Episode0.5. 02
※夢主の知り合いのモブ男が出ますが、元カレではないです。チェーンのコーヒーショップはモーニング目当てのスーツを着た客が適度にいた。
降谷が店を訪れたのは苗字の定期連絡を受けるためだ。時間ちょうどに店に入った降谷は、席を選ぶフリをしながら目的の人物を見つけ自然な足取りで席に着いた。
もう見紛うことはない。どれほど遠くにいても一瞬で見分ける自信がある。彼女がどんな服を着てどんな髪の色をしてどんなメイクをしていても、だ。
その日の苗字…待田ケイはワンピーススーツに茶色のウェーブがかった髪を結いあげていた。
降谷はその後ろの席に座り、数日間に発売された工藤優作の新刊を開いてコーヒーを飲み始める。
「……私まだ読めてないわ」
「僕は3ページ読んだ」
背中越しの会話は口元がカップで隠れているので周囲の人間は気付かない。
「それじゃあ本題に入るわね」
降谷は首肯もせず相槌も打たず、ただ黙って彼女の言葉を一言一句逃さず記憶していく。
報告内容は捜査が大詰めに向かっていることがひしひしと感じられる内容だった。聞いているこちらの血が滾りそうな情報を苗字は淡々と告げる。
「以上よ」
「了解」
手元のカップもちょうど空になり、降谷が席を立とうとした瞬間だった。
「待田じゃないか?」
突然明るい声が割り込んできた。
若い男の声だ。降谷の背後の席で足を止めている。
「……橋本君」
苗字は努めて平静な声で返してはいたが、動揺していることは気配で察することができた。
だが橋本と呼ばれた男は彼女に名前を呼ばれたことが嬉しかったらしく、更に声高に続けた。
「やっぱり待田だ!久しぶりだな。大学卒業してから連絡取ってなかったもんな。あ、ここ空いてる?」
「…どうぞ」
矢継ぎ早に捲し立てた橋本は彼女の正面の席に座った。
苗字に先程の動揺した気配はすでになく、おそらく笑顔で席を勧めたのだろう。男は「本当に久しぶりだな」と嬉しそうに話している。
会話の流れから彼女の大学時代の知り合いであることは間違いない。そして少なからず彼女に好感を持っていることもわかった。
「橋本君はこれから出勤?」
「ああ。東都銀行の米花公園支店にいるんだ」
その口振りで橋本が自身の就職先に矜持を持っていることが窺えた。希望通りの進路だったのだろう。
「橋本君、優秀だったものね」
「まぁそこそこかな」
謙遜の言葉とは裏腹に声は上ずっている。事実、彼は優秀だっただろう。だがそれを敢えて明言しない。こういうパターンはもう1手踏み込むのが正しい。
「新人の頃ってやっぱり窓口業務なの?」
「普通はな」
「じゃあ橋本君は?」
「俺は営業部なんだ」
なるほど。確かに期待された人材らしい。誇らしげに言うのも当然だ。
その自尊心を上手く転がす会話は見事だ。
「そう言えば待田の就職先って知らないな。どこかの官庁だと思ってたんだけど……」
そこで橋本の言葉が止まる。彼女の髪型や服装が官庁勤めの人間のものではないことは一目瞭然だ。だから彼女は先手を打つ。
「私は一般企業だよ」
「そうなのか。意外だな。教授自慢の学生だったのに。一般企業って言うと広告系?」
「結構残業が多くて」
イエスもノーも言わない。それでいて彼の質問の答えにもなる。
彼女の会話を操作する技術には本当に舌を巻く。
「そうかぁ。じゃあ今はフリーなんだ?卒業する時にアイツと別れたって聞いたからさ」
「どちらにしてもすれ違いの生活で同じ結果になってたと思うわ」
ここが限度だろう。
降谷は手元の携帯電話の発信ボタンを押した。
ブブブブ…
背後から携帯が振動する音が聞こえ、何か言いかけただろう橋本が口を噤んだ気配がする。
「あ、ごめんね。仕事の電話だわ。私もう行くね」
相手の返答は聞かないうちにガタリと立ち上がる。
「待田!」
橋本が呼び止めるが、それと重なるタイミングで彼女は通話に切り替え、携帯を耳に当てた。
降谷のすぐ横に立った彼女は振り返ったものの、携帯を離す様子はない。これ以上彼と会話を続けるつもりがないという意思表示だ。
「会えてよかったよ。元気でな」
何も言わずに店の外へ出て行った彼女は、最後に笑いかけることくらいはしただろうか。
知り合いが出入りする場所を彼女が選ぶとは思えない。今日は本当に偶然店の外から知った顔を見つけて入って来ただけで、彼はこの店でモーニングをとる習慣はないはずだ。降谷の予想通り、橋本は3分と経たないうちに店から出て行った。
窓の外はこれから出勤する人々が世話しなく行き来している。
降谷は時刻が表示されただけの携帯の画面を眺める。彼女にかけた電話はとっくに切られていた。
気配を消して2人の様子を窺っていたが、あそこが頃合いだっただろう。再会の挨拶や仕事の話は問題ない。だが個人的な話はきっと彼女は続けたくなかったはずだ。
(待田と呼んだな)
待田ケイは潜入捜査をする時の偽名ではなかったか。
それがどうして大学時代の知人がその名を呼ぶのか。
そもそも今彼女は待田ケイとしてのメイクをしているのだ。苗字名前の知り合いが彼女に気付けるはずもない。
(つまり待田ケイの知り合いということだ)
降谷は目を閉じる。
柔らかに微笑む彼女が浮かんで消えて行った。