Dream


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Episode5. 08



「今から行く」と降谷に告げられたのが30分前。潜入捜査先の会社を出た瞬間だった。名前が猛ダッシュで帰宅したのは言うまでもない。

「ポアロのシフトもないし、公安の方も後処理が済んで落ち着いた。明日は午後から。こんなに条件が揃ってたら来るだろう?」

きっちり30分後に到着した降谷は、聞いてもいない名前の疑問に答えた。

「あと10分あったら終わったのに……」

全力を尽くして急いで帰ってきたが、全てを片付けるには及ばなかった。部屋に入るなり降谷が顔を顰めたのは見ないふりをした。

「ほら、イヤリング落ちてるぞ」

ベッドの下からイヤリングを拾い上げると投げて寄越した。さっき片付けた時に片方だけしかなくて探していたものだった。
降谷がクローゼットを開けることに躊躇いがあるはずもない。勝手に開けてベッドの上の服を手際よくしまっていく。名前ももはや何も言わない。こうして部屋を一緒に片づけることは2人の間で普通のことになっていた。

「名前」
「……何?」

呼ぶ声色が妙に真剣で、名前は返事が一呼吸遅れた。振り返ると降谷はこちらを向いておらず、クローゼットの閉じられた扉を見つめていた。

「そろそろ、やめてもいいんじゃないか?」

何のことかと問う声は出なかったが、降谷は確実に拾って続けた。

「君の悪い癖のことだよ。部屋を散らかす癖」

ビクリと名前の肩が揺れた。
この部屋に降谷が訪れるようになって6年あまり。何度も部屋を片付けてくれたが、一度もそんな指摘をしたことはなかった。だから降谷は険しい顔をしているのだと思った。しかしゆっくりとこちらを向き直った降谷は、目を細めて慈しみすら覚える表情で名前を見つめた。

「前にも、降谷は『癖』って言ってたよね」
「名前にとって治し難い習性なら『癖』だろう?」

仕事が忙しくて部屋の片づけまで手が回らないこともあるだろう。名前はこんな仕事だ。シャワーと着替えだけを済ませて部屋を出ることもある。やんわりと言えば、そうではないのだと降谷は首を振った。

「忙しいから散らかることはあるかもしれない。でも警備企画課の君のデスクはいつも綺麗だ。多忙が理由なら今頃デスクは無法地帯だ。それに本当に片づけられない性質の人間はどれほど時間があってもこんな風に片づけられないものだよ」

降谷が部屋を見回す。数分前まで散らかっていた形跡はもうない。降谷が手を貸したのはほんの少し。大部分は名前自身がすでに大急ぎで片づけていた。そもそも名前が片づけられない人間であれば短時間でここまで整然とした部屋にできるはずもないのだ。

「それに、以前にも話したがお父さんから譲り受けた本は絶対にきちんとしまわれている。ゴミが放置されていたこともない。汚れた食器が残されていたこともない。いいか?一度もないんだ。ここに故意が含まれていないはずがない」

断言する降谷に、名前は首を傾げて問い掛ける。

「それじゃあ名探偵さん。私はどうしてそんなことをしたのかしら?」

これはただの形式だ。名前は降谷が次に口にする言葉を知っていた。

「日常を守るためだ」

青い瞳は一切の迷いがない。もうずっと前から降谷にはわかっていたのだろう。もしかするとそれは名前が自覚する前なのかもしれない。

「君が名前を変えて生きていたのは身を守るためだ。裏を返せば命を狙われているということでもある。君はそれをよく理解していた」
「そう……。私は誰かが家に侵入した痕跡を見つけたくなかった」

母親が一緒に暮らしている時には気にならなかった。自分以外の誰かが動いた形跡があっても母親のものだと思えたから。しかし名前は独りになった。物の位置が変わっていれば自分以外の存在が家にいたことになる。

「普通は逆なんだよ、名前。怯えて過剰なくらい部屋を綺麗にして物の位置を決めるものだ。でも君の価値観は違った。すでに一度自身の人生を失っていた君は、生きているのに自分がいなくなることの恐怖を知っていた。それは君にとって物理的な死よりも怖いものだった」

想像してみたことがある。帰宅したら物の位置が変わっていないかを調べる。少しでも位置が変わっていたら誰かが侵入したのではないかと怯える毎日。名前はもう自分の人生を知らない誰かに振り回されたくなかった。それならば物の位置など決めなければいい。侵入者があっても痕跡がわからないくらいに散らかっていればいい。
極論だが、名前の日常はそうして保たれてきた。

「以前ならそれでもよかったかもしれない。でも名前、君は優秀なゼロの人間だ。散らかっている部屋だろうと、侵入した者がいればその痕跡に必ず気づくよ」

誰かが部屋に入ったなら空気でわかる。そしてただ散らかしているようで、自分の散らかし方に法則があることも名前は知っていた。最初は無意識だった行為も、自覚してしまえば見破ることは容易い。

「僕も名前が安心するならこのままでもいいかと思っていたんだ。珍しく見せる弱味みたいなものだし、何より名前の世話を焼くのは楽しいからな」
「じゃあ何で?」

名前の問いに返ってきたのは、降谷には珍しい自嘲めいた笑いだった。

「君と約束をして数年経った。いまだに約束を果たせない自分が情けなくなる日もある」
「降谷が自分を責める必要はないでしょう」
「わかってるさ。でも僕だってたまには臆病になったりもするんだよ。約束1つ守れない自分がこれ以上名前に踏み込む権利があるのかってね」

降谷の手が名前の頬に触れる。ゆっくりと優しく撫でる仕草に胸が苦しくなる。

「でもこの前、君を苗字名前に戻したのは僕だと言ってくれただろう?だから……もっと自惚れてもいいんじゃないかと思ったんだ」

手を止めた降谷は真っ直ぐに名前を見つめて告げた。

「もうこの癖はやめてほしい。そうしないと僕が拗ねてしまいそうだ」
「どういうこと?」
「家の中にある気配は今でも自分1人だけなのか?」

いつからだろうか。物が動いていても気にならなくなった。家の扉を開けた時に、誰かがいる気配に緊張することもなくなった。警戒心がなくなったわけではない。むしろ公安として仕事をしていくうちにより敏感になったはずだ。だが“自分”と“自分以外”で判別することを名前はやめていた。

「名前、君は独りか?」

名前が降谷の家や安室の家に行った回数と、降谷が名前の家や待田ケイの家に来た回数。比べる間でもなく後者が圧倒的に多い。それは降谷が組織への潜入捜査についているからだ。安室の家に特定の女が出入りするのを避けるため。だが違う。もちろん理由の一つではあるだろうが、降谷が本当の目的は別のところにあった。少しずつ少しずつ降谷は名前の気持ちを塗り替えていった。
名前は部屋を散らかさなくていいのだ。もうその理由がない。

「零は……私のことを知り過ぎてる」
「そうか?足りないくらいだと思ってるんだけどな」

泣き笑いを隠すように降谷の胸に飛び込むと、降谷が名前を覆うように抱きしめる。

「僕は名前のことは全て暴きたい。身体も、心も」

もう全部知られているようなものだ。だが人の心は日々変わる。今こうして名前の降谷への想いが更に深まったように。その変化すら降谷が全て知り尽くしたいと言うのなら、知ってほしい。どうしたら伝わるだろうか。

「零。全部確かめて」

触れた唇は柔らかく熱い。降谷の首に回した腕を引き寄せると、名前は押し倒されるようにベッドに沈んだ。



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