Episode3. 06
いつからかポアロの小さな常連になった三毛猫がいる。便宜上つけられた名前は大尉。何とも頼もしい名前である。梓に懐いており、今日もポアロに餌を求めてやって来た。名前としても常連同士交流を深めたいところなのだが……。
「シャーーーッ」
当の三毛猫は毛を逆立て威嚇してくる。
「嫌われてますねぇ」
「嫌われてるなぁ」
「嫌われてるね」
梓と安室とコナンの同情めいた視線が痛い。
撫でようとして伸ばした手を止めた名前は、立ち上がってスカートの皺を払って直す。
「ケイさんって動物に嫌われるタイプですか?」
遠慮がちに聞いてくれる梓の心遣いが逆に悲しい。
一応弁解したいのだが、名前は特別動物に嫌われる人間ではない。むしろ名前自身は動物が好きだし、これまで生きた中で嫌われた記憶はない。
「やっぱり猫被ってるせいかな」
名前にしか聞こえない声で安室が呟く。猫を被っているというなら安室はどうなるのだ。ジロリと睨むとクツクツと肩を揺らす。気を取り直してもう一度大尉に近づく。
「大尉〜そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「シャーーーッ」
「ケイさん諦めた方が…」
梓の忠告にがっくりと肩を落とす。
「そんなに落ち込まないでください。皆さんケイさんこと好きですから!ね?安室さん!」
「ええ。大勢から好意を向けられているようですし?」
ポアロに来るJKに黄色い声を上げられている人間に嫌味を言われる筋合いはない。
「動物は本能で警戒するべき相手がわかるみたいだし…。ケイさん身に覚えはないの?」
コナンの目がスッと細められる。警戒されているのは大尉にだけではないようだ。
仕方ないのはわかっているが、こうも剥き出しにされて心が痛まないほど無神経ではない。相手はコナンであっても、大尉であってもだ。
「でもここまで嫌われると逆に構いたくなるわよね」
半ばムキになって再び大尉に手を伸ばすが、やはり毛を逆立てている。
「ケイさん、小学生男子じゃないんだからさ」
「小学生男子のコナン君に言われたくない…痛っ」
痛みに手を引くと、手の甲から赤い直線が現れる。見れば、大尉の爪がこちらに向けられている。会話に気を取られていたせいで油断していた。
赤く滲み出てくる血を無感動に見て、今日はここまでにするかと諦めたところで腕を掴まれた。
「安室君?」
ポアロの中に連れ戻され、安室が名前を椅子に押し込められるように座らせる。
「そこで大人しく待っていてくれ」
子供に言い聞かせるような口調に憮然としながらも素直に待つ。1分もしないうちに店の奥から安室が箱を持って戻って来た。緑の十字が見える。救急箱だろう。
安室は名前の手を取り、水道で傷口を洗い流した。そして丁寧に消毒される。さっきまでのからかい口調が嘘のように真剣だ。
消毒が済むと絆創膏が貼られて治療は完了した。しかし安室はまだ名前の手を離さない。
「こんな見えるところ、僕だって痕をつけさせてもらったことないぞ」
「は…?」
ススッと安室の親指が手の甲を撫ぜる。
「今度から猫に引っかかれたって言えば大丈夫か?」
「いやいや無理でしょ」
「今回のことで前科もできたし」
「その言い方やめて!」
安室が真面目な顔で考え込んだので慌てて否定する。本当に痕を付けそうで怖い。第一、仮にも警察官相手に前科とはいかがなものか。
名前が憤慨していると、安室がようやく手を離して救急箱の蓋を閉じる。
「君が動物に嫌われるなんて珍しいな」
「あら。猫を被ってるからとか言ってなかった?」
「君は基本的に表では猫を被ってるじゃないか」
「へぇ〜ケイさんと安室さんって仲良しなんだね!」
無邪気を装ったコナンがいつの間にか2人の後ろに立っている。もちろん、安室も名前もその気配には気付いていた。
「表で猫を被ってるってことは、裏を知ってるってことだよね?」
コナンがまるで犯人を追い詰めるように安室を見上げる。下手に言い訳をすればそこから切り込んでくるに違いない。
「僕の言い方が悪かったかな。表はパブリックという意味だよ」
「ふーん…じゃあ安室さんはケイさんのプライベートを知ってるってことだね!」
ニッコリ笑った顔が可愛いのだが、会話そのものは可愛げがない。ついでに人のよさそうな笑顔を浮かべる安室もいい根性をしている。
「待田とは付き合いが長いからね」
「それだけ?安室さんとケイさんはただの友達って雰囲気じゃないよね」
この腹の探り合いは埒が明かない。どんどん空気が冷えているような気さえしてくる。
仕方なく名前は間に割り込んだ。
「コナン君。大人にはね、人に言えないような関係もあるの」
ニッコリと含みのある笑みを浮かべる。
普通の小学生にはわからなくても、彼ならばこの意味はわかるはずだ。案の定、コナンはハッとした後に顔を赤くする。隣からは子供に何を言うのだと非難めいた視線を感じるが。
「あなたはまだまだ子供なのよ。わかった?」
コナンの赤く染まった頬をひと撫ですると今度は耳まで真っ赤になった。
これで追及は終わるだろうと安心したところで、空になった餌の皿を持って梓が店内に戻って来た。
「ケイさん、傷大丈夫でした?」
「平気平気。擦り傷よ」
絆創膏を見せると梓はホッと息を吐くと、キッチンへ入って行く。隣の席では安室が頬杖をついて呆れ顔だ。
「大人げないなぁ」
「売られた喧嘩は買わないとね」
「それが大人げないと言うんだ」
コナンがまだこちらを伺っているのでニコリと笑いかけてやる。するとまた茹で蛸のように赤くなる。何とも可愛い反応だ。
それを見ていた安室は首を振って立ち上がる。
再びコナンを覗けば、思い切り顔をそらされた。
「今日は振られてばかりね」
梓が出してくれたコーヒーまでどこか苦く感じて名前は肩を竦めた。