「あっ翔くん、おかえり」
「なんでおるん」
「うーんと、最初は回覧板届けに来たつもりやってんけどな、私が来るの久しぶりやない?上がってき言うて、おばちゃんがおやつ出してくれてん。お邪魔してます」
「…君ィは知らん人に飴ちゃんもろたら着いてきそうやな」
「うわ、馬鹿にしとるやろ」
「しとるわ」
「ひどいなあ…でも相変わらずやね、翔くんは」
「…知らん」
家に帰ると、出迎えてくれたんはおばさんでもゆきちゃんでもなく、なまえやった。流石の僕も少し驚いて目を見開いたけど、確かになまえや。なんや知らんけどせんべいくわえながら、僕の前に立っていた。
僕がなんでここにおるん、て言う前におかえりて言われて、君ィの家でもないのにおかえり言うんは間違いやろと思いつつ、なんだか懐かしい気分になる。最近はめっきりこんな気分になっとらんかったし、なまえと会うんも久々や。
「部活やったん?」
僕が靴を脱いでる最中に、何気なしになまえが言うた。
「せやで」
「おつかれさま」
「ほんまに疲れとるから、はよ帰ってくれるとうれしいんやけどな」
「はは、さびしいなあ」
ちらりとなまえの顔を見ると眉を下げながらそう呟く。すぐに顔を逸らしたけど、それを見たら僕の心がちくりと痛んだ。
「せやけど、そろそろホントにお暇させてもらうわ」
「…隣やけど、気いつけて帰りや」
「おん。おおきにな」
あかん。自分ではよ帰りや言うたんに、もう帰ってまうんかて言いそうになって、とっさに口を押えた。
せやけど、正直なんで口を押えたんかよう分からんかった。当たり前のように、そっけない態度でなまえを見送ろうとしている。昔ならするっと言えていたはずの言葉が、今なんで出でこんのか分からん。
そないしてるうちになまえはそそくさと靴を履いて玄関に手をかけていて、その背中を見ながら今度来るんはいつになるんやろかと思う。家は隣やし、会お思たらすぐに会えるんに、理由もなかったら会えんようになってしもたんやろか僕は。
すると、急になまえが振り返った。
「あっ、せや」
「なん」
「…あんな、翔くんにお願いあるんやけど」
「…なんやの」
「ええの?」
「ウザいからはよ言え」
「…自転車こいでほしいねん」
「……ハァ?」
「翔くん家に行った後コンビニ行こうと思て、表に自転車とめてあんねん。せっかく久しぶりに会ったんやし、翔くんに乗せてってもらいたいなあ、て」
「…………」
「翔くん疲れてるやろから、無理にとは言わへんけど」
じわじわと僕の中できいろい色が広がってくんが分かる。
「……ええけど」
「ほんま?」
「はよ行くで、鍵出しや」
一度脱いでしまった靴を履きなおして再び外へ出た。ほんまに、僕に二度手間かけさせることできるんなまえくらいや。二つ返事で応えてやると、なまえは分かりやすくよろこんどった。僕は、ただ、昔のよしみで聞いてあげただけや。それ以外、何もない。
鍵を受け取って小さな自転車に跨る。その後ろになまえが乗って、自然と僕の腰に腕を回していた。なまえの自転車でなまえ乗せて走ったことなんかぎょうさんあるんに、昔と今の心持は全然違うとった。
コンビニ言うても何キロもない、すぐそこのや。僕のロードならあっちゅう間に着いてまう。けど、なまえのママチャリやったらこの距離でも少し時間はかかる。ぽつぽつと電灯が着き始める中、道路やなく歩道をのろのろと走った。
「翔くん、大きなったなあ」
「君ィは小さくなったんちゃう」
「これでもまだ伸びとるんやで」
「ふうん」
「さすが、私より全然速いなあ」
「当たり前や」
「かっこええな」
「…うっさいわ、黙っとき」
ほんまはそこまで言いたないんやけど、自然となまえに対して悪態をついてまう。勝手に口から漏れ出す。
なんでやろなあ。年々歳を重ねていく度に僕の言葉も冷たなってきて、僕となまえとの距離はだんだん大きくなってくみたいや。ほんの何メートル。家の距離は変わらんのに。高校が変わってからなまえは僕の家に来る回数が減ってきたし、あっちもあっちでいそがしいんやろとか思いつつ、今日も来いへんかったと布団の中で思っとった。
こない言うても今は笑って許してくれるけど、いつ許してもらえんようになるか分かったもんやない。なまえといるとき、なぜか僕の視界はしあわせの色になる。ロードに乗っとるわけでもないのに、今、僕の視界はやわらかいきいろや。
「なまえは、僕のこと嫌いか?」
「えー、いきなり何なん」
「僕のこと嫌いになったやろ」
「そんなわけないやん」
「やったら、なんで最近遊びに来いへんの」
「それは…翔くん忙しいかな思て」
「…………」
「翔くんこそ、私のこと嫌いになったんちゃう」
「…なってへんわ」
「最近そっけないもんな」
「…………」
「でもな、それでもたぶん。わたしは翔くん嫌いになれへんなあ。なんでか」
「ウザ」
なまえはまた笑って応えた。なまえには僕の思うてるころなんて分かっとるのかもしれへん。ただ、なまえには嫌われとうないなと思うんや。このことも実は分かっとるんちゃうやろか。
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