バタバタとせわしない足音が近づいてくる。こんな風にして自分の部屋へ来る人物といったら一人しか思い至らない。否、一人しかいない。そう思っていると部屋の扉が必要以上に大きな音を立てて開かれる。



「燭ちゃんただいまー!」



部屋に入るやいなや騒がしさの原因であるナナシが抱き着いてくる。その反動で机の隅に重ねてあった書類が数枚床に落ちてしまった。ナナシは自分の命によって他の職員と共に遠方の地へ調査に行かせていたため、会うのは3日ぶりだった。



「そろそろ離れろ」
「えー、久しぶりの燭ちゃんなのに!」
「お前のせいで散らばってしまった書類を拾わなければならないのだが?」
「え?ああ、ごめんね」



謝罪をしたくせに離れようとしないナナシの頭を近くにあったカルテ板で叩く。それで文句を言いながらもようやく離れた。そして足元に散らばった書類を拾い集めるために屈みこむ。



「それにしても随分と遅い帰りだったな」
「え、もしかして燭ちゃん心配してくれてた!?」
「…………」
「やだ無視しないでっ」
「…戻ってくるのは午後1時だと聞いていたからな」
「ん、そのはずだったんだけどねー」



ふと、書類から目を離してナナシを見ると、彼女の服の袖からちらりと白い布が見えた。集めた書類を机の上に置き、ナナシに近づいて手首を掴む。



「……これはなんだ」
「…包帯?」
「なぜそんなもの巻いている、」
「ちょ、燭ちゃん顔こわい」



袖をまくりあげ包帯の巻かれている腕をあらわにする。巻き方から傷の範囲はそこまで大きくはなさそうだが、自分の知らないところで傷つけられたということが気に食わない。ナナシの遮りを無視して包帯を取り払えば、そこにはまっすぐに5センチほど伸びた傷があった。



「この傷はどうした?」
「あのね、今日仕事が終わって帰ろうとしたときに野良猫を数匹見つけたの」
「なるほど、それでそれらを追いかけているうちに怪我をしたというわけか」
「すごい何でわかるの!?」
「お前の取りそうな行動くらいすぐにわかる」
「で、どこで怪我したかもわからなかったし、もし変な菌が入ったらいけないからって職員さんに念入りに手当てしてもらったんだー」
「こんな怪我をしておいて気が付かなかったのか?」
「ネコを追うのに夢中だった」
「……とりあえず人間にやられたわけじゃないんだな?」
「だと思う」



その傷が人間によって付けられたものでなかっただけでも良しとしたい。傷口には出血の跡も見られ、とても痛々しい。普段からあれほど何に対しても不用意に近づくな、周りに注意を配れと教えているというのに。傷口を人差し指でスッと線を引くように触れると痛かったのかナナシが小さく呻く。



「燭ちゃん、痛い」
「こんな怪我をする方が悪い」
「う…」
「ナナシ、」
「なに?」
「今度怪我をして戻ってきたら、その時はお前を研究の実験台にするからな」
「もうしません心配かけてすみませんでした」
「心配などしていない」
「あ、そうなの」
「ただお前に傷を付けたやつが男だった場合に、どうしてやろうかと考えていただけだ」
「燭ちゃんこわーい」



ナナシに目をやると言葉とは裏腹に嬉しそうに口角が上がっている。



「なんだその締まりのない顔は」
「や、私燭ちゃんに愛されてんなーって思って?」



甘えるように再び身体を寄せてくるナナシに、自分の中で形容しがたい感情が沸き上がるのを感じる。それを誤魔化すかのように、ナナシの頬をつねった。



「いたい!」
「手当てをし直すからついてこい」
「燭ちゃんが包帯取ったくせに…」
「何か言ったか?」
「いえ今行きます」