Dream


≫Info ≫Dream-F ≫Dream-A ≫Memo ≫Clap ≫Top

Episode0. 04



爆破予告。ビルから舞い上がる黒煙。建物の周辺で逃げ惑う人々。
昼間ネットでニュースを見た時はまさかと不安が一瞬過ぎった。だがすぐにそんなことはないと否定した。
1日中先輩について外で仕事をしていた降谷が解放されたのはすでに辺りが暗くなってからだった。本庁へ戻る時間にしては遅すぎるが、報告書を仕上げてしまいたかった。霞が関へ戻る道中、ずっと電源を切っていた私用携帯を開いて目を疑った。
異常な数の着信とメールの件数が表示されている。
その全てが警察学校の同期からのものだった。公安に配属されてからは彼らとも一切連絡を取っていない。彼らは最初こそ心配して何度も連絡を寄越してきたが、最近ではほとんどなくなっていた。降谷が現在どういう立場にいるか薄々察したのだろう。その同期がなぜ…と考えて、昼間のニュースを思い出す。

震える手でメールを開いた後のことは、よく覚えていない。

ふわふわと浮いているような定まらない感覚。それでいて地の底を這うような重い息苦しさ。現実の夢の狭間にいるようだった。どこへ向かっているかもわからないが、足はひとりでに動いていた。
途中、目についたコンビニの明かりに吸い込まれるように中へ入った。今日は碌に食べていなかったことを思い出し、適当なおにぎりを籠に放り込んでレジへ並んだ。

「…以上でお会計が」

財布を出して表示された金額を確認しようとした時“それ”は視界に入ってきた。

「…すみません。他に買いたいものがあるので並び直します」

嫌そうな顔をした店員を気にすることなく陳列棚へと走る。初めて買うのでどこにあるのか迷ったが、狭い店内だ。すぐに見つけることができた。

「これと…これだな」

籠に追加された物と共に今度こそレジで精算をし、明るい店内を背中に歩き出す。
人通りの多い道から一本、もう一本と奥へ。この辺りにあるはずと記憶していたそこは、公園とは名ばかりの遊具もない外灯とその下にベンチがあるだけの空間。数分でたどり着いた降谷は公園に誰もいないことを確認するとベンチに腰掛けた。
コンビニの袋からおにぎりを取り出し早々に食べ切った。味は覚えていない。お茶で喉を潤して、袋の底から目的のそれを取り出した。

「降谷?」

びくりと肩が揺れた。
振り返るともう1メートルの距離まで近付いていた苗字名前の姿があった。
スーツに鞄。そして降谷と同じようにコンビニの袋を手にしていた。

「苗字。どうしてここに?」
「私、時々ここで気分転換して帰るから…」

確かにこの公園は本庁の近くだ。だが奥まっているしこんな遅い時刻に女性一人でわざわざ出向く場所ではない。

(理由は僕と似たようなものか…)

自宅へ帰るには気持ちが昂り過ぎている。逆に沈み過ぎている。オンとオフの切り替えがまだできない時、どこか静かな場所でひと息つくことがある。彼女も同じなのだろう。

「………」

黙り込んだ苗字を見上げると、彼女の視線はある1点に集中していた。それは降谷の手の中。長辺が10pにも満たない小さな箱だった。

「あー…これは…」

詳しく説明する気はないのでどうしても歯切れが悪くなる。

「隣、いいわよね」

鞄とコンビニ袋を下した後に腰を下ろす。目を丸くしている降谷に、苗字は人差し指と中指で何かを挟む仕草とした。

「1本もらえる?」

少しだけ細めた瞳。品よく上がった口角。完璧に作られた微笑みだ。
これに抵抗できる男なんているのだろうか。降谷は肩を竦めると箱を彼女へ差し出した。


■ ■ ■


星が遠い。東都の空ではいつものことだ。
ふうっと息を吐けば煙が空中に白線を描いた。そして徐々に薄くなりながら空と一体化した。
深夜でもまだ肌寒さは感じない。だが徐々に冬の訪れを感じる匂いがした。

「苗字、煙草なんて吸わないだろ?」
「降谷こそ吸わないくせに」
「言ったことあったっけ?」
「ビニールを破ったばかりの新しい煙草。コンビニの袋に入ってるライターと携帯灰皿。どう考えても今揃えましたって証拠でしょ」

コンビニで店員の後ろに並んだ小さな箱たちの中によく知る銘柄を見つけた。衝動的に買おうとして、自分が吸うための道具を何一つ持ち合わせていないことに気付いた。

「身体に良いものじゃない。無理に吸わなくて良いのに」
「欲しいって言ったのは私」

苗字の形の良い唇からふぅと白い息が伸びていった。

「大切なことなんでしょう?」

手元の小さな灯を見つめる苗字の声は小さいのに良く響いた。
降谷はそれには答えず、もう一度煙を吐いた。
何かあったことはわかっているだろうに、苗字はそれ以上尋ねてこなかった。口を閉ざし2人は静かに暗い夜空だけを見つめた。

「苗字はどうして警察官になったんだ?」

灯が煙草の長さを半分まで縮めた頃、ようやく降谷が話し始めた。
脈絡もない問い掛けだが苗字は「いきなりなんだ」とは言わなかった。

「私が欲しいものを手にするため、かしら」
「欲しいものがあるんだ?」
「警察官なんて面倒な仕事、何か欲しいか、やりたいことでもなければ選ばないでしょ」

もっともな意見だが、降谷はあの日のことを思い出して口の中が苦くなる。それは煙草だけのせいではないだろう。

「警察は絶対に倒産しないからって言った奴がいたんだ」

明るく笑った彼を鮮明に思い出せる。
平均より背の高い降谷が見上げる位置に目があった。
女子に愛想を振りまいて、軽口を叩いて、人との距離が近かった。
いつでも笑っていたから誤解している人間も多かったが、降谷たちは知っていた。
彼が常に周囲を気遣う優しさを持っていたことも、真面目で物事を慎重に考える人間だったことも。
知っているのだ。彼のことを、こんなにも。

「警察はなくならない。でも自分自身がいなくなったら意味ないじゃないか…!」

叫びたかった言葉は最後に小さく震えるように消えていった。
お互い安全な仕事とは到底言えない。
突然の別れが訪れる可能性を考えていなかったわけではない。
だがこんなに早いなんて。
何より、別れを告げるのは自分の方だと思っていたのに。

「……危ないわよ」

降谷の手から煙草を抜き取った苗字は、フィルターだけになったそれを携帯灰皿へ押し付けた。そして自分の短くなった煙草を同じように消すと、「ん」と降谷に掌を見せる。一瞬何のことかと首を傾げるが、胸ポケットにある箱の催促だとわかり慌てて取り出すと奪うように箱を持って行かれた。

「まだ吸うのか?」
「知ってた?煙草は合法なのよ」

ライターの炎が新しい煙草へ移り、再び空へ煙が昇った。降谷もつられるように箱からもう1本取り出した。
空へ吸い寄せられるように引かれる白線を無感動にを眺める。
それはお互いが2本目を吸い終えても変わらなかった。隣にいる苗字は一度もこちらを向かなかった。
時間と、煙草の煙だけが流れていた。


■ ■ ■


煙草を持つ手つきも、火をつける動作もスムーズだ。煙草の味や煙に眉を顰めることもない。どうやら苗字は煙草が初めてではないようだと分析できるくらいの平静さを取り戻したのは3本目が終わるころだった。
3本も吸うなんてコンビニで買った時は考えてもいなかった。
単に煙を吹かすことが弔いになれば…と思っていたのだ。
だが1時間前の混濁した心の乱れが驚くほどに凪いでいる今、弔い以上の意味があったことは確かだった。
いつの間にかふわふわと浮いているような定まらない感覚も、地の底を這うような重い息苦しさもなくなっていた。

「降谷。さっき『いなくなったら意味ない』って言ったわよね」

同じように3本目を吸っていた苗字が久しぶりに降谷と目を合わせた。

「意味がないとは思わないわよ。私はね」

白く細い指が煙草を押し消した。

「いなくなったら意味がない人生なんて寂しすぎる」

そう言った彼女は今にも泣きそうに見えた。涙を貯めていたわけでもない、悲壮感があったわけでもない。むしろ声は凛とした彼女そのものだったが、逆にそれが降谷の胸を締め付けた。

(誰かを失くしたのか…?誰を……)

そして気付いた。彼女から家族や友人の話を聞かないことに。
この仕事だ。友人と会う機会も減ってしまう。降谷のように連絡を絶つ者もいるだろう。それならばむしろ自然と昔のことを懐古したりするものだが、彼女からはそういった話が一切ない。家族と連絡を取り合っている様子もない。

「今、私のことを考えたならやめておきなさい?自分の気持ちに集中した方がいいわ」
「お見通しか…」
「自分のことで精いっぱいなのに、人のことを気に掛けても重いだけよ」

正論だ。今の降谷にその余裕はない。
ただこれまで匂わせることもしなかった彼女の過去を垣間見て、触れたくなったのは確かだった。

「意味はある…のかもな」

いなくなったら意味がないだろうか。彼が生きていたことは無意味になるだろうか。
そんなことはない。
彼と話して笑って過ごしたあの時間は、降谷にとってかけがえのないものだ。降谷が生きている限り、意味のあるものであり続ける。
生きている人間がそう思いたいだけのエゴなのかもしれない。それでも意味がないと言い切ってしまう寂しさよりは、意味があると思う愚かさを選びたい。

「さっきの発言はすまない。感情に任せて言ってしまって思慮に欠けていたと思う」
「同期と話すのに思慮なんていらないでしょ」

謝罪した降谷に噴き出した苗字からはもう先程の影は見えなかった。

「最後にもう1本ちょうだい?」
「駄目だ。一度に吸い過ぎだぞ」
「えー?残りがもったいないじゃない。降谷は吸わないでしょう?」
「これは……いいんだ。別の場所に持っていくから」

近いうちにあのビルへ行こうと思う。見ておかなければならない。まだその無残な姿があるうちに。
降谷の笑みは脆く儚げだったが、苗字は満足そうだった。


■ ■ ■


駅までの道は街灯以外の明かりは見えなかった。降谷は1本違う道へ行けば明るく人通りもあるのを知っていた。たぶん苗字もそうだろう。だが2人はこの道を選んだ。
ただ黙って歩く道のりは苦痛ではなかった。

「ありがとう、苗字」

駅が見えたところで降谷が静かに告げると、苗字は少し目を見開いた後にふわりと笑った。

(こんな風にも笑うのか)

普段は整った顔立ちでお手本のように笑う。決して作り物とは思わないし、それはそれで綺麗だ。しかし今の少しあどけなさが残った笑顔は、言うならば彼女の油断のようなものが見える。

(可愛いな)

もっと見たいと思った時にはもう駅に到着していた。残念な気持ちに蓋をして、降谷とは違う路線の苗字を見送る。

「もう遅いから気を付けて」
「危なくなったらお巡りさんを呼べばいいかしら」
「頑張ってくれよ、お巡りさん」

冗談を交わしながら改札を入って行った苗字が振り返った。

「じゃあ、また明日」
「また明日」

明日も仕事だ。明後日も、その次も。
安全な日など1日もない。今日のように心が揺らぐこともある。
でも彼女が隣にいるなら悪くない。
胸ポケットにしまった箱をポンと叩くと、降谷は背を向けて歩き出した。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -