俺としては、あんまりなまえのことは泣かせたくはなくて。喧嘩とかも、今までなるべく避けてきた。なまえが泣いてるところを想像したらぞくぞくすもんはあるんだけど、やっぱりなまえが嫌がることはしたくないし、逆になまえも俺の嫌がることはしてこない。まず、俺がなまえにやられて嫌なことがあるかと考えるとそこまでないように思える。
だけど今、遠くになまえの姿が見えたと思ったら明らかに悲しそうな顔をしていて改めて俺はそう思った。すぐに追いかけようとは思ったけど周りにいた女の子達がそうさせてくれなくて、その間になまえは背を向けて俺のいる方とは逆へとぼとぼ歩いて行ってしまった。
「っ、なまえ!」
「新開くんおつかれ〜!今回もかっこよかったよ!」
「ん、ああ、サンキュー」
「私も差し入れ持ってきたからよかったら食べて!」
制服が箱学のものだったから箱学の子だとは思うけど、名前も知らない女の子が俺の胸やら腕やらに絡みついてくるのはちょっとどうなんだろうな。俺はちっともこの子達のことを見ていないのにもかかわらず、空気を読まずに俺に話しかけてくるのには疑問でしかない。レースの後にこうやって差し入れ持ってきてくれるのはありがたいけどよ、俺のこと考えているように見えてまるで考えてない。所詮は俺の表面だけを見ているんだろうなと思うと冷めた気持ちにさせた。
「えっ新開くんどこ行くの〜?」
「悪ぃな、ちょっと用があるんだ」
普段なら沢山おめでとうと言われて、お疲れ様と言われて、補給食とかドリンクとかもらって、レース後の疲れた体にはうれしいとは思う。けど、今ばっかりは俺の腕に絡みつく手に嫌悪した。今一番それをしてほしいと思う人が側にいないんだ。それでも女の子だから出来る限りやさしく振りほどいて、なまえを追いかける。レースの後で足がぷるぷるしてたけど、なまえの後ろ姿が動かない足を無理矢理に動かして全力疾走だった。
「っはあ、はあ、…なまえ」
「!おお、新開くんか…どうしたの」
「どうしたのって…なまえにあんな顔させたままほっとくわけにいかないだろ」
「あんな顔?」
なまえはいたって普通通りに俺に言葉を返したけど、あんな顔してたんだ。なにも思っていないはずがない。それなのに、こんな風になんでもないようなフリをしている。なまえって嫌なことも心の内に隠しておいて、外には出さないタイプなのだろうか。
けど、俺はあの一瞬を見逃さなかったわけで、なまえが今どんな気持ちでいるか分かってしまっている。本当は言いたいことも我慢させてるのはこの俺だ。
「ごめん、今回ばかりはちょっと気を抜いてた」
「……別に、レースの後だからしょうがないんじゃないかな」
「別に俺はなんのことかは言ってないんだけど?」
「っ……!」
ほら、やっぱり気にしていた。
俺は別に俺の周りを囲んでいた女の子達のことは一言も言っていない。でも、なまえはやっぱりそれを見てあんな顔してたみたいだった。なまえはしてやられたという顔をしていたけど、素直に何のことかは言ってくれず、また俺をおいてどこかへ行こうとしていた。
「そ、それじゃあ、おつかれさま。私もう帰るね!」
「逃がすわけないだろ?」
「…離してよ」
俺を睨みつけてくるなまえも少し新鮮だと思ったけど、俺は絶対に手を離そうとは思わなかった。離してくれないと分かったら、なまえは俺の手を解こうとぶんぶんと手を振ってみたり俺の胸を押して引きはがそうとしていたけど、それも俺にとっちゃかわいいもんだ。
「っ、解けない…」
「だってレース終わったら俺と帰る約束したろ」
「…知らない」
「なんで、あんな顔してたんだ?」
「…普通だったけど」
「普通なわけないだろ?おめさん、すごく辛い顔してたぜ」
「…………」
「だからさ、なまえ。なんでも言ってくれよ」
ついになまえはぽろぽろと涙を流し始めて、その一つが手に落ちた。
空いている片方の手で涙を拭ってやるとさらにこぼれ出す。
「っひっく、」
「なあ、俺正直うれしいと思ってる。なまえ、嫉妬してくれたんだろ?」
「…っひく、ごめ、ん」
「俺も毎回ああなること分かってて何にもしなかったのも悪いんだ」
「ちがうよ…」
なまえは涙を袖でごしごしと擦った。そんな擦ったら赤くなっちまうのに、そんなのお構いなしで、目は真っ赤になっていた。
「私は…、別にあの子達の気持ちも分かるし、それを軽く流せない私が悪いんだ」
「……なまえ」
「それ以前に自転車にも嫉妬してるんだよ、私。自転車乗ってる新開くんも含めて好きなのにおかしいよね」
そんな悲しそうな笑顔で見られてもだな。
俺はその場で悶絶していた。嫉妬とか、今まで悪いイメージしか持ってなかったけど、実際自分がなまえに嫉妬されてみてこんなに嬉しいとは思わなかったんだ。なまえにしてみれば辛いだけで、そんな気持ちにさせてるのは心苦しいものはあるけどそれでも、俺のことを思って涙を流してくれるのは嬉しかった。こんなに俺思われてたのかって。自転車に嫉妬するとか、なんだよそれ。
「ごめん、自転車はやめられそうにないな…けど」
「そ、そんなのわかってるよ?別にやめてほしいって言ったわけじゃない、っ」
「やばい、すごい嬉しい」
もうなまえが愛しくて仕方なくて、力いっぱい抱きしめた。すると、なまえが苦しそうに一つ咳をしたから。耳元でごめんと言った。
一瞬だけど、辛い思いさせたことと、力加減が難しかったこと。その分、俺はなまえを大事にしていかなきゃいけないんだ。
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