それは何もかもが偶然であった。
この休日に謙也がサプライズと称して突然侑士のところへ遊びに来たことも、その日に限って岳人が父親と喧嘩をし侑士の部屋に転がり込んでいたことも、侑士が岳人をなだめようとして逆に彼を刺激してしまったことも、そのせいで短気な彼が怒り侑士に掴みかかろうとしたものの足元を取られ転んでしまったことも、侑士を巻き込んで派手に倒れ込んでしまったことも、最悪の瞬間に謙也が侑士の部屋の扉を開けてしまったことも。
すべてがすべて偶然であり何一つとして必然などありはしないのだが、それでも現実は現実であった。

扉を開けてすぐに謙也の目に飛び込んできたものは、乱雑に物が散らかっている部屋と侑士の上に跨る岳人と床に落とされた丸眼鏡。
予想外の状況にしばし呆然と立ち竦んでいたがやがて現状を把握するとカッと頭に血がのぼった。
目の前が赤く染まり瞳孔が極端に開かれていく。
呼吸の仕方さえ一瞬見失ったもののすぐに大きく酸素を取り込みゆっくりと口を開くと怒りに震える声で名を呼んだ。

「侑士?」

それは平時とは比べ物にならないほど低く地を這うかのような声音であった。
従兄弟の侑士ですら聞いたことの無い程の怒りを含んだ低音。
謙也とは初対面であるはずの岳人でさえ彼が尋常では無い怒りを抱いていることを察した。

岳人は二人が従兄弟以上の関係であることを知らない。
それどころか謙也と侑士がどんな関係性であり、なぜ今彼が侑士の部屋に訪れたのかもわからない。
それでも岳人は直感的に「なんかやべぇことになってるな」と察していた。
この空気は以前、彼が姉の修羅場に巻き込まれたときにも感じたことがある。
岳人は慌てて謙也に向き合い、怒りに表情を落とした彼を見上げた。

「あー…悪ぃ、これはちょっと俺のドジに侑士が巻き込まれただけで…」
「岳人、ええから」
「でも侑士!ちゃんとコイツに説明しなきゃやべぇって!」

何がヤバイのか彼自身もきちんと理解しているわけではない。
岳人は男同士である彼らが恋愛関係にあることも、ただじゃれて転んだ自分たちの状況が誤解を招くものだとも気付きはしなかったが、謙也の怒りを治めるには説明するしかない事だけは察していた。
今きちんと説明しなければ取り返しが付かなくなるような、そんな嫌な予感がする。

そんな焦りもあり岳人がつい侑士に詰め寄るとダンッと激しい打撃音が部屋中に響いた。
突然の音に驚愕し振り返ると扉近くの本棚に拳をあてている謙也の姿。
力の限り打ち付けたのだろう。
木製の本棚は歪な形にへこみが出来ており謙也の拳からも僅かに鮮血が滲んでいた。

「岳人くんって言うたか」
「…おう」
「俺な、侑士に大事な話あんねん、ちょお、二人にしてくれんか」

ゆっくりと、一言一言を言い聞かせるかのような言葉の紡ぎ方。
それは今にも噴出しそうな怒りを懸命に抑え込もうとしている様子にも取れる。
岳人はしばし渋ってはいたが侑士にも促されると仕方無しに荷物を持ち立ち上がった。
部屋を出るために謙也の横を通りがかるも彼は岳人を見ようともしない。
瞬きさえもしていないのではないかと思わせるほどまっすぐに暗く瞳孔の開いた目で侑士だけを注視していた。
その様子には幾許かの恐怖さえも抱かせる。
岳人は心配と不安の織り交ぜた視線を侑士に送ったが、しかし侑士もまた謙也を見つめるばかり。
後ろ髪を引かれる思いで彼は侑士の自宅を後にした。



「謙也」

残された二人はしばし沈黙を続けていたが、最初に口火を切ったのは侑士であった。
謙也のものとは正反対のひどく穏やかでやわらかい声。
場違いにも思えるその声音は、しかし確実に満ちていた緊張状態を溶かしていく。
床に座り込んだままの体制である彼は自然と謙也を見上げていた。

「謙也、わかってんねやろ?」
「…おん」
「俺が浮気しとるとでも思ったん?」
「ちゃうねん、そうやない、わかっとる」

謙也は覚束無い足取りで侑士の近くへと寄ると伸ばされた足を跨ぐように膝を付きそのままぎゅうと抱き締めた。
縋り付くように強く指先を背に埋め、肩口に鼻を寄せる。
その姿は誰が見ても憐れみを抱くであろうほどに必死であった。

侑士の体温に触れながら彼は部屋に来た瞬間を思い出す。
浮気をしているだなんて欠片も思い浮かびはしなかった。
部屋の状態から事故であったことはすぐに知れたし、恋人同士特有の甘い雰囲気すら感じ取れなかった。
自分が浮気をしないと言い切れるのと同じように侑士の事も信じることが出来る。
だが、それでも。

「それでも、あかんかってん」

脳で理解するよりも感情が先にのぼった。
抱き締めると感じることの出来る僅かな筋肉の弾みや血液の流動も、
普段は眼鏡のレンズに遮られて直視することの無い濃紺の瞳も、
侑士のすべてを自分以外には触れさせたくないのだと全身が熱を持って戦慄く。

どろりとした醜悪な感情は全身を這い回り体内をぐるぐると掻き乱した。
吐き気を促すタールのようなそれは冷静を失わさせ暴力的な感情を湧き上げる。
痛みを伴う慟哭は音とならずに凝縮され拳の血液と共に流れ落ちた。

「どうしても侑士が他の奴に触れとるんが許せへん」
「…大丈夫、わかっとるから」
「なんで、俺だけのモンに出来ひんのやろな」

懇願にも似た呟きは震えたまま両者の全身に浸透する。
ギリッと更に強く力を込めて抱き締めると侑士の肩が僅かに鳴いた。
それでも彼は微動だにせず謙也を受け止め続けている。
徐々に湿り気を帯びていく肩口がやけに温かく感じた。

「ゆーし、ごめんな、おーきに」

それは嫉妬だなんて甚だしい。
至極純粋に常軌を逸した独占欲であった。

「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -