ガシャン、と一際大きな音がして、後には琵琶の音だけが残った。
アクマを倒しきったらしい。
霧が立ち込めていて、神田の姿は確認できなかった。
普通、ここまでの量のガスが出ていれば意識を失っていてもおかしくない。
それがないのは、梓のイノセンスに守られているからだろう。
近付いてよく見ると、細い糸が幾重にも重なって、繭のように私達の周りを包んでいた。
「がすがこい。だから、このままいどうします。
かんださんも、なかへはいってください。」
神田は、このガスに耐性がある。
それを知らない訳ではないだろうに、梓は最後に音がした辺りに声を掛けた。
「……俺には、アクマのウイルスは効かない。」
やはり、素気無く却下された。
「もし若覚さんがあくまだったら、わたしはいま、たたかえません。」
梓のまだ拙い英語では、意図を伝えきれなかったんだろう。
仕方ない、私が解説を入れてやるしかないな。
「もし、若覚がアクマだったら、今殆どの力をガードに使ってる梓じゃあ、太刀打ちできないでしょ。
こんだけ化けれるんならLv.2以上なのは確実だし。
手伝ってやってくれないか。」
盛大な溜息が聞こえて、神田の姿が近付いてきた。
「オイ、どうやったら入れるんだ。」
「そのまま、どうぞ。はじくのはあくまだけです。」
言葉の通り、そこに何もないかのように、あっさりと神田は繭の内部へ入って来た。
梓が、やけに足音を立てながら若覚に近付き、腕にそっと手を置く。
「若覚さん、もうだいじょうぶですよ。」
言葉は通じずとも、伝わったらしい。若覚は琵琶を弾く手を止めた。
若覚は突然の接触にも、驚いた様子はなかった。
彼女が、わざと大きな足音で近付いたからだろう。
こういう配慮が自然と出来る程、梓は気の利いた質ではない。
どこかで勉強したんだろう。
常に弱者の味方であろうとするところは、相変わらずだ。
梓は若覚を立たせると、ゆっくりと歩き始める。
「ほんどうへ、いきましょう。」
アクマの可能性が捨て切れないと言っておきながら密着する梓を、神田は忌々しそうに睨みつけていた。
本堂に着くと、騒ぎを聞きつけた住職始め、僧侶に取り囲まれた。
「な、何があったと言うのですか!」
「若覚は!?若覚は無事ですか!」
やかましい。
私は梓の腕から若覚を引っ張り出して、僧侶たちに突きつけた。
「詳しい事はこれから話します。
どうか、ご静粛に。」
梓は不満げに唇を付き出したが、とくに言及することはなかった。
言葉は分からないが、なんとなく雰囲気で察したらしい。
アクマの説明をするのは、意外と難しくなかった。
"アクマ"という言葉への先入観がないからかもしれない。
「若覚が琵琶を聞かせて宥めていたのは、そのアクマたちでした。
普通、アクマはあんな風に人に従順にはならない。
何か心当たりはありますか?」
仲間に囲まれ落ち着いたらしい若覚は、琵琶をひと撫でしてから、此方へ差し出した。
「この琵琶は、私が以前から使っている物です。ですが、先日、弦が切れてしまいまして。
お恥ずかしい話、最近では食事にも困る有様ですから、買うお金もなく。
困っていたところ、ちょうど良い弦を道端で拾ったのです。」
若覚は手際よく、一本の弦を緩めて外していった。
「これが、その弦。
心当たりと言えば、これしかありません。」
外した弦をくるくると巻いて、若覚はそれを床に置く。
「御霊を縛り輪廻を捻じ曲げる者を、放ってはおけません。
これが助けとなるのであれば、どうぞお持ちください。」
す、と押し出された物を受け取ろうとした時、手元を鋭い風が通り抜けた。
「レロロロ〜〜実験は終わりレロ!
伯爵タマの弦、返してもらうレロ〜!」
声の方を見れば、奇抜な色の傘が浮いていた。
「!伯爵のゴーレムか。」
いち早く状況を把握した神田が斬りかかるも、それはひらりひらりと躱していく。
むしろ、近くの僧侶を斬りつけそうな勢いだ。
すかさず、梓が庇うように躍り出る。
「邪魔だ、新人!」
「ごめんなさい!」
言葉では謝りつつも、動くつもりはないらしい。
神田は苛立たしそうに舌を打つ。
そんな私達を嘲笑いながら、傘はふわりと外へ飛んでいく。
「レロロ〜〜バカエクソシスト!!」
ケラケラと嗤う声が、耳に残った。
結局、あの弦は伯爵の所有物だったということで、今回の件は片付けられることとなった。
「レ……いや、伯爵のゴーレムが言ってた"実験"って、なんだと思う?」
帰りの馬車の用意を待つ梓に問いかける。
エクソシストの数は少ない。いち早く次の任務に出る為に、後始末や報告書は主に探索部隊が担う事になっていた。
だが、こういう人間の思惑が絡むような推理には梓の方が向いている。
「伯爵の持ち物を使って、伯爵以外の人間でもアクマに指示が出せるのか、じゃないかな。」
そこまでは私も考えていた。が、その実験になんの価値があるのだろうか。
「あっちにだって伯爵以外の人間がいない訳じゃない。
伯爵以外でも指示が出せるに越したことはないってことでしょう。
後は、伯爵が軽率に落し物忘れ物をしない様に、とかかな。」
あれで伯爵に人間くさいところがあるのは、一部のエクソシストと私達しか知らない事実だ。
梓はこういう時、どことも知れない虚空を鋭く睨みつける。
冷たく輝くこの目が、私は結構好きだった。
「今回は、若覚さんが超平和主義者だったから助かったようなものだね。流石はお坊さんってところかな。」
梓は、あの僧をえらく気に入ったらしい。まあ、想定の内ではある。
たぶん、根本が似ているのだ。
その若覚だが、今後は近くの別の寺に移ることになったらしい。
集落は消失し、そこにあった寺もそれでは立ち行かないということで、僧侶たちは皆、各々別の集落の寺へ行くそうだ。
若覚の琵琶は、教団が責任をもって修繕することになった。
梓の意見を取り入れつつ報告書をまとめていると、神田が現れた。
馬車の用意が済んだようだ。
「じゃあ梓、またね。」
「うん。きをつけてね。」
「そのまま返すよ。」
梓は小さく手を振ると、ぱたぱたと神田の後を追いかけた。
正直、道中がものすごく心配だ。
さっきも、神田の眉間にはこれでもかと皺が寄っていたし、神田は梓が気に食わないらしい。
なにせ、相性が超悪い。
私からすれば、似た者同士だと思うんだが。二人とも真っ直ぐで、正直者だ。
その方向性が、違いすぎるだけで。
付き添いの探索部隊には、ご愁傷様と手を合わせておこう。