「んー…いいんちょう?」
「ごめんね、委員長は委員会行ってるんだ」
「え?」
寝起きで頭はまだ完全に働いていないけど、一度大きく伸びをして目を擦って、その声の元を見たら思いもよらない人が立っていた。俺の隣の席の椅子を引いて座り、教科書を広げる。それを俺はぽかんと眺めているだけでなかなか言葉が出てこなかった。
「今日は委員会出なきゃいけないから代わりに勉強教えてやってって頼まれたの」
「あー、そっか。そうだよね、『委員長』だった」
「私は部活も委員会も入ってないから」
「委員長の代わりになまえかあ」
「私、宮原ちゃんよりは成績良くないし、人に勉強も教えたことないから、や、やっぱり嫌だよね!」
「いや、教えてくれるのがなまえだから不安とかじゃないんだけど…」
ただ、俺が今のなまえとどう接していいか分からないだけだ。
そんなことは当然言えず笑ってごまかしたら、なまえもつられて笑ってくれた。
こんなに近くでなまえの笑った顔を見たのはいつぶりだろう。前はあんなに好きでなまえのよろこんだ顔とか見たくて追い掛け回してたっていうのに、今はもう他の誰かのものだ。俺だって鈍いなまえに臆さず自分なりに気持ちを伝えてたつもりだったんだけどなあ。なまえにはストレートに物を言った方が正解だったみたいだ。それに気づいた頃にはなまえの隣に一人の男が居座っていた。それを俺は遠くからぼうっと見ていてなまえがあんまりにも幸せそうに見えたから伸ばした手も引っ込めたんだ。なまえが幸せだったらそれでいいかなって。
ああ、嫌なこと思い出すなあ。なまえに近づかなければ嫌な思いをすることも少なくなったし、今までよりはぐっと話すこともなくなった。だけど、なまえから近づいてこられたらどうしようもないんだ。無理に追い返すことも出来ないし、困る。だって、心のどこかで俺はまだ諦めていない。
「…なまえはいいの?俺に構って彼氏に怒られない?」
「だいじょうぶ!どうせ彼の部活終わるまで待たなきゃいけないし」
「んー、俺も部活行きたいなあ」
「自転車部だったよね?練習ないの?」
「俺の出してない課題が溜まりすぎて先生から消化するまで部活禁止って言われた」
「そ、そっか、大変だねえ」
「そう、それがもうすごい量で」
なまえは俺の前に置いてあるプリントの山を見て目をまあるくして苦笑い。
「だから、今日はよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします…」
「でも今日は委員長じゃなくてなまえだから安心したー」
「なんで?」
「だって、委員長スパルタだもん」
「えっそうなんだ…てっきり真波くんにはすごい甘いのかと思ってた」
「どうして?」
「だって、真波くんと宮原ちゃんって付き合ってるんじゃないの?」
今度は俺が目を丸くした。
それ、いつから思われてたんだろう。別に俺と委員長はずっと幼馴染だったし、その馴染みでサボりがちな俺の勉強の面倒も見てくれているだけだ。委員長が世話好きなのもあると思うけど。なまえからはそう見られていたなんてことは心外だった。
「ちがうちがう!委員長とは幼馴染なだけだよ!」
「そうだったんだ…」
「家が近かっただけだし、委員長あんな性格だから昔から世話焼いてくれたんだ」
「ず、ずっと一緒にいたし、付き合ってるのかと…」
「そんなに一緒にいるかなあ…」
「だって、こうやってよく勉強教えてもらったりしてるんでしょ?」
「まあ、そうだけど…」
なまえは勘違いをしていたようで、恥ずかしいのか俯いて膝の上で手を固く握っていた。でも、そんなのなまえには関係ないじゃないか。なまえには彼氏がいるんだろう。俺のことなんてどうでもいいのになんでそこまで踏み込んでくるのか不思議だった。そして、そんな風に聞かれて俺も苦しかった。
「そんなこと言ったら、俺だってなまえのこと好きだったんだけどな」
だから、仕返しのつもりでぼそっと言ってやったんだ。
別になまえは俺のこと好きなわけじゃないんだし、俺もずっと心の内に留めていたことを言ってしまえばすっきりするんじゃないかと思って。驚かせはするだろうけど、えーそうだったの?くらいで笑って終わるくらいの軽い気持ちだった。
「え、……」
「なんで、それ…今」
そんなつもりだったのに、ふとなまえを見ると目から涙を流していてぎょっとした。なんで涙を流しているのか、俺にはよく分からなかった。だって、なまえは今の彼氏のことが好きなんだろう?あんなに笑って歩いていたじゃないか。今まで構ってくれていた俺のことなんかどうでもいいと言わんばかりに目の前でそうしてきたじゃないか。
放課後の静かな教室になまえの嗚咽が響いていた。一向に泣き止む気配はなくて、でも俺が悪かったんだろうか。そうしていると、なまえは急に広げていた教科書も筆箱も鞄に投げ込むようにしてしまって教室を出て行った。
今更ながらなんでもっと早くに好きだと言わなかったんだろうと、俺は後悔した。
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