Episode4. 08
「警察庁警備局警備企画課の降谷零には同期が1人いた。それが苗字名前」
その名を呼ばれても名前は取り乱すことはしなかった。安室と同期だと話していたのだから、安室がゼロそして降谷零だと告げられた時点で覚悟はあった。
だがそれが名前の牙城を崩すものでないことはコナンもわかっているだろう。
「ケイさんは言ったよね。偽名を名乗った人がわかるって」
「ええ、言ったわね」
「ボクも昴さんも、ケイさん自身が偽名を名乗ることに長けているから見抜けるんだと考えた。だから公安警察に苗字名前という名前を見つけて、それがケイさんの本当の名前だと思ったんだ」
その続きは聞かなくてもわかっていた。だから笑ってみせると、やはりコナンは苦い顔をした。推理を裏付けようと奔走したが望む結果は得られなかったのだろう。
「でも、調べても調べてもケイさんは間違いなく待田ケイだった」
杯戸中央病院で名前は言った。
『安室君よりも手強いのが私だったらどうする?』
「拾った診察券の名前は待田ケイだった。司法試験の過去の合格者も待田ケイだった。中学にも高校にも在籍していた。ありとあらゆる場面で待田ケイの存在は証明されていた。偽装でできるものじゃなかったよ」
当然だった。本来、待田ケイの経歴から公安の苗字名前に行き着くことは不可能なのだ。今回彼らが公安の苗字名前に行き着いたのは降谷の存在があったからだ。
待田ケイと安室透。安室透から降谷零。降谷零から苗字名前。
もちろん日本の公安を調べる手段があったからこそわかることで、それこそ私立探偵の情報網程度であれば到底辿り着くことはできない。
だからこそ名前は潜入捜査を続けているのだ。
「それなら私は待田ケイってことでいいわよね?」
最後の一手を打ったと思った。だがそれは沖矢の言葉で阻まれた。
「いいえ」
コナンから沖矢に視線を移動させると、グリーンの双眸が飛び込んできた。
「あなたの名は待田ケイではない。それがあなたの唯一守りたい嘘であるならば、安室透と同期であるのは事実です。だからあなたは苗字名前です」
「でも待田ケイは実在する。調べて痛いほどわかったでしょう?」
「はい。待田ケイの経歴は完璧でした。だから苗字名前を調べました」
初めて名前の目が大きく見開かれた。
「苗字名前はこの世に存在しませんでした」
沖矢は淡々とした口調を崩さない。こちらを見る視線もはずさない。
「もっと正確に言いましょう。苗字名前には戸籍がない。ですが警察庁には彼女が所属しているデータがあります。これはどういうことでしょう」
心臓が急速に脈を打つ。こんなに鼓動しているのに体から酸素がなくなっているような気がする。指一つ動かすことができない。
「苗字名前は警察庁の中でしか存在しないんです。まるで幽霊のように」
背中を嫌な汗が伝った。
「幽霊…それであることに思い至りました。苗字名前という存在は殺されたのではないかと。偶然にも私は1人知っていましたしね。過去の自分を消し去り、新しい人間として生きてきた女性を」
はるか遠くを射抜くその瞳は、今誰を映しているのか。目の前の名前か。それとも新しい人生においてなお、親の仇を追う同僚の女か。
今後は沖矢が王手を放つ。
「あなたは確かに待田ケイだ。しかしもう1つ、公安警察によって過去に屠られた名前があるのではないですか?そしてその名前こそが……」
■ ■ ■冬の特別寒い日の夜だった。雪が降るかもしれないとぼんやり考えていたら部屋をノックする音がした。入って来た母親は酷く顔色が悪かった。
父、撃たれた、病院、重篤。
母は決して取り乱していたわけではなかった。名前も小学生としては賢い方だったはずだ。だが名前は母が何を言っているのかわからなかった。
父親は警察庁に勤めていた。だがデスクワークがメインの仕事だと聞いていた。拳銃で撃たれるような仕事だったはずがない。
混乱する頭で病院へ行った。そこで待っていたのは横わたる父の亡骸と、父の同僚だった男だ。何度か家に来たことがある。厳つい顔で怖いと思ったのに、名前に笑いかけた時は驚くほど穏やかな印象へ変わったのを覚えている。
彼は名前の顔を見て何かを食いしばるような表情をした。そしてまだ事実を受け止め切れていない名前に追い打ちを掛けるように宣告したのだ。
「お父さんは危ない仕事をしていた。今度は君たちが狙われる可能性がある。だから別人になって欲しい」
その日眠る前に荷物をまとめて、翌日には引っ越しが終わっていた。親戚のいるところへ移り住んだのではない。全く知らない場所だった。
小学校も卒業間近だったが、それを待たずに転校した。友人と別れを惜しむ時間も与えられなかった。
新しい学校で口にした自分の名は違和感しかなくて呼ばれても振り返ることができなかった。
住む場所も、学校も、名前も変わった。色々なものが変わった。
しかし自分の人生が何もかも変わってしまったのだと本当の意味で気付いたのは、母親と二人きりでひっそりと行った父親の四十九日の時だった。
「これからは待田ケイとして生きていくんだ。苗字名前はもういない」
名前も知らない父の同僚の、その言葉がようやく飲み込めた。
父が死んだあの日、苗字名前もまた死んだのだ。