「新開くん、どうしよう」

そう言って目に涙を溜めて俺が教室に入った途端つめ寄ってきたみょうじさんを見た俺がどうしようと思った。今日の部活の朝練が終わってからホームルームまでの時間があんまりなかったから、明日のうさ吉の餌やりを頼めないかと昨日の晩にメールで話したきりだ。いつもおっとりしているみょうじさんにしては焦っていて、とにかく落ち着いてくれとなだめると大きく深呼吸して彼女は謝った。

「ご、ごめんなさい」

「別にいいけどよ…どうかした?」

「うん、あのね、うさ吉のことなんだけど」

「うさ吉になんかあったのか?」

「う、ん…今朝餌やりに言ったんだけど、ぐったりしてて、餌も食べないんだ」

「え、」

「だから新開くんに早めに伝えといた方がいいと思って」

「それ本当か…?」

「っ、新開くん?」


ぐったりしてて、餌も食べない?
みょうじさんの言葉がうまく呑みこめなかった。どうしてだ。昨日俺が餌やりに行ったときは元気そうにしてたのに、今日になって急になんておかしいだろ。どうせ腹こわしたとか、軽い風邪に決まってる。今までそんなことなかったし、大丈夫。大丈夫だ。
それなのに、矛盾して嫌な事ばかりが頭の中をじわじわと占めていく。その一言で一瞬にしてあの光景がフラッシュバックするんだ。俺はうさ吉の母親の命まで奪っちまったのに、もしうさ吉もいなくなっちまったら、俺はどうすればいい。
みょうじさんの肩に掴みかかって、気付けば冷や汗をかいていた。みょうじさんは少しびっくりしていたけど、こんな俺を見て口を開いた。


「きっとだいじょうぶだよ」

「…そう、か?」

「うん…、とりあえず、落ち着こう。さっきまで焦ってた私が言うことじゃないんだけどね」


きっとみょうじさんだって、内心不安になっているはずだ。そう笑って言うけど、笑顔が心なしか弱弱しく見えた。こんな俺を前にして、逆に冷静になったのかもしれない。その言葉通りに彼女を見て少し心が軽くなった気がした。
けど、もうすぐホームルームは始まるし、今日の授業が終わるのは夕方だ。最短でうさ吉の様子を見に行けるとしても、昼休みになるだろう。この話を聞いてどんどんと不安の渦に呑まれていく俺は、黙って授業を聞いている俺を想像すると心配で耐えられない気がした。


「俺、見に行ってくるよ」

「もうホームルームはじまるよ…?」

「ごめん、それどころじゃなさそうだ。今日はサボる」


早くしないと担任が来て出席を取っちまうからな。その前にうさ吉のところにいかないと逆に面倒だ。そうと決まったら、さっそくUターンして教室を出る。どうせたいしたことでぐったりしているわけじゃないんだろうと思いつつ、悠長に歩いてなんかいられずに廊下を走っていた。その時にこれから教室に行くんだろう担任とすれ違った気がしたけど、この際無視だ。緊急事態なんだ。
校舎裏のうさ吉のところまでが妙に長い気がした。息切れも起こしながらやっとたどり着くと、みょうじさんの言ったとおりうさ吉は明らかに元気がなさそうだった。ただ寝ているようには見えない。心のどこかで、まだみょうじさんが見た時だけぐったりしてたらと思っていたが、今も全然元気がない。


「っはあ、はあ、新開、くん」

「みょうじさん…?なんで…もうチャイムなったろ」

「私も、心配でっ、来ちゃった」


走っている最中はうさ吉のことしか考えてなくて全然気づかなったけど、振り向くとみょうじさんがいた。俺を追いかけてきたってわけか。案外ガッツあるんだなと思い、みょうじさんがへろへろとした足取りで俺とうさ吉の隣まで来てしゃがみこんだ。そりゃそうだよな。俺がいきなりみょうじさんを置いてきぼりにしてきたようなもんだ、心配にもなるよな。まあ、心配してるのは俺じゃなくてうさ吉の方だと思うけど。
肝心のうさ吉の方に目を戻すと、近くにみょうじさんが朝あげたんだろうキャベツが一口も食べられずにしなびれていた。餌を食べてないっていうのも本当だったみたいだ。体を持ち上げてみるとわずかに顔を俺の方に向けるだけで、いつものように元気よく反応しない。本当にどうしちまったんだよ。うさ吉を目の前にして、どんどん頭の中の嫌な想像が現実味を帯びてきた。かといって、俺はうさ吉を飼ってるにもかかわらず、今こいつは風邪か腹をこわしたのかはたまた悪い病気なのかも分からない。情けない話だ。ただ心配して見てやることしか出来ないなんて。


「おい、うさ吉、だいじょうぶか」

「…………」

「昨日までおめさん元気だったじゃねえか」

「なあ、」

「新開くん」

「…………」

「新開くん」

「なんだよ…」

「…病院連れてってみない?」

「病院…?」

「私、近くの動物病院知ってるから、私もどう対処すればいいか分からないし…、行って聞いてみるのが一番だと思うんだ」


みょうじさんの言ってることがうまく頭の中に入ってこなくて、うまく返事できずに固まっていた。その状態を見かねて、俺の腕からうさ吉を取ってみょうじさんは立ち上がった。そうするとやっと、ああ、俺も病院に行かないとなと思って立ち上がると、予想以上にくらくらする。思い出すんだ、俺についたあの血を。あのレースを。みょうじさんが気遣って「だいじょうぶ」「最近寒くなってきてるし、きっと風邪だよ」なんて言ってくれるが、このうさ吉を前にしてなんでそんなことが言える。もし、死んじまったらどうするんだ。今度は俺がみょうじさんの後を着いていくことしか出来なかった。




「季節性の風邪ですね。お薬を出しておきますので飲ませてあげてください」

「あー…よかった」

「ただの、風邪…?」

「そうだって、薬も出してくれるらしいからもう大丈夫だよ」

「マジか……」

「新開くん緊張しすぎです」


はっと手元を見ると、みょうじさんの手を握っていた。どんだけ俺は不安に思ってたんだ。それに、俺はいつから握ってたんだろうか。覚えてないけど、結果を待っていた時にはばっちり握ってただろうな。それを振り払わずにみょうじさんはずっと握り返してくれてたのか。
俺がうさ吉の餌やりに行ったときにみょうじさんがいて、その時までほとんど話したこともなかったけど、うさ吉を心配して俺を追いかけてきてくれたり、安心させるように俺に声を掛けてくれたり、今では隣にいて励ましてくれていた。思えば今日は随分と冷たい態度を取ってしまった。それでもめげないでくれたみょうじさんが意外だった。というよりは今まで俺が気づいてなかっただけなんだろうな。人見知りなうさ吉が妙に早く懐いていたのが頷けた気がした。


「みょうじさん、今日はありがとな。助かった」

「そんな!たいしたことしてないから、あの、頭上げてください…」

「ホントに、ありがとう」

「あの、」

「俺だけだったら病院も行けなかっただろうし」

「もう、わかったから…」

手を離してください。
顔を赤くして言うみょうじさんがかわいいと思うのは心からだ。



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