街全体に温泉の匂いがほのかに漂って、その街並みも昔ながらの趣が残っていて、その中を歩くのはとても楽しかった。毎年家族でどこかしら旅行には行っているが、テーマパークや自然豊かなところよりも私はこういった温泉街の方が好きで、旅館のお風呂でゆっくりできるし、何より日本らしさを感じるこのゆったりとした時間が流れる街が好きだ。こんなことを言うと兄に婆くさいとまた馬鹿にされそうだが、今実際に箱根の街を歩いていてここに来て本当に良かったと思う。
旅館に荷物も預けて浴衣に着替え、まだまだ日は高い時間だったので外に出て観光することになった。
「ううん…」
「まだ決まらないのか?」
「うん…まだ。でも絶対何か買いたいんだ…」
旅館だけじゃなく、軒並み観光向けのお土産屋さんが並びその中の一際歴史の長そうなお土産屋さんに惹かれてお父さんとお母さん、それと兄に無理を言って寄ってもらった。お土産は荷物になるから後でいいでしょとお母さんに言われたが、帰りにこのお土産屋さんに寄れなかったらどうする。そう思うと、この一期一会の出会いは大事にしなくてはならない。そんな気がして、ちょっとでいいからと私は家族の足を引き留めた。
一歩お店の中に入ってみると中央のレジにおばあちゃんが椅子に腰掛けてこちらを見るなりにこりと笑っていらっしゃいと言った。外から見るよりも奥行きがあって、品ぞろえもなかなかだ。
休み明けにクラスの子達に配るお菓子はまだいいとして、私はストラップのコーナーに向かった。なんだろう、旅行になるとその記念にといって何かしらストラップが買いたくなるんだ。そのおかげでストラップが増えていってつけるところもないのだけど、ついこの衝動に駆られる。ご当地キャラクターから和柄のものまで幅広くあって見ているのも飽きなかった。ここまで来たからには何か買って出て行きたいのだが、何しろこんなに種類があるのでさっき言った「ちょっとだけ」の時間はとうに過ぎていた。
「ううん…こっちの方が可愛いい、いや、でもなあ…」
「またストラップなんか買ってどこにつけるんだ」
「うっ…こ、こういうのは記念だよ記念」
「記念ねえ………」
「思い出は大事だよ!」
「ま、いいけどさ」
長いことストラップのコーナーにいる私に半分呆れながら兄が言う。これも毎度のことなのでもう何か言うのも諦めているのかもしれない。
すると、よく通る声でお母さんに兄が呼ばれ行ってしまった。が、すぐに私の所に戻ってくる。
「まだ悩んでるなら先行くって。なまえはどうする?」
「えー、まだ買ってないしなあ…まだ悩みたい」
「わかった。なら携帯に連絡して合流するか、旅館に戻ってるかだな…大丈夫か?」
「ん、大丈夫」
「まあ、まだ明るいから大丈夫だと思うけど気をつけろよ」
「うん」
そう言ってお店に一人残された私。視線をまたストラップに戻して腕を組んで私を悩ませた。こんなに種類があってどれも可愛いのがいけないと思うんだ。気に入ったものを全部買うわけにもいかないし、この中から1つ選ぶなんて相当むずかしい。
お店の中にはレジのおばあちゃんと私しかいなかったから静かで集中出来たけど、不意にがらがらと引き戸を開ける音がしておばあちゃんがまたいらっしゃいと言ったのが聞こえた。
「…………」
「…………」
お店に入ってきた人が私のいるところにやってきて同じく商品棚をじっと見下ろしていたところお客さんなのだろう。しかし私はそれに脇目も振らず悩み続けていると、私の目に一つ目に留まった。雪うさぎの形をした大福の根付けストラップだ。ご当地キャラクターでもなかったが、白くふっくらとしたうさぎの形なのに大福になっているのがまた可愛く感じた。
大分時間も経っていることだし早く私も観光したいのでそれを取ってレジに持っていこうとした。
「あっ」
すると同じタイミングでもう一本、手が伸びてきてふと横を見ると私と同じくらいの歳の人が同じものを取ろうとしていた。思ったよりも顔が近かったので私は慌てて手を引っ込めて離れる。
「あ、えーっと、……キミもこれ欲しかったりする?」
「あなたも、ですか…?」
「あー…被っちまったな」
商品棚にあるこのストラップはたったひとつ。ということは、どちらかが諦めなければならないということだ。
延々と悩んでやっと決まったのに振り出しに戻らなければならないのか。それもそれだけど、見ず知らずの人に絶対これがほしいということは強くは言えない。というか男の人でもこんなストラップ欲しがるのが少し意外だ。
「他にも可愛いものもたくさんありますし、譲ります」
「そういうわけにもなあ……」
「いや、でも…」
「ん?おめさん観光で来てるのか?」
「まあ、そうですけど…」
「俺、この辺の学校通っててさ、今日も部活の練習がてら寄ったんだけど」
「(部活?)」
「俺は来ようと思えばいつでも来れるし、入荷したらいつでも買いに来れる。だからここはキミに譲るよ」
「うー……」
「いいからいいから」
そう言って雪うさぎを私の手に置いて、そのまま握らせた。
正直うれしい。こんな可愛いストラップに出会えることなんて早々ないし、譲って頂けるのはすごくうれしい。でもやっぱり心苦しくて、おずおずと顔を見ると何も気にしていないような顔でにっこりと笑っていた。「私はいいです」と言おうにもストラップをがっちりと握らされて言おうにも言えない。
「ありがとう、ございます…」
「どういたしまして」
「(うれしい、な)」
「さて、と。俺はそろそろ行くかな」
やさしい人もいたものだなあと思って、譲ってもらったストラップは大事にしようと思った。こんなこと滅多にあることじゃないし、これを見るたびにこの箱根のことを思い出すだろう。素直に心の中ですごく喜んで手の中のストラップを眺めているうちに、譲ってくれた男の人が去ろうとしていた。
「あの!」
本当に見ず知らずの人で、これからの人生でもう2度と会うことはないだろう。そんな人なのにどうして私は引き留めてしまったのか分からなかった。ただもういなくなってしまうと思うととっさに声が出たんだ。
その人は振り返ってくれたけど、その先に何を言おうと決めずに引き留めてしまったので私自身も戸惑ってしまう。
「あ、あの、えっと…うさぎ、好きなんですか」
また意味の分からないことを聞いてしまった。
きょとんとして私を見ている。
「ああ、学校でうさぎ飼ってるんだよ。だからそれ気になって」
「そ、そうなんですか…すみません、引き留めてしまって…」
「いやぁ、気にすんなよ。それよりも」
「?」
「やっぱそれ、おめさんに似合ってるな」
譲ってよかったと、そう言って射抜くようにして指を私に向けて言った。その時にあんまりにも優しく笑ってくれるものだから、恥ずかしくて心臓がうるさい。元々すごくかっこいい人だったから尚更で、思わず俯いてしまった。
気付いたらその人はお店からもう出ていってしまっていて、私はもう一度お礼でも言っておけばよかったと思った。その後に家族と合流した時も旅館に戻った時も、今日が終わるまでずっとあの人の顔が頭から離れずぼうっとしていると兄にからかわれた。
それから私がお父さんの仕事で神奈川に引っ越して、携帯につけたストラップについて声を掛けられたのはまた別の話だ。
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