Episode4. 01
名前がポアロに行こうと歩いていると背後から声を掛けられる。
振り返ると蘭が手を振っていた。隣にはいつも通りのコナンともう1人、蘭の母親である妃英理がいた。先日蘭に杯戸中央総合病院で会った時は虫垂炎で手術したと聞いていたが、無事退院できたようだ。
「ケイさん!これからポアロですか?」
「そうなの。お昼を食べに行こうと思って」
「そうなんですね。あ、お母さん。こちら待田ケイさん。ポアロの常連さんなのよ。すごい美人でしょう!」
色々と付加された蘭の紹介に苦笑しつつ丁寧に頭を下げる。
「初めまして、待田ケイです。弁護士の妃英理先生ですね。お名前は存じ上げております」
負け知らずの敏腕弁護士。法曹界の女王。警察側の名前としては敵に回したくない。
そう思って顔を上げると、英理が名前の顔を凝視していた。
「初めまして…よね?」
「お母さんケイさんのこと知ってるの?」
「お名前をどこかで聞いたような……」
コナンの目が鋭いものに変わる。その時英理が「あ!」と声を上げた。
「待田ケイさん!思い出したわ。学部生で司法試験に合格したのに司法修習を受けなくて、ちょっとした騒ぎになった…」
「「ええぇぇ!?」」
コナンと蘭の叫びが綺麗に重なった。2人とも目が真ん丸になっている。
だが実は名前も内心では非常に驚いていた。英理は記憶力に優れていると聞いたことがあるが、よくそんな昔のことを覚えていたものだ。
(もう10年近く前のことなのに…)
英理の言った通り、名前は大学在学時に司法試験に合格した。だが司法修習生にはならず、国家公務員試験を受け警察庁に入庁した。
そして今は警備局警備企画課に所属しているわけだが、この一連の経歴を知っているのはほんの僅かな人間だけだ。当時の教授は名前が警察庁に入ったことすら知らない。そのため卒業するまで説得され続けたのは苦い思い出だ。
「ねぇ妃先生。司法試験って確か法科大学院ってところを出てから受けるんじゃなかった?」
コナンが見上げると「そうよ」と英理が頷く。
「法科大学院を出ると司法試験の受験資格が得られる。でも他の方法もあるの。司法試験予備試験というものがあって、合格すれば法科大学院を出ていなくても司法試験を受けられるのよ」
「じゃあケイさんは司法試験予備試験にも合格したんだね」
「そうなるわね。でもね、コナン君。実は予備試験は司法試験より難しいとも言われているのよ」
「え?どうして?」
英理の言葉に蘭が首を傾げる。その疑問には名前が解答を示す。
「予備試験をパスした人が司法試験に不合格になったらどうかしら?」
「あ…」
「そういうこと。司法試験を受けるに値すると見做された人が不合格になる…話の辻褄が合わなくなるのよ。だから必然的に難しくなる」
名前が肩を竦めた。
「そんな難しい試験を受けて司法試験にも合格したのに、どうして司法修習生にならなかったんですか?」
蘭に詰め寄られ、悪いことをして叱られている気分になる。いや、実際似たようなものではあるが。
コナンも名前の過去は気になるらしく、蘭に負けず距離が近い。その頭を撫でながら当時の記憶を思い起こす。
「その頃、母が病気で入院して…とてもゴタゴタしてたの。私は母子家庭だったし親戚もいなかったから、全部自分でやらなきゃならなくて」
蘭がハッと悲しそうな顔をする。数日前まで母親が手術で入院していた蘭だ。心配や不安になる気持ちはまだ鮮明に残っているはずだ。だから名前も努めて明るい声で話したつもりだったのだが、ごまかすことはできなかったようだ。
「すみません…立ち入ったことを聞いてしまって…」
「もう昔の話よ」
気にしないで欲しいという意味を込めて微笑みかけるが、それでも蘭は申し訳なそうにしている。
そんな2人の間の空気を察したのか、英理が名前に向き直って尋ねた。
「でももったいないわねぇ。今からでもうちで働かない?事務が足りてないのよ」
あの妃法律事務所からのスカウトは光栄なことだが、現役警察官としては笑えない話だ。いや、降谷は笑うだろうが。
「お気持ちだけ…ありがとうございます」
丁重に断りと入れながらニヤリと笑う降谷が頭に浮かんだところで、コナンが手招きをしているのに気付く。しゃがんで目線をあわせれば、こっそりと耳打ちしてくる。
「ねぇケイさん、今の話本当なの?」
「司法試験を受けたこと?それとも母が入院したこと?」
コナンの言いたいことなどわかっていて後者を付け加えた。
蘭とは違い、コナンは明らかに名前の過去を詮索しているのだ。少しくらいの意地悪は許されるだろうと思ったのだが、バツが悪そうなコナンに良心が傷んだ。高校生を相手にしたつもりでも、小学生の見た目でその表情をされてはこちらの分が悪い。
「私が司法試験を受けたことも、母が入院していたことも本当よ。調べればすぐわかるわ」
名前の言葉にコナンがピクリと反応する。
調べればすぐにわかる。コナンは「調べても何も出ない」ということまで察しただろう。
「自信があるんだな。でも真実でなければ絶対どこかに綻びが出るもんだぜ?」
状況は彼にとって望ましいものではないはずだ。だが目の前に立ちはだかる壁に怯むことなく向かい合う。
宣戦布告してくるコナンに、名前も対峙する。
「じゃあ真実はどこにあるのか。探してみるのね、探偵さん」
すでに名前への怖れはない。そこにあるのは真実を渇望してやまない、炯炯と輝く探偵の瞳だった。