1日目


いつもと変わらずに大学の講義を終えて、いつもと変わらずに少し寄り道をしながら間借りしているマンションに帰る。

そんな日常が、きっとずっと続いていくんだと漠然と思っていた。

でもそれは、簡単に敗れ去った。



いつもの帰り道、住宅街の小道を歩いていると、脇道に何かがいるのに気がついた。

季節は冬、もう8時も過ぎているから辺りはかなり暗くなっている。

その闇でも覆えなかった、輝く銀色。
小刻みに震えているそれは、妖しく光る紅を所々に纏っていた。

闇に包まれた路地を目を凝らして見れば、それは――

「‥‥男の人‥?」

腰ほどまである長髪に真っ黒なコート、髪の間からのぞく顔はどう見ても日本人ではない。

血と思われるものを付けているところや、纏う空気から表の人間ではないことは明白だった。

自分は血が苦手だし、こんな明らかに危ない他人には関わらないのが賢い対応。
でも、荒い息遣いや血の量から、彼がかなりの大怪我を負っているのがわかる。
それを放っておけるほど、あたしは賢くなかった。


声を掛けようとした瞬間、突然男が顔をあげた。

【…何、見てんだぁ?】
「!」

言い方は少し乱暴ながら、聞き覚えのある、異国語。

【あなた、イタリア人なんですね】

【!‥イタリア語が喋れるのかぁ?】

イタリア語で話しかけておきながら、喋れるかと聴くとは。
血を流しすぎて頭が回らないのかもしれない。

【えぇ、日常会話程度なら】

【‥そうかぁ】

【怪我してるのね、】

【あ゛ぁ?】


昔のあたしならこんな危ない人には絶対に話しかけられなかった。
昔を思い返して、心の中で苦笑いする。

【あたしの家にいらっしゃい、すぐそこだし。手当てしてあげる】

【‥てめぇ、何考えてやがる?どこのファミリーのもんだ】

やっぱりその筋の人間だったか。
親切心を疑われるのは甚だ心外だが、まぁ無理もないこと。
あたしが彼の立場なら、同じことをする。

【ただの一般市民よ。イタリア好きのね】



そこからは彼の説得が大変だった。
見ず知らずの人間は信用できないだの、一般人を巻き込むわけにはいかないだのと渋る彼を、半ば無理矢理家へと連れ帰った。


(ってめぇ、気絶させといて何が"半ば無理矢理"だぁ!
完全に強制的じゃねぇかぁ!!)

(うるさい。治療してやってんだからちったぁ感謝しなさいよ!)




彼と私の、奇妙な共同生活が始まった。


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