Dream


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Episode4. 10



特別な葬儀はしなかった。自宅には母の職場から上司や同僚たちが弔問に訪れた。母が職場で親しまれていたことを知り、少しだけ救われた気がした。
その男が現れたのは母の四十九日が終わろうとしている日の深夜だった。

「俺のことを覚えているかな?」

厳つい顔。だが驚くほど柔らかに笑う。父の同僚。名前たちから名前を奪った男。
名前は喪服に身を包んだその男の名を呼んだ。

「驚いたな」

そう言いながらも表情に変化はない。

「だいぶ偉くなられていたので調べるのは簡単でした」
「その物言い、父親にそっくりだ」

男は皮肉っぽく、だがどこか嬉しさを滲ませたように笑った。


■ ■ ■


名前と母親は名前を変えて新しい生活を送ってはいたが、公安警察は保護観察を継続していた。だから男は母が入院していたことも死んだことも常に把握していただろう。四十九日のタイミングでやってきたのは、名前の心情を慮ってか、あるいは男の仕事が落ち着いたのがたまたま今日だったのか。
線香をあげ終えると、男は名前に向き直った。

「司法試験合格おめでとう。本当ならお母さんに言って欲しかっただろうが」

男の言葉に名前は首を横に振る。

「母は私が弁護士になるのは複雑だったと思います」

無難な返答など他にいくらでもある。故人を否定する言葉など言うべきではなかったが、男はフッと笑った。

「それはそうだろうな。俺も警察官の端くれだから複雑だよ。でもな、娘の努力が報われたことを喜ばない親はいない。お母さんは君のことを誇らしく思っているはずだよ」

母が亡くなってから忙しくしているうちに司法試験の結果が出た。
合格の通知はこれまでの努力が報われた結果だったが、名前がそれを見て喜びの声を上げることはなかった。その理由を知っても母は誇りに思ってくれるだろうか。
自分の中で重い感情が渦巻くのを無視して名前も笑った。

「あなたが警察官の端くれだったら他の人たちはどうなるんですか」
「現場で働いて汗水流している人間が自分は警察官だと胸を張って言えるんだ。俺みたいに机から人にあれこれ言うだけの人間は端くれで十分だよ」

正直驚いた。この男は警察庁内でも上から数えた方が格段に早い地位にいる。上に行けば行くほど権力に胡坐をかく者も少なくない。人間は勘違いをするからだ。しかし彼からはそういった空気は全く感じられない。
名前が唖然としているのを見て男は白髪の多い頭を掻いた。

「俺は色々な犠牲を払って今の場所にいる。自分は力のないただの人間だって思い知らされてきたんだ。ふんぞり返るフリはできるが、無神経になることはできない」

なぜ今日彼が来たのか疑問だった。形だけの訪問であれば部下を寄越すこともできた。だが男は自ら足を運んだ。独り残された名前に罵倒される可能性すらあったにもかかわらず。

(この人なら…)

名前は母がいなくなって1つの決断をした。そして実行するためにはどうすべきかずっと考えていた。この男の名前を調べたのも、その一端だった。

「何か力になれることはあるか」

男は名前の空気が変わったことに勘づいて不敵な笑みを浮かべた。

「1つ、お願いがあります」

名前は真っ直ぐに男を見た。

「私は国家公務員試験を受けます。警察庁に入庁するために。その過程での一連のデータについて、待田ケイの名前を全て苗字名前に書き換えてください」

元々静かだった部屋が更に静まるような感覚。肌に感じる空気は冷たくなるようで、それでいて体の中からは熱い温度が沸き上がってきた。

「苗字名前として公安に……ゼロに入るつもりか」
「はい」
「そう簡単にはいかない…と言いたいところだが、君の経歴なら問題なさそうだな」

警察庁へ入庁する難しさは承知の上だ。名前は自分がその合格ラインに達していることを知っている。国家公務員試験に合格して官庁訪問まで行くことさえできれば、後は自然な流れで名前の入庁が決まるはずだ。この男は元公安だ。裏でうまく動くことなど容易にできる。

「悪くない話だと思いますけど。苗字名前は公安警察として働く。でも戸籍上存在するのは待田ケイ。苗字名前はどこにもいない。潜入捜査には便利だと思いますよ」

一介の大学生が警察官僚に取引を持ち掛けている異様な光景。それでも名前は怯むことはなかった。
数分間の睨み合いの末、男は溜息をついた。

「平和に穏やかに暮らしていると思っていたんだがな」
「平和に安穏と暮らしていましたよ。『待田ケイ』として」

名前の言葉に男の顔が歪んだ。言葉を少し変えたのはもちろん意図的なものだ。

「名前を取り戻したいか」
「はい」
「何のために」
「私を失わないために」

司法試験の合格通知は名前にとって死亡通知だった。
このまま待田ケイとして弁護士になって生きていく人生。容易に想像ができる未来。だがそれを選んだ時、苗字名前がこの世に現れることは二度とない。

―――失いたくない。

それは本能だったのかもしれない。
だから苗字名前を失わないために何をすればいいのか。苗字名前として生きる術があるのか。考えた末、名前は父親の所属したゼロの存在に辿り着いた。
全ての始まりであり、苗字名前の終わりだったもの。

「官庁訪問までのことは俺も手出しはしない。ヘマはするなよ、苗字名前」

誰かから名を呼ばれたのはいつぶりだろうか。
その響きに震えを覚えながら、名前は深く頷いた。



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