Dream


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Episode0.5. 05



細い指が降谷の手の中から紙を抜き取る。目を伏せた苗字の表情はハラリと垂れた黒髪が隠している。
降谷を招き入れた彼女は苗字名前の姿だった。
今日も潜入先へ待田ケイとして出社したはずの彼女が、髪の色を黒に戻して降谷を待っていた。

「いいわよ。答え合わせをしましょう。私の採点は厳しいから覚悟してね」
「臨むところだ」

苗字は手にした紙を再び畳んでページの間に挟むと、パタンと本を閉じた。


■ ■ ■


苗字がコーヒーを淹れる準備を始めたので、降谷も隣に立って手伝う。2人にとってはそれが自然だ。それはこの瞬間も変わらない。

「きっかけは定期連絡の時に現れた橋本君だ」
「まさか知り合いに会うなんて思ってなかったのよ」

コーヒー豆をセットして溜め息をついた苗字が、その日のうちに定期連絡の場所から例の店を外していたのを降谷は知っている。それだけではない。東都銀行米花公園支店付近の店も全て削除していた。その他にも幾つか消されていた店があったのは、東都に出てきている大学の同期生を調べて対処したのだろう。相変わらず仕事が速く、抜かりがない。

「彼は君を“待田”と呼んだ。待田ケイは君が潜入捜査をする時に使う偽名だ。大学在学中の友人である彼にその名を呼べるはずがない」
「友人という程親しくはなかったけどね」
「彼の方はそうでもなかったようだけど?…まぁそれは置いておこうか。僕は待田ケイを調べた。その結果わかったのは“待田ケイが存在している”ということだ」

降谷の目の前にいるのは待田ケイなのだろう。ならば苗字名前は何者なのか。
最初は警察庁に入ったスパイとも考えた。だが非合理すぎた。警察庁の人間が彼女に疑いを持って偽名の“待田ケイ”を調べたら終わりだ。しかし彼女の正体を怪しむ者が潜入捜査先の人間だったらどうだろうか。全く毛色が異なって来るのだ。待田ケイを調べても苗字名前につながるものは一切ない。降谷がそうだったように。

「“待田ケイ”は実在する。そして君は“待田ケイ”の名を潜入捜査で使った。これは確定した事実だ」
「それなら不確定要素は苗字名前が何者なのか、というところね」

その通りだと頷く降谷に、苗字は薄く笑った。

「警察庁以外に苗字名前が存在するデータはなかった。違う?」
「違わない。しかし苗字名前が存在しないという事実にはならない。“情報がないこと”と“事実がないこと”はイコールではない」

(あの報告書もそうだった)

組織に潜入した捜査官の報告書。元々は捜査官の名前もあったはずだ。だが降谷に渡されたものからは削除されていた。
潜入捜査官であった彼は警察庁のデータベース全てから削除されていると考えて間違いない。存在を消されたのだ。NOCだと疑われた彼と警察庁の繋がりを断ち切るために。
だが捜査官がいなかったことにはならない。
彼は存在していたのだ。

「苗字名前は本当に存在していなくて、警察庁が作り出した架空の人間かもしれないわよ」
「それならなぜ君は今苗字名前の姿をしているんだ?」

苗字の表情が大きく揺らいだ。
ここまでずっと平静を保ち続けていた彼女が目を見開きこちらを凝視している。
降谷にとっては驚くことではない。ただ彼女はわかっていないのだ。降谷の中で苗字名前という人間がどれほどの意味を持っているのか。

「待田ケイの姿でもよかったはずだ。だが君は苗字名前を選んだ。それは君自身が自分を苗字名前だと認識している何よりの証拠だ」
「降谷を混乱させるためにわざとそうしたのかも……」
「強情だなぁ。僕はこの数ヶ月君の仕事ぶりを間近で見て来た。そして君の為人(ひととなり)もね。正直、この数日間で調べた文字だけのデータよりも余程信じるに足るものだと思っているよ」

降谷は苗字の頬に手を添える。そこに存在しているのを確かに感じるために。

「君は苗字名前だ」

それは宣言だった。
彼女が待田ケイであるのは間違いない。それでも目の前にいる苗字名前という存在を失いたくなかった。降谷と出会い、降谷が信じ、降谷に笑いかけた彼女こそが本物だと思いたかった。
苗字は何も言わない。否定の言葉を探しているのか。
頬から離した手で黒髪をひと房掬う。それはサラサラと降谷の手から流れていった。

「証拠を提示したいがそれはできなかった。何しろ苗字名前のデータを消したのは警察庁だろうからな」
「どうして警察庁だと思うの?」
「待田ケイを潜入捜査に使ってメリットがあるのは警察庁だ。そして警察庁内にだけ不自然に存在する苗字名前のデータ。これで警察庁が絡んでいないわけがない。それに戸籍を変えてまで人一人の存在を消すなんて、この日本では犯罪が絡んでいないと難しい」

アメリカのように証人保護プログラムがない日本において、そんな非合法なことができるのは警察庁の公安以外にあり得ない。

「そしてこれは謝らないといけないんだが…」

チラリと苗字を窺えば、いいから言ってみろと視線が告げていた。

「この部屋にあるアルバムを見せてもらった」

出しっぱなしの本を棚へしまう時にアルバムを見つけた。
苗字が風呂へ入っている時に好奇心に負けて開いたそこには、黒髪の苗字名前の姿で微笑む少女がいた。中学校の校門前で撮影されているので入学時のものだろう。少し影を帯びて大人びた表情。かなりの美少女だ。そんな感想を持ってパラパラと流し見ていった。そのうちに降谷は違和感に気付く。部屋に数冊あったアルバムに中学以前の彼女を映したものはなかった。

「家に入れる時に『アルバムを見てはいない』も条件に加えるべきだったわね」

降谷が何を見てそこから何を導き出したのか。聞かずとも彼女は全て理解している。しかし降谷は続ける。これは答え合わせだ。彼女には正解を言ってもらわねばならない。

「待田ケイがいて、苗字名前がいない。なら先に存在していたのは苗字名前だと考えるのが自然だ。そのターニングポイントは中学入学前に訪れた。11年前だ。その時君に何が起きたのか」

まだ子供だった彼女がどういう道を歩んできたのか。

「僕は知っていると思う」



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