Episode1. 01
カランというベルの音と共に足を踏み入れるとコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。
「いらっしゃいませー!あ、ケイさん!」
梓が名前に気付いて駆け寄ってくる。その姿に名前はホッとする。殺雑とした気持ちがすっと溶けていくようだ。
「お久しぶりですー寂しかったー!」
腕を引っ張られ店内へ誘われる。接客としては些か問題だが梓とはそれだけの関係性が培われている。それはもちろん待田ケイとしてなのだが。
「ごめんね、仕事が立て込んでて。ようやく落ち着いたの」
待田ケイこと苗字名前は警察庁警備局警備企画課所属の公安警察官だ。
しかしここ喫茶ポアロには待田ケイとして通っており所謂常連客だ。元々は理由があって通い始めた店なのだが、コーヒーが美味しいこともあり好んで通い続けている節があるのは自覚している。
しかし先程の梓の言う通り今回はおよそ2週間ぶりの来店になる。公安での大きな案件が落ち着き、後処理に追われてやっと時間が取れたのが今日だった。
「あ、ケイさんだ!」
「お久しぶりです。一緒にどうですか?」
名前を見つけてコナンと蘭が相席を誘ってきた。
蘭はポアロの上の毛利探偵事務所の毛利小五郎の一人娘。コナンはそこの居候の小学生だ。
名前の落とした携帯をコナンが拾ってくれたのをきっかけに話すようになり、自然と探偵事務所の三人とは仲良くなっていった。
「お邪魔じゃないかしら?」
「まさか!お美しいケイさんなら大歓迎ですよ!!」
鼻の下を伸ばす小五郎の言葉に甘えて蘭の隣に座ると、梓がミルクティーを運んできた。
「あれ?ケイさん注文したっけ?」
コナンが訝し気に名前を見た。「してないはずだけど…」と名前も首をひねる。
不思議なのがもう一つ。なぜミルクティーなのだろうか。
「ケイさんと言えばコーヒーだよね?」
ミルクティー自体はポアロの立派なメニューの一つだ。しかし名前はコーヒー党で一度も注文したことはなかったはずだ。
「コナン君もそう思う?私もケイさんはコーヒーじゃないかって言ったんだけど、きっとこっちだろうって。安室さんが」
梓の一言に名前の心臓が飛び跳ねる。
安室、と聞こえた。
「コーヒーにされるなら取り替えてきますけど」
ティーカップに注がれた薄茶色のミルクティー。普段なら絶対に頼まないものだ。梓が躊躇いがちに交換を提案してくるのも無理はない。
しかし名前は首を横に振った。
「大丈夫よ。今日はこれを頼もうとしてたの」
二コリと微笑んでみせれば「本当ですか!?」と梓は大袈裟なくらいに驚いている。
「さすが探偵さんですね!」
「この毛利小五郎の一番弟子になる人間ですからね!当然ですよ!」
小五郎の高笑いが店内に響く。
弟子と言っただろうか。ミルクティー、安室、探偵、そして毛利小五郎。当てはまらないピースがない。
「あの、その安室さんって…」
「やっぱり待田だ」
名前が控えめに尋ねようとしたところでキッチンから出てきた姿に頭を強打された気がした。
長身に色黒の金髪、アイスブルーの瞳。間違いなかった。
ニコニコとこちらに近づいてくる彼から逃げたい気持ちを必死に抑えて驚きの表情を作る。
「久しぶりだね、待田」
「あ、安室くん。どうしてここに?」
「少し前からここで働いてるんだ」
「えぇ!?お2人ってお知り合いだったんですか?」
蘭がびっくりして双方の顔を見る。
降谷零こと安室透は名前に口を挟ませることなく会話を進める。
「彼女は同期なんですよ」
「同期ってことは大学の?」
「おや、同じ年に見えませんか?」
「DD安室さん見てみたいです!!」
ワクワクした様子の梓に終始穏やかな笑顔で接する安室。それに反して名前の心に穏やかな要素は微塵もない。
ポアロでアルバイトするなんて聞いていない。いや、もしかすると上司には伝えているのかもしれない。だが名前まで情報が届いていなかった。最近自分の案件でゴタついていたので降谷の報告書まで目を通せていなかった。急ぎはないと聞かされていたので後回しにしていた。いや、意図的に後回しにさせられていたと考えるべきだろう。
「ねぇケイさん」
「何?コナン君」
腹の中に沸きあがってくる怒りを抑えてコナンに笑顔を向ける。
「何でミルクティーだったの?」
「あぁ…それは「それはね」」
安室がいけ好かない笑みで割りこんでくる。あくまで名前にこの場の主導権を渡さないつもりのようだ。
「待田は何か一区切りつくと甘い飲み物が欲しくなるんだよ」
その通りだ。
普段はコーヒー党だが、仕事がひと段落ついた時は決まってミルクティーを飲んでいる。降谷に話したことはないはずだが。
「入ってきた時に仕事が忙しくて久しぶりに来たって言っていたからね。待田、一緒にケーキはどうかな?」
「…お願いするわ」
安室は頷いてキッチンへ戻っていったが、やはり何のケーキかは聞いていない。
しばらくして安室が持ってきたのは名前の好物のガトーショコラだったので、もうどうにでもなってくれと名前は天を仰いだ。