本丸に流れる空気は至って平和だ。
皆、命を受けてから随分と経ち、ここでの生活にも慣れ、今やすっかり人間の姿が馴染んでいる。今日も短刀達は庭で元気よく蹴鞠をやっていたし、これだけの人数がいれば個々の趣味なんかを持つ刀もいて、燭台切は料理、加州は自分の身を飾るのなんかが好きなようだ。
こうしてみると、長く屋根の下で生活してきたこともあり、私は皆が家族のように思えていた。それは、ご飯の時だとか、洗濯の時だとか、初めて会った時はつんけんしてた刀もいるけれど、今では壁もなくなって、ちょっとした何気ない時の気遣いや接し方がそう感じさせる。実際、刀同士の中に兄弟もいるし、私を姉や妹のように扱ってくれる者もいた。私の家族は、私が生きる現世に住んでいるが、兄弟はいなかったため、私もまた彼らを兄弟のように思った。

「なまえ」
「岩融」
「どうした?こんな時間に暗い顔をして。霊でも見たのか」
「別に、ぼうっとしていただけ。ほら、月が出てるから」

縁側に座っていた私の隣に岩融が座った。素直に私の指の指す方を見ると、綺麗な満月が空に浮かんでいる。別に私は月を見たくて起きていたわけではないのだけど、なんとなく言い訳をしたくて月を見ていたと嘘をついてしまった。本当は最近はずっと考え事をして眠れない日が続いているだけなのだ。そのせいで私の目の下にはすっかり隈ができてしまって皆に心配をされるが、それは仕事のせいだと言っている。夜までする仕事なんてないのに。

「ほう、これはまた見事だな」
「そうだよね」
「そういえば、岩融こそもう夜も遅いのにどうしたの?」
「俺か?俺は眠れなくてな、最近嫌な夢ばかり見る」
「夢?」
「お前の夢だ」
「え、ご、ごめんなさい」
「ちがうちがう!別に俺がなまえのことを嫌っているわけではない!」
「だったら何の…」
「なまえが俺の前から消えていく夢ばかりを見るのだ」
「消える…」
「追いかけても追いかけてもお前は逃げていくし、ただの鬼ごっこならいい。しかし、夢は残酷でな。やっとのことで俺が捕まえた瞬間に、決まってお前は笑いながら俺に別れを告げて消える」

岩融の夢の話を聞いていると、心が痛んだ。
その話はあながち間違ってはいない。間違っていないからこそ、辛かった。それが現実になる日はそう遠くはない気がして、ならなかった。最近私の仕事が減っているのも、皆の出陣が減っているのも、平和な本丸を眺める日々が多いことも、それを裏付けているようでならないのだ。
そして、今週末には久しく行われていなかった政府へ出向いて会議に出ることになる。その会議の内容はもう私には分かっているようなものだった。
ちらりと岩融を見ると、真っ直ぐに私の方を見下ろしていて目を合わせられなかった。私の心の内を何もかも見透かしているようなして無性に泣きたくなってしまう。

「なまえ」
「なんでしょう」
「俺はこの夢を何故か毎晩見るし、朝起きると無性に虚しい」
「うん」
「別にただの夢だ。俺の主はこの屋敷にいつもいるのだし、こうやって呑気に月も見ている。気にすることもない夢であるのに、虚しくてたまらんのだ」
「…そう」

こっちを見ろと言うように岩融に頬に手を添えられる。今の私が涙目になっていることが、一目でわかってしまうだろう。ついでに月が身を照らしているのだから尚更だ。私はなんていい訳しようか考えたが、それも無駄になりそうでやめた。
きっと岩融はすべてを悟って初めから話している。なんてずるい人だろう。

「だがな、同時に俺はなまえのことが好きだとわかった。この虚しさは愛しさから来ているものだと知った」
「っなに、いきなり…」
「きっとなまえを手放したくなかったのだな!いや、この場合は手放されたくないか?」
「いわ、とおし」
「皮肉なものだ。ずっと前から抱いていたものに気づかないとは、恥ずかしい」
「何を、言いたいの」
「それを言うには、まずなまえの返事を聞かねば」

いつも通りの笑った顔でそう言うんだから、思わず涙がこぼれてしまった。急いで私が拭こうとするけど、岩融の手がそれを止めた。私の目からこぼれ出る涙は止める術もなくぼろぼろと落ちていって、もう岩融は全部わかっているだろうに、私はそれを隠したくて仕方がなく、せめて顔が見えないようにと下を向いて床を濡らした。
すると今度は背中に回されて岩融の胸に飛び込む。そして岩融の心臓の音を聞いた。普通よりもずっと早く脈打っているのが聞こえて、それと同じく私の心臓も早くなっていくのが分かった。

この理由を私は知っている。私だって岩融のことが大好きなんだ。
いつも笑って先陣を切って道を開いていくところが大好きだ。思い返せば、好きな所なんてたくさんある。でも、そうし出すと止まらないだろう。今だって必死に抑え込んでいる。
それだから、今、岩融の口からこんな言葉を聞きたくはなかった。まさか彼からこんなことを聞くとは思わなかったけど、できれば最後まで私の気持ちを告げなければいいと思っていただけに、私の心を揺さぶらせた。
私はどうやったって彼の気持ちに応えられないことは分かっている。そしておそらく、岩融もそれを見越して言っているに違いない。
私はどうにかしてこれを断らなければと思って、口を開いた。

「…今度の、政府の会議で、刀剣達の処遇が決まる。おそらく、みんな…元の刀の姿に戻されるだろう」
「そうか」
「元は国宝の者もいるし、私が初めから所持している刀はいないから、みんな私の手元から離れていくだろうね。………でも、岩融に限っては「待った」……なに?」
「俺が聞きたいのは、なまえの返事だと言ったはずだが?」
「……それは、」
「だから、お前は今、何を思っている?」

再び顔に手を添えられて顔を上げて岩融を見た。もう涙は隠しようがないが、もう堪らないといった顔つきで、その涙に岩融が吸い付いた。くすぐったかったし、その分脈も速くなった気がして、押しとどめていた自分の気持ちが糸も簡単に表に出てしまいそうだ。やめてくれと胸を押したところでどうもならない。

「つまり、もう会えない可能性がある以上、岩融の気持ちには、応えられない」
「だから、それは建て前の話であろう?」
「ちょっ、と、待って」
「ほうら、早くしろ」
「う、」

大好きな岩融の眼差しが私の目を捉えて離さない。目を閉じたって瞼の上から口付けられて逃げられなかった。
私が本音を漏らすまでずっとこうやっているに違いない。そう思うと、私が本心を告げるのは早かった。

「好き、です」
「ん?聞こえんなあ」
「…私も、岩融が好きだよ」
「うむ、それでいい」
「だけど……」
「分かっている」
「……なら、なんで聞くの」
「それはただ単に、なまえが俺を好いていると俺が聞きたかったからに決まっているだろう」

また笑って私にそう言った。
単純明快。岩融は、そういう人であったと思った。裏表がないところもまた彼らしく、今までしおらしく考えていた私が馬鹿馬鹿しく思えるくらいだった。
私の返事を聞くなり満足して一緒に寝るか!と私の部屋に入って布団にまで潜り込み、そのまま私も引きずり込んで抱き枕のように私を抱え込んで一息ついた岩融を見て、私も眠気が襲ってきた。彼の腕の中は酷く安心してしまうから恐ろしい。

「俺のことを好いていてくれ」

それで満足だ、とだけ言って岩融は目を閉じた。
彼の言った中には、いつまでといった言葉はなく、これから会えなくなってしまうとしても、どうしてこれほどまでに彼の言葉は私を安心させるのか、どうしても分からない。



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