Episode2. 08
翌朝目が覚めると空腹を刺激するいい香りがした。もぞもぞと身体を起こすと起きた気配を察した降谷がキッチンから顔を覗かせた。
「おはよう」
「おはよ…」
欠伸を噛み殺した挨拶になる。クスクスと笑った降谷がクローゼットから服を取りだした。
「もうすぐ朝食できるから先にシャワーを浴びてきたらどうだ?」
手渡された衣服を黙って受け取ってバスルームに向かおうと立ち上がる。
「ちょっと待て。これを着ろ」
降谷のトレーナーをズボッと頭から着せられた。よくよく見ると素っ裸だったらしい。そう言えば昨日は果ててそのまま寝てしまったなと記憶が蘇る。
「お風呂行ってくるー」
覚束ない足取りでバスルームへ向かう。トレーナーを着たとはいえ、際どい位置までしか隠れていない。降谷が何とも言えない表情で後ろから見ていたことは、寝ぼけている名前にはわからなかった。
□ □ □シャワーを浴びてクリアになった頭で確認すると降谷のコーディネートは完璧だった。待田ケイが好みそうな服だ。しかもきっちり下着まで用意されていた。羞恥心はお互いどこかへ消えてしまったのかと呆れるばかりだが、その下着すら今日の気分と合致していたので名前は抵抗を諦めた。
「目が覚めたか?裸ん坊」
「あ、今日は和食だ」
降谷が小言を繰り出しそうなので無視して「いただきます」と手を合わせる。ジロリと見られるが怯まず箸を進めれば、最後には降谷が溜息をついた。
「朝が弱いの治らないな。普段どうやって起きてるんだ?」
「あのねぇ私は別に朝弱いわけじゃないの。普段はスッキリ目覚めてるわよ。ちゃんと寝られればね!」
朝まで散々無理をさせられてスッキリ目覚められるはずがない。降谷の体力が異常なのだ。
「僕のせいだと言いたいようだけど、『もっと』っておねだりをしたのは誰だったかな」
「空耳じゃない?」
しれっと返すが降谷は肩を竦めるだけだ。最終的には名前に甘い。いや、弱いと言ったほうが正しいかもしれない。
「そう言えばポアロのバイト続けるの?」
「続ける。まぁ後処理とか色々あるからしばらく休むけど」
「続けるの…」
露骨に声のトーンが落ちた名前に、白米をかきこむように食べていた降谷の手が止まる。
「不満か?」
「むしろ何で不満じゃないと思うの?」
組織の任務とは違い連絡はとれるものの、降谷が公安を不在にしていることに変わりはない。多少なりとも名前に回ってくる仕事はある。それを理解していない降谷ではないだろう。
「僕と会うことが増えるし、僕の淹れたコーヒーが飲めるぞ?」
「会えるのは降谷じゃなくて安室君だし、その他大勢と同じものじゃなくてこうして2人でご飯食べてる方がいいわ」
名前が言い切ると同時にゴンといい音がした。見れば降谷がテーブルに頭から突っ伏している。それにツッコミを入れることもなく名前は味噌汁をすする。
「どうして君はそうやって僕を煽るんだ…」
「嫌がらせかしら」
「むしろどんどんやってくれ」
そう言って卵焼きをひと切れ譲ってきた。名前の好きな甘い卵焼きだ。ありがたくいただくことにする。
「安室透がまだポアロにいる理由ってあるの?」
行儀悪く卵焼きを咀嚼しながら尋ねると、降谷がチラリと名前を見る。
「君が目的でもあるかな」
「グフッ」
危うく卵焼きが喉に詰まりそうになる。トントンと胸を叩いて水で流し込む。大きく息を吐いて呼吸を整える名前に、降谷は微笑を向けるだけだ。
「忙しい君が時間を割いてポアロに通い続ける理由が気にならないわけないだろう。それに僕がポアロにいれば役に立つこともあるかもしれないぞ」
降谷の言葉に名前は頷くことができずに固まった。普通なら素直に肯定するところだが今回は事情が違う。正直、バーボンがいることで余計にややこしくなっている節がある。
これでコナンが安室=バーボンだと知ったらどうなるのだろうか。きっと名前は彼の知り合いということでコナンから警戒されるはずだ。哀もポアロに近付きにくいだろう。
考えれば考えるほど面倒ばかりだ。
「君が教えてくれれば済む話なんだけどな」
否定的な気持ちが顔に出ていたようだ。降谷が少しムスッとしながら名前の眉間を指でさする。
(ポアロへ通う理由…)
元々名前がポアロに通うのは江戸川コナンの正体を知っているからではない。小さくなっていることへの疑問でもない。
「降谷、コナン君の役に立ってあげて」
ただあの少年を放っておけないのだ。
阿笠博士や哀の手助けはあるだろう。赤井もついている。だが自身が言ったように、きっと降谷はあの子の役に立つだろう。
名前からの意外な言葉に降谷は目を見開く。
「江戸川コナン君か?」
名前は頷く。
「またコナン君か。あの子は何者なんだ?」
最近よくその手の質問をされるなと内心苦笑する。
江戸川コナンは小学生であってそうではない。かと言って高校生でもない。それならば彼は何者なのか。
「あの子が何と答えるかはわからないけど、私ならこう答えるかしら」
彼を表すにはこの言葉が1番しっくりくる。
「江戸川コナン は『探偵』よ」