夜を一人で歩くのは苦手だった。
夜に戦場に赴くときは、皆がいるから心強いし、虎くん達も僕の周りで僕を勇気づけてくれるから何とも思わないけど、皆が寝静まった夜の屋敷はなんとも言えないほど怖く感じる。別に幽霊さんとか物の怪の類を信じているわけでは、ないけど。いや、本当はいないってわかっていても、廊下を歩く自分の足音がふと自分のものではないような気がしたりして、もしかしたら本当に幽霊さんがいるじゃないかと思ってしまっている自分がいた。
しかも今日に限って寝る前に、短刀部屋で皆枕を寄せ合って怪談話で盛り上がってしまった。僕は終始怯えてばかりだったけど、それを見た皆はますます面白がって階段に花を咲かしてしまったみたいで、その話はいつもの寝る時間を悠々と越して続いたから、鏡に映る幽霊さんの話とか、寝ている時に体が動かなくなる話とか、色んな怖い話が頭にずっと残って寝るのに苦労した。
でも、今日に限ってふっと目が覚めて厠まで行きたくなってしまったんだ。この状態のまま朝まで我慢するわけにも行かないし、今更布団にもぐりこんでまた寝れそうにもない。ため息をつきながら僕は寝ている皆を起こさないようにそっと部屋を抜け出して、厠へと向かった。
真っ暗な廊下に出て手探りで明かりをつけて、息を呑む。いつもはすぐに行ってすぐに帰ってこれたけど、今日ばかりは髪の長い女の人が廊下の突き当たりで待ってそうな気がするほど、今日はこの空間が怖く感じられた。


「ひっ…!」

ぎしっと、床がきしむ音がした。
恐る恐る後ろを振り返ってみるけど誰もいない。また前を向きなおしてみたけど誰もいない。
ほっと胸を撫で下ろして、今のは自分の足音だったことに安心した。
そのまま足を進めるけれど、廊下の電気は点いてるもののどことなく夜の不気味さを感じさせたし、なにより素足に直に伝わってくる床の冷たさになおいっそうのこと自分を怖がらせている。ああ、本当にちょっとの距離なのにどうしてこんなに遠く感じてしまうのだろうと思いながら、また一歩前に進んだ。

「っ…!!ひいっ…!」

すると今度は、さっきよりも大きく床がきしんだ音がして、これも自分の足音だとは分かっているんだけど、大きい音に過剰に驚いてしまった僕は皆寝ているにも関わらず走って廊下を駆け抜けた。突き当りを曲がってすぐ厠の扉を開けて勢いよく閉める。ここまで来るのにこんなに苦労しなければならないなんて、やっぱり皆の怖い話は聞かずに食堂にでもいればよかったと今更ながら後悔した。
そして、用も足し終り厠から出る時、さっきの驚いたのが思い出されて、また僕の歩く邪魔をする。これでも主さまから命を受けて戦う刀なのに情けなく思ったけど、どうしても怖くなってしまうのだからしかたない。

「ん、五虎退くん…?」
「ひゃあああ…!」

部屋に戻っても寝れるかなと思っていた矢先に、今度はいきなり人の声が後ろからするから、もう僕は大きな声を上げてしまった。寝ている方、起こしてしまったらごめんなさい。思わず目もつぶってしまったけど、そうしていたら唇にむにっとした感触がして、恐る恐る目を開いてみると、そこには主さまがいたのだから僕は別の意味で驚いてしまう。でも、幽霊さんじゃなくてよかったあ。主さまの顔を見ていたら、さっきまでの夜に対する恐怖が一気に遠くに行ってしまったようだった。

「しー」
「は、はい…すみません」
「皆まだ寝てるからね…五虎退くんもはやく寝るんだよ?」
「(できれば、そうしたいけど…)」

僕の唇から指を離して、微笑みながら主さまは言ったけど、部屋に戻ってまた静かな空間で一人布団にもぐってもすぐに寝れるかどうか正直不安だ。明日も出陣だっていういうのに、眠れなかったらどうしよう。

「う、僕……」
「…もしかして眠れないの?」
「す、すみません…明日も出陣だし、早く寝なきゃいけないのに」
「そんな…寝れない日くらい誰にだってあるよ」
「で、でも」
「無理して寝ようとすると余計なこと考えて逆に眠くなっちゃうしね」
「うー…すみません……」
「じゃあ、そんな五虎退くんにはホットミルクつくってあげよう!」
「ほっとみるく?」

主さまに「ついておいで」と言われたから、後ろを着いていくと着いた先は食堂だった。そこで主さまは冷蔵庫から牛乳を取り出して鍋に入れている。そこで甘いのが好きかと聞かれたから素直に返事すると、お砂糖を戸棚から取り出して小匙1杯入れていた。
いったい主さまは、僕に何をくださるんだろう。「ほっとみるく」っていうものは見当もつかないけれど、そうして主さまの背中を見つめていると夜も遅いせいかだんだんと瞼が重くなっていく。主さまが傍にいるってだけでこんなに安心してしまうなんて、もう夜なんか怖くない気がした。

しばらく待って主さまが、取っ手のついた湯呑を二つ持って一つを僕の前に置いた。そこには湯気の立った真っ白な牛乳。手に取ると少し熱かったけど、冷え切っていた僕の手がじんわりと温かくなっていった。

「い、いいんですか?」
「うん、冷めないうちにどうぞ」
「じゃあ、いただきます」

ふうふうと少し冷ましてから、口に含むと、甘いお砂糖の味がした。これが「ほっとみるく」なんだ。あったかくて、あまい、なんだか一層瞼が重たく感じた。

「おいしい?」
「はい!とっても、おいしいです」
「そう、よかった。眠れない夜にはこれって、私の中で決まっているんだよね」
「そ、そうなんですか…でも、おかげですぐ眠っちゃいそうです」
「はは、効果抜群だねえ」
「主さまも、寝れなかったんですか?」

主さまも一口それを含むと、あちちと言ってすぐに湯呑から口を離していた。

「ん?いいや、私は明日の作戦を考えてたのと、政府からの文を読んでたのと、それに返事書いてたのと…まあ、いろいろやることがあってね。普通に起きてた」
「だっ駄目じゃないですか!主さまもちゃんと寝ないと、えっと、あの、その…、お仕事もはかどらないですよ!」

僕は主さまが一番早くに起きて、女中さん達と一緒に僕達のご飯を作ってくれているのを知っている。でも、こんな時間まで起きていて朝早くに起きているとなると、主さまは寝る間も惜しんではたらいてらっしゃるのだ。
今の主さまの言葉を聞いた僕は、もちろん主さまは人一倍頑張り屋さんなんだとも思ったけれど、それより自分の体を大事にしてほしいと強く思った。僕の守っているものは主さまで、僕が守りたいものも主さまなんだから。

僕がわがままのようにそう言うと、主さまは眉を下げて困ったような表情をした。

「そんなこと言われても、仕事を片付けなきゃだし…」
「だ、駄目です…」
「……わかったよ。私もこれを飲んだら寝ることにする」
「ちゃんと、明日もですよ…?」
「そんなに心配だったら私の部屋で寝る?」
「えっ、そんなことできませんよ…!」
「(五虎退くんくらいなら構わないのに)そっか……まあ、夜更かしは体にも良くないしね!私もこれから夜は早く寝るよ。これで許してくれる?」
「は、はい…なんか、すみません」
「なんで謝るの」
「僕なんかが、こんなこと言ってしまって…」
「…?五虎退くんが心配してくれてとってもうれしかったよ?」
「っ、…それならいいんですが」

僕の知らないところで、夜も遅くまで仕事をする主さま。
僕もいつか一人でも夜が怖くならない日がくるんだろうか。

それから少し主さまと話をしてほっとみるくも飲み干した僕に、「おやすみ」と言って主さまは僕の頭を撫でてくれた。そうしたら、一気に眠気が襲ってきて、何か、きっとおまじないでもかけられたように、布団でぐっすりと眠った。



まえ つぎ
もどる


「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -