイ」
「ドラ、コ…発音、合ってるかしら?」
「ああ、完璧だ」
半分夢心地で頷いた。
あんなに遠いと思っていた彼女が僕の隣を歩いていて、それも互いに自己紹介なんかしている。
本当だろうな、夢じゃないだろうなと頬を抓ればしっかりと痛かった。
赤くならないといいが。
すると彼女、ナマエは僕の服装を見ながら、少し言いにくそうに言った。
「ずっと聞きたいと思っていたんだけど…あなたの寮はなんというの?その緑色のネクタイの寮」
「ああ、緑はスリザリンのカラーなんだ」
「どんな寮なのかしら、ハッフルパフは心優しいと聞いたの」
「断固たる決意を持つ者が入る寮さ」
とてもじゃないけど、狡猾な者が集う寮とは言えなかった。
僕はスリザリンに所属していることを誇らしく思っているし、他の寮を羨むことなどあり得ないくらい、スリザリンが好きだ。
でもこの時ばかりは、誤魔化さなければならなかった。
目の前のこの人は、ホグワーツに入っていたとしても、間違ってもスリザリンには振り分けられなかったであろうから。
「すごい…ドラコは断固たる決意を持っているのね」
「ああ…まあ」
一瞬脳裏に父上、そして例のあの人が過った。
首を左右に振る。
今、そのことを思い出す必要はない。
忘れようとして彼女とまた会話を続けようとしたが、こちらを見てひそひそと話す生徒がいたので睨みつけてやった。
もちろん、彼女には気づかれないように。
「ところで、今さらこんなことを聞くのはおかしいんだけど」
「ええ」
「パートナーがいながら、こうして僕と一緒にいるのはまずくないか」
彼女の手の甲にキスを落としていたダームストラングの生徒。
思い出すだけで嫌な気分になるのだが、それを我慢して彼女に尋ねた。
ナマエはきょとんとした。
何も理解できていないといったように首を傾げ、困ったように眉を下げた。
「パートナーはいないわ」
「え?」
「えっと…やっぱり今になってまだパートナーがいないのはおかしいよね…」
「ああ!なんで、あれはパートナーじゃなかったのか!それにザビニだって断られたと言っていたじゃないか、あれは一体…!」
頭が混乱している。
整理できそうにない。
キスをしていた男は?
ザビニが断られた理由は単に彼のことが気に入らなかったからか?
頭を抱えそうになったが、そこで彼女の怪訝そうな視線に気づき、僕ははっとした。
咳払いをして誤魔化す。
「いや、こっちの話だ」
「なら、私も聞きたいわ。パートナーがいながら私を案内なんかしていいのかって。まあ、私はゲスト側だから大丈夫か…」
「パートナーはいない」
ナマエの目が見開かれた。
信じられない、といった感じで。
一方、僕の心臓はどくどくと五月蠅く鼓動していた。
言え、ドラコ。
乾いた口で唾を飲み込んだ。
言うんだ。
「僕と、踊ってくれないか」
じわじわと顔に熱が広がる。
いろんな思考がいっぺんに頭を駆け抜ける。
断られたらどうする、気まずくなってしまったら、断られるに決まっている、それならパーキンソンを誘えばいい、でもナマエとはもう、。
彼女の見開かれた目が、弧を描くように笑んだ。
ゆっくりと、すべてがゆっくりと動いて。
「私でよければ、喜んで」
その言葉を理解するのに少々時間を要した。
誘いを、受け入れてくれた。
僕は無意識に「ありがとう」と口にしていた。
少しの希望にかけてよかった、パーキンソンを誘わなくてよかった、ザビニの誘いを断った彼女が僕の誘いを受け入れた、この今になるまでパートナーがいなかった。
すべてが奇跡にしか思えず、僕は柄にもなく神に感謝するのだった。