ありゃあー……誰も食べにきてくれん。

正面に見える新兎と獅子丸のブースには、長蛇の列が出来てるというのに。
俺の存在がまるで見えないかのように(というより、実際皆んなの視界には入ってなんかいないんだろう)時が進んでいく。せっかく美味しく作れたふくれ菓子を誰にも食べて貰えないのが残念で、じっと眺めていると俺以外の影が皿に映って顔を上げた。
「お1つもらってもいいかな?」
顔を上げると想像以上に至近距離で、想像以上に可愛らしい顔をした女性が現れたから驚いて後退ってしまった。
「えっと…」
「名前、近い。彼が驚いていますよ」
「ありゃ?ごめんね」
この人は確か…昨日の寮の説明の時にいた、風紀委員長の女の人だ。『風紀』と刺繍された赤と金の、少し年季の入った腕章を着けている。後ろにいるのは白華先輩だ。昨日も2人で(志部谷先輩もいたけど)いたけど、仲良いんじゃろか。改めて近くで見ると2人とも綺麗な顔をしているから、とてもお似合いに見えた。
「ね!それで、その、茶色くでふわふわしたやつ?いただいてもいいかな?」
「あ、あいがともさげもした」
「うん?」
「あ…すいません。ありがとうございます」
思い返せば同じ年頃の女の人に、ここまで近づかれたのは生まれて初めてかもしれない。動揺して方言が出てしまった。聞きなれない言葉に、風紀委員長さんはハテナマークを頭に並べていた。恥ずかしい…。田舎者だと、思われてしまっただろうか。
「…なるほど今流行りの方言男子ってやつだね!どこから来たの?」
「鹿児島の、離島です」
「わぉ、鹿児島。遠いところから遥々ウチの学園へようこそ」
少なくとも悪い印象ではなさそうだ。というよりこの華々しい場で、風紀委員長さんだけが地味で存在感の無い俺に対してニコニコと接してくれている。
「時雨は福岡出身だっけ?方言とか話せるの?」
「話せたとしても、話さないよ」
「えぇ〜…聴きたかった」
でもこの2人を前にすると、ますます俺の存在が薄くなる気がした。俺もしっかりせんと。
「あの…これは俺の逸品、ふくれ菓子です」
ふくれ菓子を差し出すと、風紀委員会さんはキラキラと目を輝かせて受け取ってくれた。
「そうそう!ふくれ菓子っていうんだね。甘い?」
「はい。黒糖を使ってます」
「じゃあ時雨は食べれないね…」
「俺に気を使わずどうぞ」
俺は甘いものが苦手ですので、と白華先輩は申し訳なさそうに謝ってくれた。食べてもらえないのは残念だけど、苦手なら仕方ない。
風紀委員長さんはふくれ菓子を手に取ると、豪快にかぶりついていた。それまで都会のキラキラとしたお姉さんの印象だったから、妹の麻里のような食べ方に少し親近感が沸いてしまった。
「うん、美味しい美味しい」
もぐもぐと咀嚼した後、満面の笑みでそう言ってくれた。誰にも見向いてもらえなかったけど、この人だけにでもそう言って貰えて、ちょっと救われた気がする。
「風紀委員長さんは…」
「私、苗字名前だよ。名前って読んでくれていいからね」
「え?えっと…名前先輩は、」
「律儀だなぁ」
ほぼ初対面の、それも先輩を名前で呼び捨て出来る程社交的な性格では無い。
「名前、あんまり望月君を困らせないように」
「ちぇ」
でもお互い名前で呼び合っている白華先輩と名前先輩が、少し羨ましく見えた。
「俺は…」

「あ〜!」
せめて俺の名前だけでも伝えようとすると、少し離れたところから気の抜けた声が割って入って来た。
「名前ちゃんだ〜!しぐれちゃんもやっほ〜」
「あ〜〜!湊だ〜!…と、花房」
柳先輩と、もう1人綺麗な顔をした先輩が2人に手を振っていた。全員が全員、少女漫画の登場人物の様に華やかな人達で、俺は思わず口をつぐんでしまった。
「名前ちゃんもこっちきて一緒にたべよ〜」
あ…先輩が行ってしまう。
自己紹介も出来なかったな、と少し寂しい気持ちになっていると、名前先輩は俺の気持ちを察してか振り向いてくれた。

「またね、悠馬」

俺の名前知っとったのか。
わっぜか。

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