絵に描いたような転落人生だった。



大企業のCEOの祖父、音楽家の祖母、実業家の父、大女優の母を持ってして産まれた私は、当然のように東雲学園特進クラスの推薦をもらい、その門をくぐった。
高校生活はとても楽しかった。友達にも、先輩にも、後輩にも恵まれた、幸せな3年間。人並みに、恋もした。

「…勘違いをさせてしまっていたのなら謝ります。君をそういう目で見た事はありません」

その恋が実る事は無かったけど。

卒業式の後、時雨に会えるのもこれで最後になるかもしれないと考えたら、伝えずにはいられなかった。時雨の本心はなかなか掴めなかったけど、時たまとても優しい視線を感じたから…もしかしたら、なんて。もしかしなかった。

ここから私の人生は転落の一途を辿って行く事になる。
祖母の急逝。直後に祖父と父の不正が発覚し、逮捕。そのせいで母はストレスから心を患い、今は入院している。残された私にのし掛かって来たのは、多額の借金と、世間からのバッシング。私は何も悪い事をしていないのに、人より恵まれた人生を歩んでいたはずが、ある日突然後ろ指を指される毎日を過ごす事になってしまったのだ。
そんなの、耐えられる訳が無かった。

紫音が心配して何度も連絡をしてくれた。紫音だけじゃない。真也君も、花房も、湊も、幽も、あの浅霧や千鶴だって、私の事を心配してくれていた。後輩達や、仁先輩、一生先輩、あのくまりん会長も、『何か力になれる事はないか』と声をかけてくれた。
気持ちは嬉しかったけど、華々しい人生を歩む事が確約されている彼等を頼る事なんて出来なかった。
…時雨とは卒業してから一度も連絡をとっていないし、今回も音沙汰なかった。
このままじゃ生きていくんじゃ余りにも私が可哀想だから、哀れだから。
馬鹿な事をするけど、赦して欲しい。最後の最後くらい、私は時雨の視界に入りたかったの。

闇に紛れて忍び込んだ、懐かしい東雲学園の屋上。お気に入りのワンピースを着て、綺麗にお化粧して、髪の毛も整えた。例えこれからグシャグシャになってしまうとしても、最後くらい綺麗で在りたいと思ってしまうのは、女の性なのだろうか。自殺する人がわざわざ靴を脱ぐのは何故だろう、と疑問に思ったことがある。しかしいざ自分がそうしようとすると、自然とパンプスを脱いで整えて置いていたから、こんな時なのに少し笑ってしまった。

私は、これから死ぬ。

こんな人生に耐えられるほど強くなかった。こんな事なら、時雨に振られてしまったあの日に死んでおけばよかった。
もう私なんて眼中にないであろう時雨の耳にも、流石にここで死ねば私の死は耳に入るだろう。ましてや今日は、時雨の誕生日だ。
「重い女だなぁ…」
時雨は何も悪くない。ただ今の私は、幸福だったあの頃の記憶に縋ることしか出来なくなってしまった。
こんな私をどうか、どうか、赦して欲しい。

「お誕生日おめでとう」

叶うのなら、直接お祝いしたかった。時雨の隣で人生を歩みたかった。叶わない泡沫の夢だった。

パパ、ママ、ごめんなさい。
みんなも、心配してくれてありがとう。

深呼吸をして、身体の重心を夜空の方へと向けた。









「随分な誕生日プレゼントだ」
はずだったのに。
大好きな声が耳をくすぐって、あと少しのところで踏みとどまってしまった。
「…久しぶり、名前」
「し、ぐれ」
月夜に照らされた、相変わらず綺麗な顔をしている時雨がそこにいた。
あの頃より少し大人びているし、仕立ての良いスーツを身に纏っていて、遠いところに行ってしまったのだと実感した。
「嘘」
「俺の方がそう言いたいくらいだよ」
「夢、みたい…夢かな?」
また時雨に会えるなんて。こんな私を哀れんだ神様が、最後に与えてくれたプレゼントなのだろうか。
優しい笑みは、少し闇を感じさせつつもあの頃のままだ。
「名前、こっちにおいで」
しかしあの頃にはなかった威圧感のようなものが、今の時雨からは強く感じた。
「それは出来ないよ」
「何故?」
そんなの、見て分かって欲しい。
軽い気持ちでこうしようとした訳じゃない。時雨に会えたとしても、それは変わらない。
「…今、名前を苦しめているものは何?」
それは、このどうにもならないこの現実だ。でも確かに、目の前で逝くのなら、せめて理由くらいキチンと話しておいた方が時雨にとっても良い事なのかもしれない。
「まず、借金…」
もう私の家族には返せない、賠償金や罰金の数々。とてもじゃないけど、被害に会われた方には申し訳ないけど、全てを失った私たち家族には払えない。
それを考えると1番、生きていることに罪悪感を抱いてしまう。
「それは俺が払いましょう」
「…は、?」
時雨から返ってきたのは、想像もしなかった言葉。決して少額ではない借金を、当たり前のように返すと、涼しい顔をして時雨は言った。
「これで1つ解決しましたね、次は?」
「ちょ、ちょっと待って時雨…」
「名前に対する世間的なバッシング?」
高校の時の時雨は、どちらかと言えば聞き上手だった。今考えれば、上手く会話を引き出されていたのかもしれない。
「それは残念ながら諦めて欲しい。大丈夫。マフィアである俺の隣にいれば、そんなのは些細な事に感じるようになる」
こんなにも強引に会話を進める時雨を私は知らない。
「お母様の入院費も俺が払うよ。お父様お祖父様には、キチンと罪を償ってもらうことになるけど、それは当然の事だ」
「時雨…?」
「心配してくれている東雲のみんなも、これできっと安心してくれるよ」
時雨が近づいてきて、私の足元にひざまづいた。傍らに置いたパンプスを手に取り、履くように促してくる。
「そういう目で見た事無い、なんて嘘だ。ずっと名前が好きだった。今だって。俺の隣にいたら幸せになれないと思って、嘘をついた。でも自ら命を絶ってしまうくらいなら、側に居て欲しい」
そのまま時雨の唇が私の足に触れて、びっくりして悲鳴を上げそうになってしまった。嫌なわけでは無い。けれど無性に恥ずかして身を捩れば、つい自分が死の淵にいたのを忘れて何もない後ろに重心をかけてしまった。自分が立っているのがどこなのか忘れてしまうくらい、時雨から放たれた言葉の連続は衝撃的だったのだ。
あ、死ぬ。と思ったし、死にたくないと思った。でも自殺なんて考えた私の自業自得なのだろうと、最後の最後にこんなに絶望して死ぬのは、罰なのだろうと。
そんな虚無感は一瞬で、けれどとても永くも感じた。痛みを感じるよりも早く、身体に温かい圧迫感を感じて、それが時雨だと気がつくのに少し時間がかかった。私を抱きとめて自分の方へと倒れ込んだ時雨のおかげで、命を救われたのだ。
放り出されたパンプスだけが下に落ちた音がして、時雨が居なかったら自分もああなっていたのかと想像したらゾッとした。
「一度死んだんだし、これで本当に怖いものはありませんね」
目を細めて、くすぐったそうに、眩しそうに笑う時雨の笑顔が大好きだった。加えて今の時雨は、ずっと欲しかったおもちゃを手に入れた子供のように無邪気に笑っていた。それを見ていたら、自然と涙が溢れ出してきた。
「…時雨の隣にいていいの?」
「当たり前じゃないか」
その言葉が合図かのように、唇が重なった。何でも器用にこなしていた時雨なのに、キスは少しぎこちなくてドキドキした。

「…名前は神様が今日の為に用意してくれた俺への誕生日プレゼントだ、なんて言ったら君は怒る?」

そんなの、私でよければいくらでも。

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