三ツ谷さんは私が勤めるCOSMIC PRODUCTION御用達のデザイナーである。彼と直接やり取りをしているEdenの七種君が多忙なこともあり、一次応対をしているうちに雑談をするまでの仲になった。

「苗字さんって彼氏とかいる?」
「…募集してないです」
「は…?いや違くて!金曜だし彼氏いないんだったらこの後2人で飲みにいかね?って話」

三ツ谷さんの慌てぶりに笑ってしまった。冗談である。笑った私を見て揶揄われた事に気がついた三ツ谷さんさんは、ポリポリと右後頭部を掻いていた。

「あんまり飲めませんが」
「おー。苗字さんそんな感じ」

ここでガンガン飲もうぜ!みたいに言われたらお断りするんだけど、無理せずと言ってもらえたのでお誘いに乗ることにした。




「七種君についてなんだけどさ…」
「本題はそれですか」

三ツ谷さんが連れて来てくれたのは半個室タイプの居酒屋だった。席について乾杯して、雑談も程々に始まった本題はそれだった。七種茨君。大人気ユニットEdenのアイドル兼プロデューサーなのだけど、いかんせん癖が強い。私も彼のことが得意か不得意かで聞かれれば、不得意な部類に入る。

「苗字さんパワハラとかされてない?大丈夫?」
「そういう露骨なのしないタイプの人ですよ。気に食わない事があると舌打ちみたいなの聞こえて来るけど」
「舌打ちしてるよな!?」
「聞こえてますよ〜って笑いかけると黙りますよ」
「メンタル強っ」

三ツ谷さんもメンタル強いタイプに見えたけど、七種君苦手なんだ。三ツ谷さんからすればお客様だし、強く出れないところあるのかな。

「苦手なんだよなぁ…でもEdenの衣装はやり甲斐あるんだよ……」
「三ツ谷さんの製作した衣装は評判良いですよ」
「うわ〜、俄然やる気が湧いてしまう…」

お酒の入った三ツ谷さんはいつもより3割り増しお喋りで、よっぽど七種君の話を誰かに聞いて欲しかったんだろなと笑ってしまった。


「あ、やっぱり三ツ谷」
「…げっ!?」

ビールを飲み干した三ツ谷さんが店員さんにお代わりを頼もうとしたタイミングだった。心許ない暖簾を捲って1人の男の子が現れた。

「マイキー!?何でいんだよ…!」
「パー達と飲むから待ってたのに仕事でトラブったとかでドタキャンされて帰るとこだったんだけど、三ツ谷のデレデレしてる声聞こえたから探してたら居た」
「デレデレしてねぇよ…」

黒髪センター分けの、整った顔をした男の子だった。まだ学生かな…?三ツ谷さんの親戚とかだろうか。

「こんばんは」
「こ、こんばんは…」

三ツ谷さんにマイキーと呼ばれていた男の子は、私と目が合うと愛想の良い笑顔とともに感じ良く挨拶をしてくれた。

「何ちゃん?」
「えっと…?」
「苗字さん!」

何のことだろうと返事が遅れた私に代わって三ツ谷さんが答えてくれた。名前を聞かれていたようだ。

「苗字何ちゃん?」
「名前です…えっと、マイキー君で良いんですか?」
「佐野万次郎。万次郎でいいよ名前ちゃん」

おお。なんかグイグイ来るな…
可愛げがあるから何となく許してしまうけど、これが普通の同年代の男性だったら結構引いてたと思う。

「オマエなんでそんな馴れ馴れしいんだよ!」
「三ツ谷は名前ちゃんのこと口説いてんの?」
「口説いてねぇよ!」
「だよな。酒飲んでるし」

そう言うと万次郎君は当たり前のように私の隣に座った。一緒に飲むにしても、普通は知り合いの隣に座るものだと思っていたから少し驚いた。

「何で苗字さんの隣座るんだよ!てか座るな…!帰れ!」
「三ツ谷は女の子口説く時、自分は酒飲まないんだよ。たたなくなるから」
「え?」
「マイキーっ…!」

たたなくなる、の意味を一瞬考えて…意味が分かってドン引きした。いきなりそういうネタをブッ込んでくる神経に。

「オレは飲まないよ」
「最低…」

歳下だから、とか、綺麗な顔してるから、で許されるラインを一気に超えたセクハラ発言をされてしまった。私の呟きにマイキー君は焦った様子を見せて「今日バイクで来たから!」と言い訳していたが、時すでに遅し。

「え、ヤダ。引かないで?」
「引いてます…歳下だからって何でも許されると思わないで下さいね」
「苗字さんそいつ歳上だよ…」
「嘘っ!?」

歳上…?下手したら未成年かどうかも怪しいと思ってたのに!?

「オレ三ツ谷と同い年」
「もう本当最低」

ドヤ顔で言われた。三ツ谷さんと同い年という事は、私の1つ歳上という事で、三ツ谷さんが落ち着いてる分、余計にマイキー君が幼く見えた。

「待って待って!どうしたら名誉挽回出来る?」
「うーん…」

やっぱり歳下の男の子にしか見えないから、甘えられると許してしまいそうになる。歳上の男性なんだけど。

「…でもマイキーがそこまでグイグイ行くのも珍しいな」
「そうなんです?」
「合コンとか誘ってもほぼ来ないし」
「三ツ谷さんはそんなに合コン行ってるんですか?」
「待って」

すかさずマイキー君が「三ツ谷めちゃくちゃ合コン行ってるよ!」と、最低の矛先を三ツ谷さんに変えようとしていた。別に三ツ谷さんが例え週5で合コン行ってようがどうでも良いのだけど、ちょっと意外だった。

「名前ちゃんは合コンとか行く?」
「彼氏募集してないんで」
「あ、それはマジなんだ」

冗談かと思ってた、と三ツ谷さんは零していた。彼氏募集してないのは本当だ。気になる人が出来て、両想いだったら付き合うだろうけど、自分から進んでそういう人を探すモチベーションは今のところ無い。

「どんな男が好き?」

マイキー君がワクワクしながら私の顔を覗き込んで来た。センター分けの髪型と猫のような目を見て、それ以外は全然似てない元カレの面影と重なりかけた。
…近いから少し距離を取る。

「メンタル強い人かな」
「オレメンタル強いよ」
「オマエは図々しいんだよ…!」

私もそう思う。マイキー君はメンタル強いというより、図々しいというか図太いというか。

「えー?じゃあ嫌いなタイプは?」

ぶっちゃけ好きなタイプとか特に無い。ただ元カレが繊細な人で色々疲れた過去があるので、便宜上そう答えてるだけだ。
でも嫌いなタイプは昔から明確に決まっていた。

「【俺も昔は悪かった〜】とか言ってる人」

不良とかヤンキーが嫌いだった。流石にこの歳でそんな人はほぼいないから、過去形も含めてそう言っている。

「…不良が嫌い?」
「好きな人いますかね?」
「めっちゃ嫌いじゃん!」

リアクションから察するに、マイキー君はそこそこヤンチャしてた方なんだろうな。ちょっとくらいなら、まぁ…可愛いものかもしれないけどね。人に迷惑かけるレベルの不良とかヤンキーが大嫌いだった。

「襲われたことあるんで。暴走族に」
「は…まじ!?」
「あー…なるほど」

これを言うと大体の人が“まずい事を聞いてしまった”と引き下がる。でも三ツ谷さんはちょっと怒った感じだし、マイキー君は冷静に納得していた。

「女に手を出すとかクズだろ。そんなのヤンキーじゃねぇよ」

三ツ谷さんの声は少しドスが効いていて、あれ?もしかして三ツ谷さんも結構ヤンチャしてた方だった?と疑惑が上がってきた。同じくヤンチャしてた疑惑のマイキー君と長い付き合いなら、あり得なくはないのか。

「なんかその暴走族と対抗してた暴走族の…総長っていうのかな?その人が私の事を好きとかどうとかで。私、暴走族に知り合いなんていないから絶対に人違いなのに、囲まれて乱暴されそうになって…」

今でこそ淡々と話してはいるけど、当時はすごく怖かった。

「助けてくれたのも、暴走族の男の子だったんですけどね」

すんでのところで助けてもらえたから、幸い肉体的にも精神的にも後遺症は残らず普通に生活出来ている。

「あんまりその時のこと覚えてないんですけど…記憶違いじゃなきゃ、小さいのにすごい強い男の子で、1人でその場に居た人達を全員倒してたような気がして…」

その後すぐに警察が来て、両親も駆けつけてくれて、大事に至らずに済んだのだ。

「え………えっ!?」
「………」
「どうかしました?」
「いや」

それは一体どういう反応なのだろうか。

「そ、その後その助けてくれた奴とは話した?」
「話してないです。謝りには来てくれてたみたいですけど、親がもう不良とは会わせたくないって。結局その後すぐ引っ越ししたのでそれっきりです」
「…そっか」

三ツ谷さんの情緒がどこかおかしい。マイキー君も、さっきまではあんなにちゃらんぽらんだったのに、今は神妙な面持ちで黙り込んでしまっている。マイキー君に関してはキチンとすべき時は出来るタイプなのだと思いたい。

「…男がトラウマになったりしなかった?」

控えめにマイキー君が口を開いた。本気で気まずそうにしている彼を見て、結果的に何も無かったとは言え、軽はずみにする話じゃなかったなと少し反省した。

「大丈夫でしたよ。トラウマになってたらこんな風に男性と飲みに来てないです」
「よかった…」

心底安心した様子のマイキー君に、それこそ思ったよりも誠実な人なのかもしれないと思った。仕方ない。さっきの最低発言は取り消してあげよう。

「オレと三ツ谷、昔は結構ヤンチャしてたんだけど嫌い?」
「…度合いによりますね」

嫌いです、と言えたら良かったのだけど、三ツ谷さんとは今後も付き合いがあるだろうし、子猫のような顔をして擦り寄って来たマイキー君を突き放せるほど冷淡な人間でも無かった。

「三ツ谷さん、七種君には言わないでおいてあげますね」
「…今度差し入れにケーキ持って行きます」

やった。
七種君もある意味ヤンチャしていたらしいけど、それは黙っておこう。そこら辺私もよく分かって無いし。

「オレちょっとトイレ」
「どうぞどうぞ」

一区切りついたところで、ビールを沢山飲んでいた三ツ谷さんが席を立ち上がった。
どうぞと言ったものの、いきなりマイキー君と2人きりになってしまった。

「………」
「………」
「…三ツ谷がいない間に2人でどっか行っちゃう?」
「まだそのセクハラごっこ続いてたんですか!?」

手を握られてギョッとした。やっぱりこの人ロクでもないのかも。

「セクハラって厳しくね?」
「気をつけた方がいいですよ。今は相手がセクハラだと思ったらセクハラになる時代なんで」
「ちぇー」

マイキー君がおじさんだったら訴えてた、と言ったら大袈裟だけど。
マイキー君は私の何をそんなに気に入っているのだろう。女の子大好きなのかと思ったけど、さっき三ツ谷さんは『珍しい』って言ってたし。

「…何とかして連絡先を交換したくて焦ってる」
「はぁ?」
「だってここで解散したらもう次ねぇじゃん!」

一目惚れとかそういうのなんだろうか。私に好意的なのは隠す気が無い様だ。

「LINE交換しよ?」
「おっ、ストレートに来ましたね」
「はーやーくー!」
「スマホ持ってないんで」
「持ってんじゃん…!」

持っていても交換しませんが。申し訳ないけど、私にその気が無いのに交換する方が失礼だと思うから。

「じゃあ分かった。キスしていい?」
「キっ…良い訳ないじゃないですか!」
「したい…」

この人本当に歳上…?中学生みたいなんだけど。あの大人しかった時は一体何だったの。

「マイキー!」
「うわっ、三ツ谷帰って来た…!」

壁際まで追い詰められてたところで三ツ谷さんが戻って来てくれた。
マイキー君、結構力が強くて危なかった。

「苗字さんほんとゴメン…!」
「あはは…」

その後何度か解散しようという流れになったのにマイキー君がまだ居る!と席を退かないものだから、私も物理的に帰れず。なんやかんやお喋り上手なマイキー君に引っ張られるがまま、気がついたら終電が終わっていた。

なんて事してくれたの。



「名前はオレのバイクで送ってあげるよ」
「させねぇよ…!」

遅くなったから、迷惑かけたから、と飲み代は2人が払ってくれた。いつもならそういった申し出は断っているけど、今日に関してはそのくらいは出してもらわないと割に合わなかったので二つ返事で甘えた。結論からいうとあの後マイキー君にほっぺにキスされたのだ。信じられない。

「苗字さん家どこ?タクシー代出すよ」
「三ツ谷さんにそこまで甘える訳には…」

さっき奢ってもらっちゃったし、三ツ谷さんも被害者寄りの立場なのでそこまでは甘えられない。幸いそこまで遠くないので、自分でタクシー拾って帰るつもりでいた。

「オレが!バイクで!送る!」
「マイキーのことは気にしなくていいから」
「タクシー代で数万払うの馬鹿らしいじゃん乗ってけよ」
「まぁ…」

一理あるんだけど。最早マイキー君に対して遠慮は無かったし、お願いしてもいいのだけど、彼に任せて大丈夫なのかという不安の方が大きい。

「私バイク乗ったことないし」
「そうなの?ちょうどいいじゃん!」
「何もちょうど良くねぇよ」

しかし困ったことに、三ツ谷さんは私が自腹で帰ることを許してくれそうにないのだ。さっきからお札3枚をずっと差し出して来ている。そんなには掛からないから安心して欲しい。

「ほら?オレの後ろに乗らないと三ツ谷が気を使って金出すから…」
「誰のせいでこうなったと思ってるんだよ!」

マイキー君のせいなんだよねぇ。
でも憎めないのが悔しい。マイキー君じゃなかったら本気で引いて帰ってたタイミングが何回もあった。彼だったからまだギリギリ許せた不思議。

「…じゃあマイキー君のバイクに乗せてもらいます」
「げぇ!?」
「やったぁ!」

ガッツポーズしてるマイキー君に不安しかないけど、これ以上三ツ谷さんのお世話になる訳にもいかない。お金かからないし、これが1番良いのだと思うことにした。

「絶対ちゃんと送り届けろよ!絶対変なことすんなよ…!」
「しねぇよ」
「不安しかないんだよ」

三ツ谷さんは最後まで渋っていたけど、最後は友人を信じる事にしたようだ。意気揚々と「何もしない」と言い切るマイキー君を逆に信じられないのは何か分かる。

「苗字さん、家着いたら連絡して」
「分かりました」
「三ツ谷はさっさと寝ちまえよ」

いい加減やんややんやと言われるのが嫌になって来たのか、マイキー君はむっすりしながら私にヘルメットを渡して来た。

「苗字さん今日はありがとな。またよろしくお願いします」
「こちらこそ」
「…マイキーはマジで後で話したいこと沢山ある」
「オレも」

もうまた会う約束してる。マイキー君に対して終始ガミガミしていた三ツ谷さんだけど、後腐れはなさそうで良かった。10年以上の付き合いって言ってたもんね。

「お疲れ様でした」
「じゃあな〜」
「お疲れ様」

タクシーに乗った三ツ谷さんを見送った後、私はマイキー君に言われるがままバイクの後ろに跨った。

「そうだ。お金出したがる三ツ谷さんももういないんだし、だったらタクシーで帰るっていう手もある」
「却下。ちゃんと家に着くか心配だからバイクでついて行くけどいいの?」
「…やめておきます」

良い案だと思ったのだけど。大人しくしておこう。タクシーの運転手さんも何事かと思うだろうし。

「えっと、バイクってこのバーを掴んでればいいんだっけ?」

後ろに付いてるバーを握れば、マイキー君は不満げに私を見てきた。

「オレの背中にしがみついて」
「それ逆に危ないんじゃないの?」

テレビで見た知識なのだけど。マイキー君は知ってたのかと頬を膨らませていた。

「…片手でバー握って、もう片手でオレの腰掴んで。あと膝でオレの腰挟んで。それ1番安定するから」
「えっと…?こう?」
「んッ!?…うん」

言われた通りにすれば、腰に触れた途端マイキー君の身体が跳ね上がっていた。
腰弱いのかな?大丈夫…?

「あんま飛ばさないけど、怖かったら背中叩いて」
「了解です!よろしくお願いします」

散々ふざけていたマイキー君だけど、一応命を預かるかたちになっているのもあってか、バイクを発進させてからは真面目になってくれたようだ。発進時に私の身体が緊張したのが伝わったのか、10メートルほど進んでからすぐ止まって「大丈夫?」と聞いてくれた。とりあえずは大丈夫そうだ。むしろ結構気持ちいい。バブー、という特徴的なエンジン音が心地良く聞こえた。

「あれだったらどっか泊まってってもいいよ」

信号待ちのタイミングで、マイキー君は振り向いてまたふざけ始めた。あれだったらって、どれなのか。

「…ここら辺ホテル街だもんね」
「エッ!ソウナノ!?そういうの全然分からないんだけど!」

ホテルに詳しいという印象を持たれるのを是が非でも回避したいようだったけど、ちょっと遅いよ。とは言ってもここら辺は見るからにそうだから、これだけじゃ何とも言えないんだけど。

「マイキー君だからそういうのギリギリ許してるけどさ」
「マイキー君で良かった〜!」
「あのねぇ…」

飲み会の途中から、もうマイキー君相手には敬語必要無いなって思ってタメ口になった。見た目も中身も歳下にしか見えないっていうのと、こんなしょうもない相手に敬語要らないなっていうのとで。

「あ」

ポツ、と冷たい何かが身体に当たった。始めは気のせいかと思ったけど、ポツポツと続け様に水滴が身体に落ちてきた。

「すげぇ!天までオレの味方し始めた…!」
「嘘でしょ…」

雨である。しかも多分結構降るやつ。夏は晴れててもゲリラ豪雨があるから嫌なんだよね。

「それは冗談として」
「どこまで本気か分からないんだよねマイキー君」

マイキー君は屋根のあるところへバイクを停めてくれた。バイクは気持ちいいけど、雨が降っちゃうと不便なんだなぁ…

「ごめん…雨降るなんて思わなかったからさ」
「急にしおらしくなったね」
「普通にカッコ悪〜って自分でも思って」
「カッコ悪いとは思わないけど」

困ったねって。ポツポツポツポツと降り始めた雨を2人で見上げた。

「名前傘持ってる?」
「持ってるよ」
「じゃあタクシー呼ぶからそれで帰って。金出すから」
「マイキー君は?」
「オレ別に雨に濡れてもバイクで帰れるから」
「えー…」

それもちょっと…かなり申し訳ない。散々しょうもない一面見せて来たのに、急にマトモになるのやめて欲しい。タクシー代は受け取れないのもそうだし、雨の中バイクで帰るマイキー君を見送るのも嫌だった。

「………」

スマホで呼び出せるタクシーを調べてるマイキー君を横目に、ネオンの看板が目に入った。ファッションホテル、つまりはラブホの看板である。
グレードの高い部屋にさえ入らなきゃ、タクシー代よりは安く上がるはずだ。

「泊まっていく?」
「…ん?」
「そこ」

そこ、と言われた方を見て、マイキー君は一瞬固まっていた。

「えっ、いいの!?」
「泊まるだけだからね」

余りにも喜んでるから不安になった。雨宿りに泊まるだけだよ。今日はもうさっさとシャワー浴びて、朝に帰った方がお互い楽そうだし。

「エッチはしないの!?」
「しないよ!」
「えー…」

声が大きいし。逆に何で良いと思ったの。飲んでる時からオーケーな素振り一切見せてないつもりだったんだけど。

「しゃあないか。タクシーで帰らすのも心配だったし、一緒に泊まってくれるなら越した事ない」
「別に意味で心配になって来たんだけど」

自分の貞操が。
マイキー君はセクハラ発言こそして来るけど、無理矢理乱暴してくるタイプでは無いと信じてるからね。私が流されなきゃ大丈夫。大丈夫。

「折り畳み持ってるから歩いていこ」
「ヘーキ。どうせ濡れて帰るつもりだったから名前だけ使って」
「いやいや」
「じゃあオレ先にシャワー浴びさせてもらうから」
「それじゃあ」

バイク込みの相合傘に無理は感じていたので、お言葉に甘える事にした。幸いにも豪雨ってほどでは無いので、小走りで向かえばマイキー君も多少濡れた程度で済んだ。
フロントに入って部屋で迷うマイキー君より先に、ベッドが広くてそこそこの部屋を選択した。如何わしい拘束器具があるらしい部屋を見つめていたので焦った。本人曰く「見てただけ!」らしいけど。もしするにしても、最初からハード過ぎるだろうと。『もし』も何も、何もしない。

「マイキー君、シャワー浴びちゃって。別にお湯汲んでもいいけど」
「お湯汲んだら一緒に入る?」
「入らないよ」

部屋に入ってすぐマイキー君をお風呂へ押し込んだ。変な空気になる前にシャワーを済ませて寝なければ。
私がいるのも気にせず上を脱ぎ始めたマイキー君に少しビックリしたけど、下じゃなかったら今回もギリギリ許した。
マイキー君、ゆるめな服を着てたから華奢に見えてたんだけど、割と腹筋とかバキバキだった。そっちのがビックリ。

「えっち〜!最後まで見ていく?」
「見ていかないけど、ここまで来たらもういいや。ズボンも脱いじゃってよ。乾燥機の前に置いておくから」
「…ちょっとたってるから今ズボン脱げない」
「最低」

正直に宣言して配慮したからギリギリ許して…いいのかな。そろそろアウトなのでは?脱いだら服は外投げて、と伝えて脱衣場から出て行けば「よろしく〜」という声とともにズボンが投げ出されて来た。それを拾って乾燥機の前に吊るしておく。
10分程でシャワーから出て来たマイキー君に「名前は気が利くね」と言われたけど、手持ち無沙汰というか、何かしてなきゃ寝ちゃいそうだから、その一環だった。
名前の服もオレが乾かしておく!と意気込み始めたマイキー君に、私の服は濡れてないからと丁重にお断りして、私もシャワーを浴びた。
最近のラブホはアメニティもそこそこいいものを使っているのだと感心する。高校時代、一度だけ背伸びをして入ったラブホはもっと地味というか、あんまり綺麗じゃなかった。それでもあの時は年齢を偽って入ったドキドキからか、それなりにテンションが上がっていた記憶だけある。

「はぁ…」

昔のことは考えるのやめよ。
良い思い出よりも、悪い思い出ばっかり思い出しちゃうんだから。




「おかえり〜」

髪を乾かし終えて脱衣場から出れば、マイキー君はベッドでバンザイして迎えてくれた。何でバンザイしているのかなと思ったら、ハグ待ちだったらしい。何故そうなるの。

「いいからもう寝よう?」
「…マジで何もしちゃダメな感じ?」
「ダメだよ」

居酒屋で距離が近かったマイキー君だけど、ここではそれなりに距離を取ってくれていた。膝を抱えて足をパタパタとさせている。

「同じベッドで寝たら絶対我慢出来ないんだけど」
「始まった…」
「いやだって名前もそう思うだろ?逆にオレの何を信用してんの?」
「それ自分で言う?」

ギリギリの良心を信じてる。三ツ谷さんの友達だし。

「そもそも本気で嫌なら名前の性格上ラブホなんて入らないよなとか思ってる」
「うーん…」

入って流されたら自業自得だとは思って入った。マイキー君とセックス出来るかと聞かれれば、嫌では無いけど…というのが回答になる。

「嫌とかそういうの以前にご無沙汰過ぎてピンと来ないんだよね」
「ご無沙汰?何が?」
「だから…セックスとか、そういうの」

高校の時にして、それっきりだ。いつか何かあるだろうと思っているうちに、もう何年も経ってしまった。

「そうなの?」

これ言ったらマイキー君も少しは怯むかなって思ったり。本当のことではあるんだけど。

「…前の男引きずってるとか?」
「みんなそれ言うの…!」

友達にも言われる。名前まだ新しい彼氏出来ないの?引きずってるの?って。全く何も思わなくなったかと聞かれればそうではないけど、未練はもう無い。ただ新しく好きな人が出来ないだけだし、彼氏を作りたいというモチベーションも無いだけ。

「じゃあ…オレを利用してそうやって言わせるの止めようよ」
「えぇ…」
「名前の男がそいつだけって思われてんの、すげぇヤダ」

すごい発想だな。そしてマイキー君は私の予想以上に私の事を好いと思っているようで、今日のやり取りを思い返しても理由が思い浮かばない。やっぱり顔がタイプだったのだろうか。

「ね、ダメ…?」

これでも警戒心は強い方だから、この先も付き合ってない男の人とラブホに来るなんて早々無い、はず。
友達にずっと「前の男引きずって」と笑われ続けるのと、ここでマイキー君とセックスして、自分の過去と決別するのと、どっちが良いかと考えると後者もありだなと思ってしまった。

「付き合ってとは言わないから友達になってよ」
「セフレ?」
「…エッチは今日だけでいいから」

そんな都合良くいくものなんだろうか。
マイキー君にゆっくり抱きしめられた。多分、嫌なら逃げられるように、様子を伺うように、ゆっくりゆっくり抱きしめられた。
嫌では無いと思った。私がそう思える相手は貴重だ。

「ワンナイトとか、うわぁって感じなんだけど」
「うん」
「マイキー君しょうもないから、私もしょうもない一面見せてもいいかなとか思った」
「見せて」

目が合って「キスも久しぶり?」と聞かれた。軽く頷けば、優しくキスされた。何度かキスをして、今日という日を思い返す。

「…あ、三ツ谷さんに連絡するの忘れてた」
「うわー…それだけ連絡しておいて。今日のことは三ツ谷に言わないから」
「うん。そうして」

マイキー君に押し倒されたまま、三ツ谷さんに『無事帰宅しました』と一報入れた。既読がつくか確認する前に、マイキー君からスマホを取り上げられてベッドに沈んだ。

何が『無事帰宅しました』なんだろ。
本当にしょうもない。








「寝坊した…!」

予定では5時に起きて、6時には一旦帰宅して、支度して出社するつもりだった。起きたら7時半だった。私は9時出社なので、出勤1時間半前である。帰る時間はもう無い。

「むにゃ…もうちょっとゆっくりしようよ……」

隣で寝ていたマイキー君が私の腕を握ったが、余韻に浸っている余裕は無いのだ。

「ごめん今日仕事だから!」
「…………まじかよ」

休みかと思ってた、とマイキー君は寝ぼけ眼で呟いた。コズプロはシフト制なので、曜日と休みは関係無いのだ。

「ふぁ…会社まで送ってく……」
「いいよマイキー君はまだ寝てなよ」
「やだ…」
「………」

お願いしますと言うまで手を離してもらえなさそうだ。もう言い争ってる時間も無いのでお願いする事にした。昨日から流されて過ぎだよ私。

「なんかてつだう?」
「バイク乗るなら頭覚醒させておいて!」
「ん〜…」
「あ!あとパンツ買っておいてくれない?購入出来たはずだから!」

ブラジャーは連日でもギリギリ我慢出来るけどパンツは無理。とりあえず身体がベタベタなので、シャワー浴びる前にマイキー君に頼むことした。

「…エロいのしか無くね!?名前こんなん履いて出社するの!?」
「あるよ!機能性重視のやっすいのがあるはずだからそれフロントに頼んでおいて!」

…目が覚めたようで良かったよ。朝から疲れる。

急いで支度して、ヘアメイクもなんとか仕上げる事が出来た。髪はヘルメットで潰れちゃうだろうから、とりあえず出社した後にまた軽く整えればいいや。

「行ける?」
「行ける…!」

私が支度してる間にホテル代の精算はマイキー君が済ませてくれてた。半分払うつもりだったけど、今はそこでモタモタしてる時間も無いのでとりあえず貸しにしてもらった。

バブー、とバイクが音を立てて進んでいく。自分が出会ったその日にワンナイトする人種だと思ってなかったし、その後寝坊してバイクで送ってもらうことになるとも思ってなかった。ワンナイト効果か、昨日よりもマイキー君が少しカッコよく見えてしまうから困る。あんなに可愛い可愛い好き好き言われながら抱かれたら、誰しも少しくらいその気になってしまうものだと信じたい。

「…って、え?待って!手前で下ろしてくれればいいよ!」

ESビルの近場で下ろしてもらえるのかと思いきや、思ったよりも近づいていってるから焦った。背中をポンポンと叩いてアピールしたけど停まってくれない。

「急いでたみたいだから近くまでのがいいかなって」
「そう…ありがとう……」

結局ESビルのほぼ間近くで下される事となってしまった。気持ちは嬉しいのだけど、誰かに見られたらと思ってしまう。あと確信犯じゃないかと疑ってしまう。2日連続同じ服着てるだけでもやばいのに。誰も昨日の私の服なんか覚えてないと信じたい。

「仕事頑張ってね」
「…うん。送ってくれてありがとね。今度お金返すから」
「いらねぇし…って言おうと思ったけど返してもらう口実に会えるからそうしておく」
「バカ」

バカと言われてそんな嬉しそうにニコニコしてる男の人、初めてみたかも。

「いってらっしゃ〜い!」
「いってきます…!」

マイキー君はバイクに寄りかかりながら私を見送ってくれた。別れを惜しんでる暇も無いので、足早にビルへと駆け込む。時刻は8時50分。よし、行ける。本来ならこの時間にデスクにいるのがベストだけど、とりあえず入口で入館証をスキャン出来たから遅刻扱いにはならない。エレベータ待ちの列も出来ていないので、これなら18階まで小刻みに停まらなくて良さそうだ。
いつもなら後から人が来ないかよく見てから閉まるボタンを押すけど、今日は自分が乗り込んだらサッサと押そうとした。押そうとしたところで、オレンジ色が視界に入った。

「あっ」

その人と目が合って、反射的に声が出た。彼は自分が乗り込むと、サッサと閉まれと言わんばかりにダンダンと雑に閉まるボタンを叩き、自分が所属している事務所がある7階ボタンを押していた。

「おはよ」
「おはよう、ございます…」

出来れば今日会いたくない人だった。普段は同じビルを拠点していても滅多に会わないというのに、何も今日、エレベータで2人きりなんてレアなケースが起こらなくてもいいじゃないか。

「昨日と同じ服」
「へ?えっと、」
「さっきのバイクの男、彼氏?」
「…見てたんですね 」

最悪だ。1番見られたくないところを、見られたくない人に見られしまった。視線を嫌というほど感じるけど、私はそっちを見れなかった。

「背ぇ高い人が好きって言ってなかったけ?」

言った。別にそんなこだわり無かったけど、当時の彼からのアピールを断る為に、便宜上好きなタイプを捏造した記憶がある。

「…何でもない。変なこと言ってごめん」
「いえ、」
「バイクの男のことは誰にも言わないから」

チン、と音が鳴って、7階に到着した。いつもは7階くらいあっという間なのに、すごく時間が掛かったように感じた。
開くボタンを押して彼が出るのを待つ。

「………」

なかなか出て行こうとしない彼に痺れを切らしてそちらを見れば、昔と変わらないペリドット色の瞳と目が合った。

「寝惚けてミスするなよ」

私を見て優しく笑うところも、昔と変わらない。

「…月永さんも、忙しいからお疲れでしょうし気をつけて下さい」
「ん」



私は昔、Knightsの月永レオと付き合っていた。


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