さよならモラトリアム | ナノ


▼ 矜持

「あっ!猫」
「え」
「何て名前?」
「り、リトルジョンだけど…」

初めて会った時、なんでアイドル科に女の子が?って思って、ああこの子が今年入学して来た噂の子かと気がついた。
弓道場の裏、1人でリトルジョンと戯れていれば、名前は定期的に現れるようになった。

「猫好きなのか?」
「うーん、どうだろ。普通」
「普通のわりにはよく来るじゃん」
「好きなのかも?猫飼ってるし」
「へー!何猫?名前は?」
「黒猫。バジスケっていう名前なの」

11月3日に拾った猫だからそう名付けたと名前は笑っていたけど、どうして11月3日だとバジスケなのかよく分からなかった。

「千冬はさぁ。バジスケのこと『バジさん』って呼んでるの。ウケるよね」
「チフユ…?」
「大好きな友達」

シンプルに羨ましいと思った。自分の居ないところで、『大好きな友達』って言ってもらえるチフユちゃんが。おれのことをそんな風に言ってくれる友達はいるだろうか。

「先輩は月永レオ君でしょ。天才作曲家の」
「先輩って分かっててタメ口だったの?」
「そういうの気にするタイプだった?」
「気にしない」
「じゃあいいじゃん」

レオ君の曲好きだよー、と名前は笑って言ってくれた。素直に嬉しかった。
名前は女の子ということもあって、ちょっと…結構浮いてるらしくて、おれもちょっと浮いてたから、浮いてる同士で仲良くなった。はぐれ者同士が傷を舐め合ってると言われる時もあったけど、全然気にならなかった。

「バックギャモンって何?」
「そんなのおれが聞きたい〜!」

だんだんと学院がバタバタしていって、チェスがバックギャモンになったり、色んなユニットが結成したり解散したり分裂したりして、でも名前だけは変わらなかった。
五奇人のイザコザに巻き込まれかけたみたいだけど、そこも朔間零がなんとかしたみたいだった。良かった。

「なんか最近慌ただしいよな。名前も気をつけろよ」
「レオ君のが気をつけなよ。なんていうか…利用されたりしないようにさ」
「………」

名前は人にあんまり深入りするタイプでは無いし、深入りさせないタイプだった。そんな名前からしても、おれの現状は良いとは思えなかったのか、やんわりと釘を刺されてしまった。

バックギャモンのメンバーとの会話を思い出す。

「な〜月永、お前名字さんと仲良いなら俺らとの仲取り持ってよ」
「えっ」
「俺たち友達だろ?」

友達…友達ってなんだっけ?空き教室に呼び出してくれればそれでいいから、なんて言われたけど、なんで空き教室?
どう考えても碌でもない事を考えてるようにしか思えなくて、どうやって上手く断るか、必死に言葉を探してしまった。

「ばっ…!名字名前に手を出すのはやめとけって」
「は?何でだよ」
「知らねぇの?あの子、暴走族の総長と付き合ってんだぜ!?中学ん時のヤンキーの先輩が、名字さんに手を出そうとしてボコボコにされたことあったんだよ!」
「マジ?」

…えっ?名前が?
そんなの聞いたことない。名前から聞くのは、チフユちゃんかバジスケの話ばっかりだ。暴走族とか総長とか初耳だった。

幸か不幸か、この話のお陰で名前を紹介するという話は流れたけど、何となくモヤモヤとしたものが胸につっかえるかたちとなった。

「…暴走族の総長と付き合ってるって本当?」

聞いてどうするんだろう。名前が誰と付き合ってようが、おれには関係ないはずなのに、確かめずにはいられなかった。

「はぁー…まだそんなデマ出回ってるの?」
「デマなのか?」
「友達ではあったけど」
「何だそれ!」

深い溜息とともに、否定の言葉が返って来た。困っちゃうよね、と笑った名前を見て、心の中のモヤモヤが晴れた気がした。

「じゃあ彼氏とかいない?」
「いないよ。レオ君は?」
「おれもいない !」

にぁあにゃあとじゃれ付いてくるリトルジョンを撫で回しながら、顔がにやけそうになるのを誤魔化した。
名前は疲れたのか、芝生の上に寝っ転がって、空を見上げていた。

「彼氏とか当分出来ないだろうな〜」
「名前がその気になればすぐ出来そう」
「あははっ。ありがと。その気になるまでがね」

本当に。今、名前に『付き合って』って言われたら、おれは『うん』って言っちゃうと思う。他にもそんなやつをチラチラ見かける。彼氏がいないのに安心したけど、いなきゃいないで意外だ。セナ曰く名前は『可愛いけど気が強過ぎない?』との事だったけど、別に我が強いわけではないから全然良いと思う。

「………」
「名前?」
「……ん?」
「眠そうだな」

横になって数分でうつらうつらとし始めた名前に苦笑した。こんな男だらけの学院で寝るなんて危ないぞ、と言おう思って、それだけ信用されてるのかな、なんて思い上がってみたりした。

「………」
「………」
「………」
「…寝た?」
「………」

返事は無い。代わりにすうすうと気持ち良さそうな呼吸が聞こえて来た。本当に寝ちゃったみたいだ。

「おまえ全然おれのこと男として見てないよなー…」

襲われるとか思ったことないのだろうか。少なくとも、この学院内に名前を襲おうとしてたやつはいたぞ。

「おれだって…」

2人きりなのをいいことに、名前に顔を近づけた。あともう少し顔を下げれば、簡単にキス出来る距離だ。
名前はしたことあるのかな。彼氏はいないと言っていたけど、前にいたことはあるんだろうか。いないといいな。

バレたらまずいのに。いや、バレなくたってやばいのに、良くない事と分かっていながら顔を近づけてしまう。

「マイキー…」
「ッ!」

あと数センチの距離まで来て、名前が何かを喋ったから慌てて距離を取った。

「…マイキー?」

マイキーって何?

「………んん?寝てた…」
「あっ、うん…寝てたぞ」
「ん〜…懐かしい夢見たかも」

眠りは浅かったみたいで、伸びをしながら名前は起き上がった。

「マイキーの夢?」
「嘘…?声に出てた?」
「うん…あの、誰?」

なんて事ないように聞いたつもりだ。あだ名なんだか分からないけど、マイキーって珍しい名前だし。

「…好きな人かな」

聞かなきゃ良かった。

「もう居なくなっちゃったんだけどさ」

名前はその後もポツポツと何かを言っていた気がするけど、あんまり頭に入って来なかった。おれは「へぇ」とか「そっか」なんて無難な相槌をひたすら繰り返していたような気がする。

「ナイショね」
「…うん」

誰にも、言わない、こんな事。

この日からおれは名前を避けるようになってしまって、名前はその度に傷ついた顔をしていた。傷ついた顔の名前を見るのがしんどくて、余計に避けた。

「あっ、王様…」
「王様って、」

そのうち周りがおれを『王様』と呼び始めて、名前も釣られるようにそう呼ぶようになっていた。
王様ってなんか嫌だ。もう一度『レオ君』って呼んで欲しい。

謝らなきゃ、謝らなきゃって思ってたのに。

「名前ー」
「千冬!?どうしたの夢ノ咲まで来て…!」

学院の前で、男に飛びついてる名前を見かけた。
チフユ…?あれ?チフユって男だったんだ?すごい仲良いって聞いてて、てっきりおれは女の子だって思ってたのに。

「別に、気がついたからさ。メシでも食い行こうぜ」
「やったー!」

名前があんなに心を許してるところを初めて見た。せめて男の中では…おれが1番だと思ってたのに。


「全部、おれだけだったんだ…」

馬鹿みたいじゃないか。違う。馬鹿なんだ、おれ。
だったら全部忘れよう。名前におれがいなくても大丈夫なように、おれだって名前がいなくても大丈夫だ。
大丈夫。
大丈夫。



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