Dream


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Episode0.7310. 03



「どうやら気持ちが折れることはなかったようだな」

振り返ると大柄の白髪頭の男がゆっくりと歩いてくるところだった。ただ歩いているだけで威圧感を放っているこの男が、その実表情豊かでユーモアのある男だということはあまり知られていない。

「局長」
「彼とは親しかったと聞いている」
「はい」

“彼”が誰のことを指しているのかは明白だった。
あれから数ヶ月。降谷は周囲の心配をよそに何事もなかったかのように組織への潜入捜査を継続している。

「課長はお前が潜入捜査を辞退する覚悟もしていたようだが」
「そんなことしませんよ」

局長が横に並び、そのまま一緒に歩を進める。まだ若い降谷と警備局長の異色な組み合わせに、すれ違う人間がギョッとして振り返る。怯まないどころか苦笑を浮かべる降谷をハラハラした様子で見ている者もいた。

「お前が折れなかったのはアイツが何かしたからだろう?それともお前が何かしたのか?」
「……はは」

鋭い指摘に乾いた笑いしか出ない。どうやらお見通しのようだ。

「よりによってゼロの男か」
「あなたもゼロだったでしょう」
「だからだよ」

誰よりもゼロを見てきたこの男は降谷が歩む先を知っている。きっと降谷が想像している以上に厳しく暗い道が待っているのだろう。

「せめてあの子には普通の人生を送ってほしかった」

あの子と言った局長の中にあるのは幼い日の彼女だ。屈託なく笑ったのかもしれない。人見知りして親の影に隠れたこともあったのだろうか。両親に愛されて過ごす当たり前の毎日を送っていたはずだ。だがもう過去は取り戻すことはできない。

「待田ケイになった時点で普通の人生から外れてしまっていますよ」
「嫌味か」
「そのつもりです」

堂々と言い返すが局長の表情は動かない。相変わらず強固なポーカーフェイスだ。それならば遠慮は無用と降谷は続ける。

「あなたも勝手ですね。彼女の人生を奪っておいて今更彼女の人生に介入しますか」
「待田ケイの人生は見守るだけのつもりだったよ。だが苗字名前となれば話は別だ」

局長と待田ケイは関わり合いのない他人。しかし苗字名前は同僚の娘だ。介入する理由がある。そういうことだろう。だがその前に降谷は疑問だったことがある。

「なぜ、彼女に会いに行ったのですか?」

苗字から局長との関係を聞いてからずっと気になっていた。待田ケイとは極力関わらない。それこそ彼女に危険が迫るようなことがない限りは。降谷も同様の判断をするだろうし、今まさに局長自身もそう言った。
ならばなぜ彼女に会いに行ったのか。会いに行かなければ彼女は今でも穏やかな生活を送っていたかもしれないのに。

「……連絡があったんだ」

ほんの僅か。声が低くなったのは気のせいだろうか。

「亡くなる1週間前に急に連絡が入った。それまで一度だってあちらから連絡をしてきたことなどなかった。それが……死期を悟ってということだろうな。他人の俺に頼むのはおかしいとわかっているが他に頼める者がいないのだと」
「何を託されたのですか」
「娘の未来を。もうじき自分はいなくなる。何の遠慮もしなくていい。自分だけのために未来を決めてほしい、と」

弁護士になりたいと言った娘の本心を彼女の母親はわかりかねていたのだろう。心から望んだことなのか、名前を失う原因を作った父親への反発なのか。わかっていたのは、聡明な娘が母親である自分が存在する限り今の生活を捨てることはしないだろうということ。

「彼女が後悔することのないように手助けをしてほしいと頼まれたよ。そうは言っても俺が訪ねた時にはもう考えはまとまっているようだったから、結局彼女はここへ辿り着いただろうな」

娘を想う母の最期の望み。自分が手放してしまった自分自身で選び取る人生を、娘には生きてほしかったのかもしれない。

「彼女は決して自分に嘘をついて弁護士になろうとしたわけではありません」

降谷がそう言うと、初めて局長の顔が驚きに染まった。

「嘘でも遠慮でもなかったんです。ただ……本音で生きることがわからなくなっていただけです」

自分に正直に生きることなど彼女の選択肢にはなかった。冷静に考えて最良だと思う道を選ぶことが彼女にとっての必然だった。それが母親の目にどう見えていたのか彼女は知る由もない。

「初耳だな」
「当時は苗字も自覚していたわけではないようなので。今思えばそうだった、と」
「それを君に?」
「はい」

眩しそうに目を細めて降谷を見つめる男は、強面で有名な局長ではなかった。こんな風に年上の人間に微笑まれることに降谷は慣れていない。困惑していると局長は手に持っていたファイルで軽く降谷の頭を叩いた。

「あの子を泣かせないでくれよ」

優しい声だった。返事をする間もなく目の前で閉じた扉は局長室のものだ。話に夢中になるうちにここまで来てしまったようだ。

(泣かせるなんて人聞きの悪い。第一泣かせたことなんて…)

怪我の痛みに耐えている時も自分の生い立ちを語る時も、瞳に影が落ちることや苦痛に顔が歪むことはあった。
だが一度たりとも降谷はそれを見たことがない。

(苗字の涙を僕は知らない)

そのことに初めて気づいた降谷は局長室の前で呆然と立ち尽した。



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