Her real face
※長編のネタバレを含みます。Episode.5を読んでからをお勧めします。
人通りの少ない裏路地。普段は通ることのない道だが、前方を知った背中が歩いているのでついつい後を追ってしまった。
「やっぱり君か」
何度目かの曲がり角で頭上から降ってきた声に足が止まる。かなり距離を置いていたはずだがやはり尾行はバレていたらしい。
「あはは。こんにちは、安室さん」
「こんにちは、コナン君。尾行の練習かな?」
安室を追えばもしかして組織の人間と接触するところに遭遇できるかもしれない。淡い期待を抱いていたのは事実だ。引き攣った笑いはごまかしようがなかったが、それ以上安室は追及してこなかった。
ホッとした次の瞬間、安室の隣にあるもう1つの人影が視界に飛び込んできた。反射的に緊張が身体に走る。だが身構えたコナンに気づいた安室は「組織の人間と一緒なら君を完全に撒くよ」とあっさり言う。
首を伸ばして安室の向こう側を覗き込むと、ひょっこりと顔を出したその人物と目が合った。
「女、の人?」
コナンを見て女は安室の影から全身を現した。グレーのパンツスーツに長い黒髪。そして恐ろしく顔が整っている。
不躾なほどに凝視してくるコナンに気を悪くするどころかニコリと笑う。細めた目、絶妙に上がる口角、少し傾けた頭、笑顔のお手本そのものだ。
頬を染めるコナンに安室の眉が上がる。
「コナン君、もしかして君は……」
言いかけた安室の唇を女の人差し指が封じた。その仕草が妙に色っぽい。見てはいけないもののようで鼓動がせわしなくなっていく。
「こんな人目のないところで綺麗な女の人と何してるの?」
揶揄うつもりで安室を見上げると女の顔を至近距離で見つめている。動じないどころか楽しそうだ。
「綺麗かい?」
本人を前にしてズケズケとよく言うものだ。
呆れると同時にコナンの中に違和感が生まれる。安室は基本的に人当たりが良い。その彼が本人を前に冗談でもこんな発言をするだろうか。
「誰が見ても間違いなく美人でしょ」
「なるほど。粧(よそお)いを化けるとはよく言ったものだな。この場合は逆かな?化粧をしていない方が褒められているんだから」
「あのねぇ、化粧してないわけじゃないからね?」
憮然として女が異を唱える。その聞き覚えのある声にコナンは目を丸くした。
「ケイさん!?」
思わず裏返ってしまった叫びに女が吹き出した。
「そうよ。コナン君、全然気づいてくれないからどうしようかと思ったわ」
その口振りは確かにコナンの知る待田ケイのものだった。だが茶色の巻き髪で派手な見た目の待田ケイと、この黒髪の清楚な女性が同一人物だとはにわかには信じがたい。
だがその時、ある記憶が蘇る。
(あの子だ……)
自宅の書斎に眠っていた待田ケイ……いいや、苗字名前の幼い日の写真。小学校の校門を背に笑う黒髪の少女に面影が重なる。あの少女が成長したら、と想像してみる。答えは目の前に存在していた。
「化粧……でここまで変わるの?」
言ってしまってからもう一つ思い出したことがある。あの写真で少女の隣にいた母親はコナンのよく知る待田ケイと瓜二つだった。別人に見えても彼女のベースには少なからず母親の遺伝子がある。それを強調して他を隠す。不可能ではないだろう。
コナンの頭の中を読んだようにケイが微笑んだ。だからコナンも眉を下げるしかなかった。
「残念だなぁ。ケイさんに安室さんが浮気してるって言いつけようと思ったのに」
「あのねぇ……そもそも僕たちは付き合ってないって何度も言っているだろう?」
お決まりになっている建前を聞き流しながら、一人納得する。
安室の気安過ぎる態度もケイ相手なら当然と言えた。
最初から気になっていたのだが、2人の距離が近い。今も肩が触れている。いい歳の男女が狭い場所でもないのにこの距離感はないだろう。しかも2人とも無意識だ。
「ねぇ、コナン君はどっちの姿が好み?」
調子に乗ったケイが屈んでコナンを覗きこむ。ケイだとわかっていても見慣れない美人の顔が眼前に迫ってくるのは心臓に悪い。かと言って逃げるのもおかしい。どぎまぎしているコナンを見かねたのか、安室が助け舟を出す。
「コラ。子供を揶揄うなよ」
ケイの腕を安室が引っ張り回収する。助かった、と胸を撫で下ろしたのも束の間だ。
「そう言えば僕には聞かないのか?」
「「は?」」
コナンとケイが揃って首を傾げる。
「気にならないのか?僕の好み」
安室は腕を組み至極真面目な顔だ。気持ちを隠す気がまるでない。
付き合ってないと主張するならもう少し首尾一貫して欲しい。
自分も蘭に嘘をつき続けているのを完全に棚に上げて、コナンは心の中で嘆いたのだった。
□ □ □この後ポアロのシフトが入っている安室はコナンを探偵事務所まで送ってくれるらしい。
「ケイさんは?」
「私はこれから本庁よ。誰かの代わりに報告書出さないといけないから」
「さ、行こうか。コナン君」
涼しい顔でコナンの肩を押す。ケイの言葉の刺々しさから誰の代理であるかは明白だった。彼女が公安でフォローをしてくれているおかげで安室はポアロに来たり、小五郎の元で探偵見習いをしたり、組織で動いたりと無茶ができるのだろう。
コナンがそんなことを考えていると、RX-7のエンジン音が響いた。
急いでシートベルトを締める。ふと隣から視線を感じた。
「待田のこと、驚いたかい?」
「驚くも何も。すごい技術だね」
「だろう?僕も最初は詐欺かと思ったよ」
安室は気づいているのだろうか。彼女の話をする時に自分の声音が柔らかいものになっていることに。
窓の景色はゆっくりと流れていく。いつかの運転とは違い法定速度内。安全運転だ。
「ねぇ。安室さんはどっちが好みなの?ボク気になるなぁ!」
明るく無邪気を装う。何だかんだと2人に巻き込まれているのだ。これくらい許されるだろう。
少しでも安室が狼狽えることを期待したコナンだったが、返って来たのはニヤリとした笑顔だった。
「それは彼女が知ってるよ」
これが大人の余裕であるのなら相手は何枚も上手だ。揶揄おうと思うのが間違っている。諸手を上げて降参したコナンは大きく息を吐いた。