Dream


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Episode0. 08



「これは……酷いな」

降谷は感想を包み隠さずに口にしてその場に立ち尽くした。包み隠すも何も、フォローしようがなかったのだ。隣で気まずそうにしている家主の苗字からも反論がない。自覚はあるらしい。
今から数分間のことだ。苗字の自宅マンションに着いた降谷は、玄関のドアを開ける前に2つの条件を提案された。

「1つ目は郵便物を勝手に見ないこと」
「言われなくてもそこまでは見ない」

腕を骨折した同僚の手助けになればと来たのだ。プライベートを詮索しに来たわけではない。

「2つ目は、これまでの私へのイメージは全て幻想だと思って」
「言っている意味がわからない」
「じゃあ聞くけど、降谷の中の私のイメージってどんなの?」

本人に正面切って尋ねられると非常に答えにくいものだが、苗字は真剣だった。これに答えないと永遠にこの扉は開きそうにない。

「美人。仕事ができる。度胸がある。あとは…」
「やっぱりゴメン……褒められると恥ずかしいから止めて」
「あと、笑顔が可愛い」

紛れもない本心だったが、苗字はポカンと口を開けている。なかなかお目にかかれない貴重な反応だ。

「そんなに驚かなくても…」
「あ、ごめん。予想外だったから」
「笑顔が可愛い?」
「2回も言わなくていい!」
「もしかして照れてる?」

俯いてしまった苗字の髪がサラリと流れる。そこに見えた耳は赤く染まっていた。本気で照れている。
身を屈めて苗字の顔を覗き込めば、ジトッと睨まれてしまった。

「ああっもう!本題はそこじゃないから!全部ひっくるめてなかったことにして?降谷の中の苗字名前は幻想!」
「やっぱり言っている意味がわからないんだが…」

そうしてやっと開かれた玄関の扉の向こう側が、降谷の質問への答えだった。

「酷いな……」

もう一度呟くと、苗字から「2回も言わなくていい!」と数分前と同じ言葉が返って来た。

「えーと……荷物はどこに置けばいい?」

病院から持ち帰ったバッグを置こうと部屋を見渡したが、適当な場所を見つけられない。
ざっと見回した苗字の部屋の様子はこうだった。
床には新聞やチラシが散らばっていた。仕事用の鞄もプライベート用と思われるポーチもそこらの足元に出しっぱなしだ。数歩先のクローゼットは何のためのものなのか。テーブルの上も物で溢れていう。僅かに空いているスペースはメイク道具を広げるための場所だろう。そしてベッドの上には脱ぎ捨てられた部屋着。辛うじてスーツだけがハンガーに掛けられていた。
苗字の部屋は整理整頓という単語とは対極にあった。
ふと視線を上げれば、恐らく最後に自宅を出た時のままの洗濯物が干されているのが目に入る。

「うわっ!見ないで!」

怪我をしていない方の手でひったくるように下着を取って隠すが、時すでに遅し。

「悪いな。見た」
「嘘でも見てないって言って!」
「キッチンにゴミが溜まってないだけでもいいんじゃないか?」
「その譲歩いらなくない!?」

怒っている苗字の気をそらそうとしたがまた怒られた。
洗濯機を回してくるからと苗字はバスルームへ向かったので、降谷はとりあえず散らばった物を片付け始める。本を本棚へ戻し、服を畳んだ。そして改めて部屋を見て気付いた。
この部屋は物が散らかりこそしているが掃除は行き届いている。キッチンもそうだが、床に物が散乱している割にゴミは落ちていない。ゴミ箱から溢れているということもない。シンクの横の水切り籠には食器が残っているが綺麗に洗われたものだ。部屋の中で埃が溜まっている場所はない。
どこまでを最低限とするかは難しいが、少なくても人が生活する上で必要なことはできている。

(片付けが苦手なのか…?)

それにしては警備企画課の彼女のデスクはきっちり整っている。職場での彼女とこの部屋は、どうやっても結び付くものではなかった。

(だから幻想だと思えってことか)

先程までの苗字の険しい表情を思い出して苦笑する。確かにその方がお互いのために良さそうだ。
洗濯機が回り始める音がする。こちらへ近づいて来る足音に、緩む口元を慌てて隠した。


■ ■ ■


「料理が作れない!?」

裏返りそうな声で降谷の言葉の復唱した苗字は、冷蔵庫を開けた態勢のまま固まった。
部屋を片付け終わる頃には空はもう薄く翳っていた。片手では不便な夕食の準備を手伝って欲しいと申し出た苗字に、降谷は正直に料理ができないことを伝えた。

「降谷は何でもできるのかと思ってた……。完璧な人間っていないのね」
「それはまさに今日僕が抱いた感想と同じだな」

手伝いに来たはずの降谷が戦力外では元も子もない。申し訳ないと謝罪しようとして、面白くて仕方ないという彼女のニヤけた表情にそんな気持ちは消え去った。

「どうせ買い物も行ってないから大したもの作れないし。何とか片手で頑張ってみようかな。降谷も野菜の皮を剥くくらいはできるでしょう?」
「……たぶん」
「珍しいくらいに自信がないわね。でもさすがに皮剥きはできないからやってもらうわよ」

渡されたピーラーを見つめていると、横からトントンとリズムよく包丁を動かす音がする。片腕なのに器用なことだ。

「苗字は料理できるんだな」
「母子家庭だったから必要に迫られて覚えたって、前なら言ってたんだけどね」
「違うのか?」
「必要に迫られていたのは事実だけど、美味しいって言ってくれる人がいたから作ろうって思えたんだわ」

その時、降谷の腹の虫が盛大に鳴った。考えてみれば今日は朝から携帯食しか口にしていない。

「あはは。お腹空いたよね。もう少しだから待ってて」
「……僕も食べていいのか?」

きょとんとしている降谷に苗字が柳眉を逆立てる。

「作るのを手伝わせておいて食べさせない薄情者に見える?」
「見えないけど」
「それにさっき言ったでしょう?美味しいって言ってくれる人がいるから作るんだって」

頬を膨らませながら更にもう一品作り始めた苗字に、どうやら食べていいのだと理解する。
鼻腔を擽るいい香りに再び腹の虫が主張を始めた。



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