Dream


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「降谷零だ。宜しく」
「苗字名前よ。宜しく」

形式通りの自己紹介。
握った手はとても細くて冷たかった。


■ ■ ■


警察庁警備局警備企画課・通称ゼロ。公安警察のトップへ降谷零は配属された。
オールAで警察学校に入り主席で卒業。降谷にとってゼロへの配属はそれほど予想外のことではなかった。

「新人が2人も配属されると聞いた時は正気かと疑ったが、何とか形になってきたな」

対面の席に座る上司が降谷と苗字を眺めて笑う。
荷物をまとめているところを見るともう上がりなのだろう。ふと時計を見上げると23時45分。
ゼロに配属されて1ヶ月。先輩たちからの温かさを通り越した熱い指導を受け、ようやく仕事にも慣れてきたところだ。ついでに徹夜にも慣れてきた。

「明日朝イチの会議の資料大丈夫か?」
「大まかにはできてます」
「わかった。じゃあ宜しくな」

上司が部屋を出て行き、新人2人が残された。
苗字は上司が出て行ったドアを睨みつけている。

「大まかにできてるのか」
「頭の中にね」
「それ、何もできてないって言うんだぞ」

ゼロに配属された降谷にとって予想外だったのはこの苗字名前だ。
降谷と同時にゼロに配属されたもう1人の新人。艶やかな黒髪に白い肌。淡い色の唇に長い睫毛。モデルか女優でもすれば大成功を収めそうな彼女がなぜ公安という日陰の仕事を選んだのか。最初の1週間ほどは疑問に思っていた。

「降谷君は何徹目?」
「あと10分で3徹目だ。苗字さんは?」
「私も3徹目」

苗字が降谷の隣で欠伸を噛み殺している。
配属された時から降谷と苗字は隣の席だ。新人の教育にはいささか不適当な配置ではある。だが隣にいれば彼女の仕事ぶりを嫌でも目の当たりにする。そして配属から1週間が過ぎる頃、彼女がなぜ公安に配属されたのかという疑念はいつの間にか霧散していた。

「苗字さんってキャリアっぽくないな」

降谷の呟きに「は?」と苗字が怪訝な顔をした。

「普通のキャリアだったら僕を目の敵にするだろう?」

降谷としては自分もキャリア組と遜色ない能力を発揮できると思っている。
だがそれは降谷側からの視点だ。エリート街道を順当に進んできた苗字にとっては違う。キャリア組の中でもひときわ優秀な人材が集まるゼロに配属された。するとそこには自分の他にもう1人が同期いた。しかもその同期は警視庁警察学校からの引き抜きなのだ。
どう考えてもキャリアの苗字からすれば降谷は邪魔者だ。

「正直、ちょっと構えていたところがあるんだ」

降谷は彼女から嫌味の1つや2つ言われることを覚悟していた。警察学校時代ですら散々言われたのだ。だが数日、数週間、そして1ヶ月が経っても彼女から敵対心を感じることはなかった。

「そういえば降谷君は元々警視庁なんだっけ」

目を丸くしてきょとんとした苗字は、どう見ても今思い出したという顔だ。

「…まさか忘れてた?」
「仕事するのにどこの大学出てるとか気にしないわよ。この書類がいつできあがるのか、私は会議前に仮眠が取れるのかという方がよっぽど大事」

その言い草は彼女が心底そう思っていることがありありとわかった。

「あはははっ!苗字さんは本当に面白いな」

降谷が腹を抱えて笑い出す。タガが外れたように止まらない。しばらくすると目の端にうっすらと涙すら浮かんできた。数分してようやく笑いを収めて肩で息をし始める。
無言で見守っていた苗字は、見計らったように真剣な顔で話し始めた。

「警察なんて、本当の意味で学歴を活かしている人ってほとんどいないわよ。語学が得意で海外交渉するとか、科捜研や鑑識に入るとか。えーと…他にあったかしら…?」

口元がへの字に結ばれる。

「公安はどうだ?」

挑発するような問いかけにも、苗字は冷静に答えた。

「公安は確かに他に比べて必要な知識も多いけど、それは過去の学歴に紐づくものではない。それなら私でも降谷君でもやることに変わりはない。違うかしら?」
「…そうだな。違わない」

警視庁からの引き抜きであることを睨まれると思っていたが見当違いも甚だしい。降谷の方こそ、キャリア組だという色眼鏡で彼女を見ていたのだ。
フッと肩の力が抜けるようだった。
苗字はそんな降谷ににっこりと微笑んだ。
それはどこかの肖像のように美しかった。


■ ■ ■


「実は私も降谷君のこと、もっと融通の利かない人かと思ってたんだ」

降谷が買ってきた缶コーヒーを受け取った苗字は「ごめんなさい」と苦笑した。

「何でそんな風に思ってたんだ?」
「そういう人をたくさん知ってるのよ」

辟易していると言いたげな様子に降谷は納得した。彼女の周りには一般的に言うところの優秀な人間が多かったはずだ。だからこそ見て来たものもあるだろう。

「僕も大して変わらない人間だったよ。でも…そうだな。殴り合いをして変わったかな」
「殴り合い?」

意味がわからない苗字は首を傾げると、サラリと黒髪が揺れた。

「なぁせっかくの同期なんだ。遠慮しないで行こう。僕のことは降谷でいい」
「私も…苗字でいいわ」
「じゃあ改めて…」

降谷は大きな手を苗字の前に差し出した。

「降谷零だ。宜しく」
「苗字名前よ。宜しく」

握り返した手はやはり細くて小さい。しかし今度は温かなぬくもりが降谷に返って来た。



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