「…ルフォ…」
「・・・」
「マルフォイ…」
懐かしくて、心地いい声だった。
次第にその声は僕の方に近づいてきて、すぐ隣まで来て止まった。
僕はうっすらと目を開ける。
「ミョウジ…?」
「目が覚めた?」
なんだか視界が少し霞んでいるような気もしたが、それでも彼女の顔だけは鮮明に見えた。
そっと手を伸ばそうとしたが、すぐにやめた。
どこに触れるかも、触れてどうするかもわからなかった。
「どうしてここに…」
「あんなこと言って、ごめんなさい」
ミョウジは少し伏し目がちに言った。
あまりに予期せぬ言葉で驚いた。
言葉を失っている僕を彼女は静かに見上げて曖昧に苦笑する。
きまりが悪い時にこんな表情をしていたな、彼女は。
「言い過ぎたと思ってる」
「…そうか」
僕もだ、とは言わなかった。
言い過ぎてはいない、とは言い切れない。
でもここで認めてしまっては全てが無駄になってしまうし、意味を失ってしまうと思い、そこで口をつぐむしかなかった。
「それで、君がここにいるということは、ポッターたちとは縁を切って僕たちの所へ戻ってくるということだろう?」
「マルフォイ」
彼女の口調は先ほどのように優しくはなかった。
何か咎めるような、そんな言い方。
僕は少々驚き、彼女の顔を見るが、彼女の顔はかすかに滲んでいた。
はっと息を飲む。
「マルフォイ」
もう一度彼女が僕の名前を口にする。
何処かの隅に追い込まれるような気がした。
彼女の顔は歪み、滲み、それでも彼女の声はだけははっきりと聞こえ、静かではあるが乱暴に僕の耳を貫いた。
消える、と思った。
とっさに、さきほどの迷いなど微塵もなく手を伸ばすが僕の手は何も掴まない。
そしてまた声が、僕の耳を刺した。
「マルフォイ」
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
「マルフォイ」
先ほどから悪夢にうなされているマルフォイをゆすり起こそうとするが、彼はうなされたまま、なかなか目を覚まさない。
仕方なしに近くにあったグラスを掴み中に入っていた水を彼の顔にかけると、ものすごい勢いで彼が体を起こした。
彼の首を伝う水滴は汗なのかあるいは今かけた水なのかははっきりとしない。
「はあっ…はあ…!」
「大丈夫…?」
マルフォイはいつもは白い顔を真っ赤にしていた。
息は荒く、目を見開いて僕とクラッブの顔を交互に見た。
まだ何か動揺しているようだった。
「夢、か…」
「すごくうなされていたよ」
僕らはそれから口を閉じて視線を落とした。
マルフォイがうなされながら小さくミョウジの名前を口にしていたのを聞いたので、きっとその類なのだなとは察していた。
そして僕らの間にはマルフォイの息の音だけがしていた。
するとどこからか金切声が響いてどすどすと何かが暴れまわる音がした。
僕とクラッブは顔を見合わせる。
「…なんだ、この音は」
「いや…わからない」
わからないわけではなかった。
これらの音の正体はパーキンソンで、自分がダンスパーティでマルフォイと踊れずに一人でいなければならなかったのと、その横でミョウジがノットと楽しげに踊っていたのが許せなかったのだ。
ミョウジのベッドやその周りを荒らしているということを、先ほどグリーングラスから聞いた。
カーテンなども引き裂いているらしいから驚きだ。
「この声はパーキンソンじゃないのか?耳障りだからどうにかしてくれよ」
「でも女子の部屋には行けないからな…」
マルフォイはうんざりしたような顔をして顔を背けた。
彼もまた、パーキンソンに憤りを感じているようだった。
あまり詳細は知らないけれど、マルフォイはパーキンソンに何も言わずにパーティーに欠席して、自分の部屋に閉じこもっていた。
その間パーキンソンはずっとホールやあちこちを探して彼を見つけ出そうとしていたが見つからず、終いには化粧を流しながら泣いていたのだとか。
なんとなくパーキンソンのことを気の毒に思うが、でもやはりマルフォイがミョウジと何かあってパーティーに出なかったのだと思うと仕方がない気もする。
「お前ら、パーティーはどうだった…って、パートナーのいない君らに聞いても意味がないか」
マルフォイは意地悪い笑みを浮かべて言った。
少し呆れているような感情も見え隠れしていたが、いつもの彼の調子が戻ったようでほっとする。
僕もクラッブも曖昧に笑った。
「パーキンソンはかんかんに怒っているだろうな。まあ、どうでもいいが。…ミョウジはどうしていた」
急にミョウジの名前が彼の口から出て思わずびくりと震えてしまった。
何と答えようかと困る。
ありのままの、自分の目で見たものをそのまま伝えるべきなのだろうが、それを聞いた彼がどんな反応を示すかは想像もできなかった。
僕が答えに詰まっていると、クラッブが少し焦ったように口を開いた。
「ええっと、踊っていたよ。その…ノットと」
「そうじゃない、様子の話だ」
マルフォイの口調は先ほどとは打って変わり厳しいものだった。
苛立ちを含んだ声が僕らを急き立てる。
何が正しい答えなのかはわからない。
彼が結局のところ何を望んでいるのかも、本心やそれを隠す建前も、今の僕らにはいまいち理解できないのだ。
「楽しそうだったのか?え?」
「それは、まあ、楽しそうに踊っていたよ」
「痛がる様子は」
「痛がる?何を…」
「いい。ないならいい」
それっきりマルフォイは黙ってしまった。
僕らは困って再び顔を見合わせる。
彼は静寂の中でまた眠りにつこうとしているようだった。
そして僕たちも困惑の中で睡魔に襲われつつある。
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