Dream


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Episode5. 00



たった一度だった。
それでも彼と交わした言葉たちは今でも名前の胸の中に残り続けている。


□ □ □


ショッピングモールの中にあるそのカフェは昼時に差し掛かりザワザワと賑やかだ。
名前は待田ケイの姿でカフェオレを飲んでいた。時間潰しの相棒は工藤優作の新作だ。名前の家には彼の作品が全てハードカバーの初版で置いてある。父が名前に残したもの。忙しい父が欠かさず集めたもの。そこに理由を探すのは、亡き父への想いが強すぎるだろうか。
そんな物思いに耽っていると、後ろの席に誰かが座る気配がした。ここがカフェである以上当然のことだが、名前は意識を背中に集中させた。

「急に変更してごめんな」

少し高い、しかし優しい声音だった。
名前がこのカフェを訪れたのは定期連絡を受けるためだ。もちろん相手は降谷のはずだったのだが、昨夜遅くにかかってきた電話で「明日は代理を行かせる」と一方的に告げられ、質問する間もなく切られてしまった。

「アイツ、いきなり任務が入ってさ」

アイツという言葉には親しみが混ざっていて、名前は名前を聞かずとも背後に座る人間が誰なのかわかった気がした。

「でも、オレも一度話してみたかったんだ」
「私もよ」

フッと男の笑う気配がした。しかしそれはすぐ消え、次に出てきたのは降谷が行うはずだった定期連絡だった。名前は相槌を打つこともなく黙ってそれを聞いた。そして最後に2つほど確認したいことを尋ねると、淀みなく返答があった。この若さで潜入捜査官を務めるだけあって彼の対応は完璧だった。定期連絡は予定通りに終了した。

「少しだけ無駄話をいいかな」

本来なら連絡を終えたら早々に立ち去るべきだ。しかも名前は警察庁のゼロ。男は警視庁の公安部。相手から提案できる立場でもない。だが名前もこの場を去りがたいと感じていた。だから小さく頷くと、それを察した男が口を開いた。

「びっくりしたよ。本当に印象が変わるんだな。教えてもらわなかったら見つけられなかった」
「何のこと?」
「一度、君のことを見たことがあるんだ。黒髪の方の姿で」

なるほどとクスリと笑う。初対面なら迷うこともないだろうが、苗字名前の姿を知っているのであれば、確かに探すのは難しいだろう。
どういった場面で名前を見つけたのかは知らないが、声を掛けられたわけでもない。だから降谷が自ら彼に名前のことを教えたのだろう。彼のことを本当に信頼しているのだ。

「ハムサンド、すごく美味しかったわ。あとカレーも。色々ありがとう」
「どういたしまして」
「幼馴染なんですってね」
「そう。勉強もスポーツも遊びもイタズラも一緒にしてきた」

まだ幼い降谷の笑う姿が目に浮かぶ。太陽の元で駆け回り、あの明るい髪が陽に透ける。それを追いかけるもう1人の子供。「ゼロ」と呼ぶと降谷は嬉しそうに振り返るのだ。そして成長した2人は同じ夢に向かって切磋琢磨する。現実は描いた夢とは違ってしまっただろう。しかし今も2人は同じ戦場で肩を並べている。
名前には得られなかったものだ。羨ましいと思う気持ちはない。それは諦めてしまったから。でも眩しいとは思う。

「アイツはくそ真面目で頑固だけどさ、意外と大雑把で単純なところもあって面白いんだ」
「ああ、確かにあるわね。細かいこと指摘してくるくせに思い切りがいいと言うか……。幼馴染から見てもそうなのね?」

納得する名前に、男はクククと肩で笑いを堪えている。

「逆だよ。君を信頼してるからその姿を見せられるんだ。君はアイツにとって特別だから」

それを聞いた名前は自分でも驚くほどすんなり口にしていた。

「私にとっても特別よ」

名前にとって他人は警戒すべき相手で、気を許す存在ではなかった。子供の頃は大人が怖かった。父親を殺した組織の人間かもしれないと怯えることもあった。成長すると他人が疎ましくなった。名前の容姿や学力目当てで近付いて来る者が多かった。もちろんそうでない人もいた。しかしそんな優しい人に偽名を名乗る自分は酷く醜く思えた。
降谷は出会った頃はただの同期で同僚だった。打ち解けてみると考え方や行動が似ていて仕事がしやすい相手だった。一緒に仕事をするのが楽しかった。そして腕の怪我をきっかけに、降谷は名前の日常に入り込んでくるようになった。
他人を受け入れている自分に驚いたが、降谷には苗字名前を名乗っている。しかも降谷自身も公安警察だ。警戒心を緩めてもおかしくはない。
だから降谷は特別なのだ。
それが違うと気付いたのはいつからだろう。もっと前から変化はしていた。でもはっきり気づいたのは、降谷が名前の過去を知って家を訪ねてきた日だ。
降谷は苗字名前の名前を取り戻す選択をした名前を、非難するでも肯定するでもなく、ただ何を考えたのか知りたいと言った。名前の気持ちを名前から直接聞きたいのだと。

(嬉しかった)

初めて名前は自分の気持ちを他人に晒した。
あの時から特別の意味は変わった。同期だから。同僚だから。過去を知っているから。違う。降谷だから特別なのだ。

「すごく好きなの」

こぼれ出たのはあまりに陳腐な一言だ。だがこれ以上の言葉もなくて名前が苦笑していると、男は唸り声をあげて頭を抱えた。

「ちょっと待って!それ、本人に言ってやって!?もしかしなくてもオレ聞いちゃいけないことを聞いちゃった?」

焦る男を無視してカフェオレのカップを持ち上げる。
降谷を語る時の優しい響き。初めて会う名前に向ける気遣い。あの組織に潜入しているとはおよそ考えられない。本当なら助けを求めてきた人々にその手を差し伸べる存在だったはずだ。今こうして名前が救われたように。
それから数分が経った後、男が急に声のトーンを落とした。

「君に頼みがあるんだ。もしオレに何かあったらアイツを頼む」

まるでこれから何かあるような言い草に、名前が息を呑む。生憎、気休めの言葉は持ち合わせていなかった。

「私にあなたの代わりはできないわ」
「あはは。本当に言った」

名前の冷たい返答にも男は満足そうだった。

「アイツに言われたんだ。万が一の時は君にアイツのことを頼めるなって話したら『代わりはできないと言われるぞ』ってね」

降谷に言い当てられてしまったことが嬉しいような恥ずかしいようなそれでいて悔しいような複雑な気持ちだ。

「今日話してわかったよ。君はアイツに寄りかからないんだな」
「寄りかかろうとした時には後ろにいないのよ」

見えない相手に肩を竦めてみせる。
背中から聞こえるクツクツという忍ぶ小さな笑いに、名前の口角も上がる。

「代わりなんてしなくていい。アイツには君が必要だ。アイツは間違いなく強いけど、弱さだってないわけじゃないんだ。弱さを見せてきたら全部受け止めてやって欲しい。例えそれが君を傷付けることであったとしても」

頷くことも、承諾の言葉を口にすることもできなかった。彼が弱さを見せる瞬間が来ることを覚悟することになりそうで。それはいつのことなのだろう。何があると言うのだろう。

「君がゼロに出会ってくれたことに感謝するよ」

黙ってしまった名前に掛けられたのは責める言葉ではなかった。そして立ちあがる衣擦れの音がすると、名前の座る横を通り抜けていった。
願わくば、彼らが幼い頃と同じように陽の下で笑い合えますように。
名前はそっと目を閉じて祈った。



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